このときGはモスクワにいます。ということは2組とも別れ離れでABが一緒にいるということです。カーチャというこどもがBCに出来てます。そして子供とCのところに帰っていくのです。
サーシャという男の子がAGの間にいます。そしてモスクワは今度は公平、平等の名の下人民軍の統治が始まってます。統治とは言わないですね、分配でしょうか。
そして薪泥棒しているところをAはアレックギネスに見つかります。この人はAの兄でした(E)。Eはこのことでは党を裏切り、弟を許します。しかし入党しない弟に対して、「党に理念はわかっても入党しないやつはひ弱な賛同しかしない」という判断をしてます。まあすべてをかける人間と違う人間(リスクへッジ)の差です。そして言葉の端に「モスクワにいるな」という兄に従ってウラルに向かいます。屋敷も取られているので問題ないでしょう。途中でまた人間の業がでてきます。それは、Cの評価もまた低いものです。あれだけロシアから馬鹿にされてきたのに、今度は自分が馬鹿にされてもいいのでしょうか。
第二部
途中Aはひょんなことから、Cに捕まってしまいます。CはAたちの舞踏会を良く思っていないので手加減はしないでしょう。Bがいてくれたらまた話は別ですが。「個人の時代は終わった、愛とかはいらない」というような言葉、Cも変わったのです。BがいなくてもBと会ったという話で助かります。そしてBはユリアティンにいると知るのです。期待を持たせる情報を得ました。そして、そんなたたないうちにCが失脚したというニュースまで。Cは土台を作るまで必要なタイプの理想を追う理念家でしたから体制をある一部の人のためにする段階では要らなくなる人間です。そして満州に逃げてます。何故満州か?別に意味ないのですがソビエトの人間が逃げるときの果て、なのでしょう。そしてロシア皇帝は殺されます。見せしめですね。このときのロシア皇帝の内部の話も面白い話がありそうですね。
ユリアティンで再会するAG。静かですが、内面では激しい情動がうまく表現されてます。会うべき人には会えるのです。また会いたいと念じていれば会えるのです。
そして二股の生活。Gはまた身篭ってます。そして薬を取りに行き、関係をすっきりさせておいて帰る途中にパルチザンに襲われて仲間にさせられます。まあ医者がほしかったのです。しかしこの時点でどちらがパルチザンかまったくわからない感じですけどね。「人間の条件」とまったく同じ展開ですよ。白軍は皇帝が殺されているのでよく抵抗はしていると思うのですが。日本軍もそうでしたからね。
ある程度パルチザンも目的達成したあと、逃げても追われない時に、郷愁から家庭に帰りたくなります。そしてひとり原野を彷徨うのです。動機は「人間の条件」とまったく同じ。シーンも見ているかのごとく同じです。この映画には先があって、家族はいない状態になってしまったことです。梶上等兵も帰っても同じだったと思いますけどね。Bが心づくしの準備をしてくれてます。BとGがAを探しにきたときに会っていて、手紙を言付けていたのです。その手紙にはBのことをある程度知っていること、そして子供のこと、これから行くところなどが託されてました。Aは家庭に戻るべきでしょう。しかしこれほどまでにABと燃え上がらなかった映画だったっけ?まあモスクワでBの叔父ということで姦通していた男が助けてやると来ますが、逆に居場所が判っているということは危険なことでもあるのです。まあどうせ捕まるならと、昔家族で住んでいたところに行ってぎりぎりまで一緒にいようと覚悟を決めます。そこは妻の愛情が感じられるほど、そのままに残してありました。そこで久しぶりに詩情が沸いてきます。そして「ラーラのテーマ」が心地よく流れます。生活も静かな良い時間の流れで、ほんとに久しぶりの人間らしい生活です。
しかしCが死んで追っ手が翌日来ると叔父が知らせに来ました。「この大悪党の保護を受けてくれ」とくるのです。ここで尊厳を取るか、逃げるか、Aとすると不倫ですから、自分の立場というより感情、愛情で動いているのです。しかしGへの愛がないのではないのです。家庭は大事ですが好きな人が出来てしまうことは男も女も仕方ないのでしょう。Aは両方を選択します。すなわちBを叔父と先に行かせて後から行くといい、自分は永遠に近い別れを心の中でするのです。まあ家庭外での愛はこれで終わりでしょう。しかしAには待っている人もいるから、そこに戻らないと。ここで重要なことはBが最終的になぜ、行ったのか?母親の義務、愛情の証を守るということです。その子供がこの映画の冒頭の子供です。
終始ABの愛が変わることはないのですが、子供は両親がいないことをうらんでいます。愛と両親の問題、政治の問題、そして受け継がれるべき血統を見事にまとめております。少し判りにくいかもしれませんがそれは、血の流れ、を表現するためでしょう。愛情の表現だけならもっと簡単なんですがね。
「トリコロール」白の愛 キェシロフスキ監督 1994年
男が歩いていると鳩の糞が落ちる。いやな予感。まさに離婚調停の始まり。理由は性的不能。夫は愛しているというが妻は愛してもいないという。実際に電話をしても店に(美容院やっている、夫のほうは腕もよく、お客様がついている)訪ねてもだめ。実際に離婚成立の後、いちど試してみてもうまくいかない。夫はここで結婚式の日を思い出してみるのだが、今まで愛のメッセージを妻から受け取っていたのかもしれない。それに気づいていないのかもしれなかった。当然、妻のほうは夫をまったく忘れたい存在ですね。