ティークリッパーの興隆

イギリスで19世紀インド貿易船のスピード要求が、自由貿易主義の発展に伴って1849年に航海条例が廃止されるに及んで、外国船との競争などの問題により快速船の重要は高まってきていた。

しかし、当初はスピードではアメリカ製の快速船(ヤンキークリッパーともいう)の方が優位であった。このアメリカ製、イギリス製をとはず中国通いの船は帰りにお茶を積んでその早期運送を競ったのでティークリッパーと呼んだのであります。しかし、アメリカは国内に南北戦争などがあり、国際海運からしばらく手を引くことになり1860年以降はイギリス船同士の競争となっていきます。この時にエアリエルとティーピングの激戦が1866年と1868年に繰り広げられ前者はグレートティーレースと呼ばれるまでデットヒートしました。その後もカティーサークとサーモピレーなどの激戦は有名です。

グレートティーレースは99日の中国の福州からロンドンまでの過酷なレースでエアリエルとテーピングとセリカ号は同日に到着するという内容でした。エアリエル号はDOWNS10分早く到着しましたが優秀なタグボートがテーピングについたためドックに入り荷を先に下ろしたのはテーピングでした。よって、賞金はテーピングに出されたのですが、

後味が悪くエアリエルの有名な船長であるケイ船長と賞金の半分は折半したといわれています。

しかし、1869年にスエズ運河が開通してからは蒸気船のみが通行できることもあり危険を冒してまで帆船で運送するメリットはなくなり商業帆船の時代は幕を閉じるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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