「トリコロール 赤の恋」 キェシロフスキ監督 1994年
電話がポイントなんですね。昔電話の伝達性という議論がありましたが、電話は相手にかからなくてもその時間そこにいないかまたはわざとでないという可能性のメッセージを相手に伝えるという一面があるというのを思い出しました。しかし昨今の携帯電話の発達はその伝達性も変えてしまい、電話に出る前に大体誰からかかってきたのか、わかるようになっております。ずいぶんと変わったものですが、この映画では携帯電話の出てくる前のフランスが舞台です。
どちらかというと活発的な女性Aを中心に話は進んでいきます。ファッションモデルで仕事に余暇に充実しているように見える人物です。その子がたまたま車を運転中にオーディオの調子がおかしくてよそ見をしていた時に犬を轢いてしまいます。犬の首輪をたどって飼い主のところに謝りに行くと初老の飼い主にいらないといわれ、自分で獣医に連れて行くのですが、軽い怪我だとわかり、かつ、妊娠していることがわかります。そのことで愛着が沸いてくるんですが、足が治ったか確認のために首輪をはずすと走っていって、教会の中とか入った末に見失います。Aが飼い主のところに行ってみるとちゃんと戻っています。しかしいらないからもって行けというのですが室内に戻ったときに出てこないので、探しに入るとホモの会話が聞こえてきます。それは実は盗聴でした。隣の家の電話を盗聴していたのです。女の子なのでAは盗聴はやめてほしいと、というのですが、やめないといわれ、もし本当にそう思うなら、隣の家に忠告に言ったらどうですか、とまでいわれます。当然、活発な女性Aは行ってみますとやさしそうな奥さんとかわいい娘がいるんです。いわゆる傍目で幸せそうな一家ですね。何もいえないで出てきてしまい、また初老の人の家に戻り、盗聴をやめてほしいといいます。そこでこの男が判事だとわかります。
しかしいろいろな人の盗聴を聞いているうちに、ある覚せい剤のバイヤーがいたんですが
彼に対しては電話をかけたくなります。なぜなら、事前にいつか殺される運命だと教えてあげるためです。実際に「殺される」と一言、言っただけでその男は家の中に閉じこもります。このちょうどこの言葉を電話でしゃべる前にAに後光がさすのですがそういう博愛の精神が宿ったと解釈できると思います。
そして彼との電話、行き違いになります。電話は意思相通を円滑に、かつ空間の超越をなしえることができましたが、つながらないということで不安を増長させることもあるのです。
気分が悪いのでたまたま写真家の友人が誘ってくれたボーリングに行きます。このシーンがまたすごくいいのです。落ち着いた中にゆとりの時間を感じさせてくれます。いやな気分が吹っ切れていく感じが伝わってくるんですよ。
実は判事はこのときにすでにAに惚れていたのです。判事は昔、恋人に裏切られて、追い求めたが逃げられるばかりでその結果事故に巻き込み死なせてしまったのです。そのため、女を信用もせずに、出会いもなかった数十年を過ごしていましたが犬がきっかけで女性に出会ったのです。この久しぶりに出会った女性Aが自分まさに判事が裁判されている記事を読んでどんな反応をするか試してみたくなって、自分自身を警察に盗聴の件で密告します。当然Aは新聞を読んですぐに判事の家に行きます。判事の予想通りに動いてくれたんですね。Aにいろいろと話して聞かせるのですがAも黙って聞くのです。このときの時間の流れが赤のテーマ曲がハープで奏でられ本当に幸せそうな時間でした。そこで「Aの夢を見た」というのです。Aも当然意識していていい友達になれると確信してます。そのため、次の仕事のファションショーに招待券を送ります。劇場で終わったあと嵐の中、二人だけで話をするのですが、だんだん核心に近づいていきます。それはやさしさです。
映画の途中に判事が盗聴していた恋人たちは判事の密告(女のほうがほかの男に手を出していること)で男のほうが彼女に執着したために異常な行動に出て恋は終わります。(まさに若いときの判事の再現をここでやっているんですよ)。また、もうひとつ伏線があるんですが同じく判事の若いときを実際に再現する法学生がいます。たまたま道で落としてしまったテキストの重要論点が司法試験に出たんです。彼もまた人生でいろいろな裁きをしていく過程で悩んでいくんでしょう。こういう人たちがたまたまお互いを知らない中ですれ違っていくんです。これが世の中なんでしょうね。お互いを認識しあったならそれは「縁」なんでしょう。
そして、Aは判事と劇場で別れたあと、「やさしい」気持ちになっているんです。ポストに郵便物を入れられないお年寄りも助けてあげたりして、以前の活発でバレエのレッスンのあと水をがぶ飲みする時とは若干世の中に対する感性が変わってきてます。ここがテーマです。「博愛」です。
それは最後に船に乗って恋人に会いに行くとき、ドーバー海峡で船が遭難します。何人かの救助された人がいますが、「青の恋」「白の恋」の恋が重なり合い、その主人公たちが偶然そこに居合わせてすべてが救助されます。そしてAも救助されます。遭難のニュースを今度は新聞で知った判事はテレビを(テレビはAからもらったもの)子犬たちと見ていますが(子犬はAに分けてあげる約束したもの)最後のほうで見つかり、判事はほっとします。今度は心の恋人を死なせずにすんだのです。すなわち、相手を追い詰めないで理解してあげる余裕ができたことを実感できた瞬間でした。ここで終わるだろう、という瞬間にさすがに終わりました。一連の3部作も終わってしまい大事に見てきた楽しいときも一旦は終わりますが、本当に私の中ではこの3部作はすごく大事な映画です。