時間が一日ずれることに気づいたAはBに相談して昨日あったことが実際に起こることを照明します。そのときBからテレポーテーションとかの説明をされている雰囲気はもう初恋ですね。いい感じです。その前にBの家の温室で「ももくり3年かき8年、、、」の歌をいつの間にかハーモニーしているんで、どこかに憧れがあるんでしょう。子供のときの傷に気づくのですがねえ。しかし、なんというやわらかいテンポなんでしょう。素晴らしい。今では考えられないようなテンポです。屋根の落盤事故のときに子供のときの記憶が元に戻ってから、Bの存在を無我夢中で追いかけてしまって、時空間を飛んでしまったらしいのですが、海の先端の岩肌の花を取りながら話している構図はきれいですよね。おかしくなったときに戻るときにいろいろな人生のページを見ていくのですがそこでBは死んでいたということを知るのです。この土曜日の実験室に戻るときの時と風景(尾道)のコラージュと音楽、良いですねえ。実はリアルタイムでは馬鹿にしていたんですが、今見ると良いです。監督も多分今よりもずっとロマンティックだったんでしょう。しかし、美しいです。そのあとの未来人とかいう説明はさすがについていけないですが、これSFなんですね。SFでない方が良いのに。最初のスキーのシーンが未来人がやってきた合図なんて、監督はSFと初恋をダブらせてかなり確信犯的に作ってますね。それで映画の前の文章になるわけです。しかし一目あったその日からの大恋愛という感じのスタートではないんですが、実験室では「私もついていく」と大恋愛に発展しましたね。ちょっとずるいなあ。監督手を抜いている感じもします。途中経過が大恋愛かあ、と思うのです。しかし最後に又出会いましたね。これで大恋愛完成です。そうしたら今までのシーンが、動く記念撮影みたいに楽しく、本当に走馬灯のように流れて行きますね。これはリアルタイムで観ていたら気に入る映画になっていたことでしょうし、この女優一作目からいい映画に出てますね。ユーミンの最後の曲も良いですね。今になって角川映画なんて観てますが、当時は5本くらいかなあ、ロードショーで見ていたの。
「ドクトル・ジバコ」デビット・リーン監督 1965年
よい映画ですね。しかしかなり入り組んだ構造なのでアカデミー賞も主な部門は取れなかったのでしょう。ラーラ(Z)の娘らしき人がみつかり、話しを聞いているうちに、中央アジアの平原の中でジバコ(A)の母親が埋葬されるシーンに移ります。魂は肉体を離れただけです。ここがポイントなんです。バラライカは弾けなくても、大きくなったら詩を好む医学生になります。ここでトーニャ(G、母が死んだあと母の友人の家にもらわれた、そこの娘同い年くらい)はどうしたのかというとパリにいます。
そしてラーラ(B)がモスクワで恋人(C)と一緒にいるのですがCはボルシェビキみたいな左翼系学生です。Aが見ている中Cはデモに参加して、Bは舞踏会に出かけます。4人がうまくクロスしてますよ。舞踏会は貴族特権階級、外は労働者階級でこのデモは弾圧されます。そしてBは叔父から迫られて、そのときに弾圧が始まり、その音を聞いて外に出てきたAは衝撃を受けます。Bは教会で「肉欲は結婚の契りによってのみ許されるのだ」と諭されますが、Cはこの弾圧でより過激的に変化していきます。AGはまさに良いカップルなんです。しかしBの叔父夫婦がちょっと変態じみていて危篤状態に陥ったときAの先生が呼ばれて、Aも一緒についていきます。ここでABの初対面が。しかしBは状況を知らせにきた叔父に抱きついてしまいます。やばい、見られた、という感じのシーンです。ここで重要なことが起きます。この叔父はAの父親を知っているというのです。Aはそんなことも知らずに、起こった2つの情事に放心状態。
そしてBCは結婚すると叔父に打ち明けます。まあ叔父との腐れ縁も解消したいんでしょう。叔父もそう簡単に納得はしません。Cが一途過ぎるのです。「不純同士の交歓」で逃げられてしまいます。このあたりBはこんな女だったっけと記憶が曖昧でした。まあ清算に出かけますが舞踏会に行ったとのこと、後を追いかけます。そしてその舞踏会にはAGが来ていて、かつ建物の前でCに会います。全員そろいました。殺すでしょう。失敗して取り囲まれたBを割り込んで救おうとするのはCです。ここで思い出しましたがこのCはまさに「人間の条件」の梶上等兵にそっくりです。悩み方まで似ているような気がする。
話はかなり対になるところあるので、続けてみることはお勧めはいたします。右翼的な勢力をうまく利用するというところはうまい。ドイツとロシアの戦争です。この時宮中にはエカテリーナ2世(ドイツ出身)がいたんですよね。「幸せな人間は兵役志願などせず、兵役免除を神に感謝する」まるっきり「人間の条件」と同じ。違うのは兵士が疲弊して(映画では自主的に)帰宅し始めたことです。確かに日露戦争もあったんですし、おかしいですよ。そして人間の条件と同じように帰る道ながら、いろいろなことを思ったんでしょう、革命の兵士と彼らは変貌するのです。アレックギネス扮する反抗分子を軍の中でまとめるスパイもいたのでしょう。そして革命の勝利に導くのです。ここまで革命軍は待ったらしい。しかしレーニンは前線をここまでは悲惨だとは思わなかった。戦場は経験したものにしか判らないでしょう。ここで国のため、戦って死んでいく命は無駄だというせりふにかなり監督の意思が入っていると思います。反戦のメッセージです。とにかく戦場の悲惨さは、当然私にはわからないのですが。この戦場の反抗分子をまとめるという、逆説的な発想ですが革命の発端となったところでABは再会します。Cは勇敢に戦い権力を物にしてます。この映画の描き方は、戦争がいかに無駄な死に方か、権力がいかにたわいもないものか、如実に語ってます。うまいと思いますよ。そして皇帝が殺されレーニンがモスクワに入ります。労働者の国家というのですが、すぐに別の権力が出来るのはご存知ですよね。