「まあだだよ」黒澤明監督 1993年
この映画は良いですよ。晩年の黒澤監督の映画は良いです。「八月の狂詩曲」も良かったですけどこの最後の映画も良いです。この作家は売れる前に30数年も教師をしていたんですね。内田百閨Bおかしいことにこの映画も戦争と関係します。ちょうど陸奥が爆発した年からスタート。学徒出陣もすぐでしょう。
しかし良い先生には良い生徒ができるというのは良く聞きますがまさにこの映画はそんなことばかりです。そこらじゅうに笑いや楽しさは充満している映画です。またせりふや構図が本当に良いんだ。監督のセンスはすばらしいです。こういう楽しい映画が最後の映画というのも良いですね。いい監督というのは最後に良い映画作りますね。今村監督とか新藤監督とかどうでしょうね。深作監督はやはり良い映画で締めておりますね。
「方丈記」(鴨長明)の心境でどんなところでも落ち着いて、心平穏に過ごす毎日、その四季の移り変わりがきれいに描かれてますし、どんなぼろやでも出かけるときは正装して出るというのは良いです。いまは勝ち組サラリーマンも意外とラフなかっこうするでしょう、あれは好きではないんです。おしゃれって重要だと思います。
「摩阿陀会」の様子は見ていても参加しているかのように楽しいです。参加者の動きが生き生きしているんです。本当に楽しい宴会とはこんなものでしょう。そして男子校なので男しかいないし、生徒のほうも家庭があるはずなのに、何でこんなに無邪気に楽しめるのでしょうか。
次は「ノラや」です。愛猫のノラが失踪してしまうエピソードなのですが、子供と同等だったのでその落ち込み方は深く苦しいものでした。しかし大黒様はまわり心配してくれたみんなの優しい気持ちと理解してから元気になります。迷った因幡の白兎は自分であり、大黒様は自分を見守ってくれた人々ということでしょう。そしてすばらしい「摩阿陀会」はずっと続いているのでした。そして最後のシーンで見た「夢」。本当に善意のある良い人ばかりの映画でした。
「真夜中の招待状」野村芳太郎監督 1981年
なんというのでしょうか、かなりの方が今では見ることが出来ない方です。奥様になられた方や亡くなられた方など、今と俳優がまったく違うといっていいのでしょう。1981年ですよ、ついこの間なんですが。
映画はおかしい始まり方をします。婚約者(男のほう、A)がノイローゼで精神科にかかるとなると女のほう(B)の家族が急に反対します。AのノイローゼというのはAの兄弟が4人中3人までが失踪したということに起因します。そしてAの精神治療が始まるのですが心の奥底に立ち入るとのこと。とりあえずいいスタートです。まったく流れが見当つかない。景色も水戸東海村、沼津、熊本ときれいですし、女優陣、男優もですがきれいです。音楽もいいなあ。映画ってこのくらい世俗と違わなければだめですよね。
途中、暗示=呪いが出てくるのですが、その説明のときにサブリミナル効果を使うのです。この映画タイトルバックでやたら変な映像が挿入されていると思ったら、このことの布石だったのです。これもだましが入るんですがね。
「暗くて長いトンネル、トンネルを抜けると深くて吸い込まれそうな谷、またトンネルがあり左手に城跡が見えて、、」高森から高千穂のあたりではないか、ということです。
ほとんど書くことがないのですが、それは監督脚本が、話がばれない程度にうまく端折るからです。結局、もしかして、と思う材料を見ているものに与えないのです。事が起こってしまったら結果として説明は入ります。見ているものの好奇心は持続しますが、ちょっとずるい感じもします。熊本で「新薬の副作用」に展開したときは唖然としました。ここまで行くとつまらないとも思うのですけどね。しかし展開は高千穂線になりますね。この辺の景色はいいので画面がきれいです。
あとは、まあ人間関係の説明と、お金と誠意が違うこと、そのことで愛情も壊れること、などが描かれますが、ポイントが高千穂ですね。結局この映画のおいしいところは女優でも俳優でもなく高千穂が持っていってしまいました。実際に伊勢と同時に日本人なら行くべきところでしょう。でもお神楽の高千穂神社って意外と小さいですけど。
映画観ている人にしかわからないともいますが、順吉があの患者だったとは、思いませんでした。藤田まこと、丹波哲郎が本当にちょっとしか出ないのですが、いい味出てますね。
「満員電車」 市川昆監督 1957年