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重労働に出されますが、やっと光が。丹下(そういつか病院で一緒だった、そして途中まで一緒でこの章のはじめお山の大将のところで脱走兵を殺したやつを撃ってしまってあとでひとりソビエト兵に投降したやつです)に出会うのです。仲間がいるということはうれしいことですね。「階級的に捕虜のやつらは敵ではないはずだ、しかし感じるんだ、欠けているものを。それは唯我独尊」このせりふ、もしかしたら今の映画では通用しないようなせりふかもしれません。この映画全般に意外と難しい概念が普通の会話で出てくるのです。

撮影の宮島さん編集の浦岡さんはじめ素晴らしいスタッフの結集の賜物です。

 

「人間魚雷 回天(にんげんぎょらい かいてん)」松林宋恵監督 1955年

なんというか、事実なんですね。特攻隊とともにすごい攻撃の仕方です。たまらなくいい映画ですよ。特攻隊については少しは知っていてほしいし、回天についても知っていてほしいと思います。これはこの映画には出てくることですが、特攻隊は人間魚雷の場合は軍隊年数の少ない、学徒たちが割り当てられたみたいです。それは短期間に訓練は難しいから。本当かどうかはわかりませんが、海軍経験10年もの古兵はこの映画では特攻隊に行きません。この映画はどのシーンを切っても絵になる、すばらしい映画です。こういう映画は少ないのですが、どこを切っても大丈夫です。その瞬間すべてが何かを語っている映画ですよ。

「突撃する」このことはハッチを閉めた時点でこの世とのお別れを意味します。この講義を聞く兵隊の真剣な目つき、そして機会があったら彼らの日記とか読んでみるといいと思います。あとノート、きれいな字で書かれております。

この回天、速度計がついていないんですよ。自分がどのくらいのスピードを出しているのかわからない。設計者の考えはおおかた見当がついてますけどね。

あと練習中の兵隊の言葉に「俺たちは人間じゃない、生きていると思うな、生きていると思うから苦しくなるんだ」という言葉がありますが、そうでしょう。これは経験してみなければわからないことです。そして明日が出撃という日が来ます。場所は大津島というところ。失敗しそうだからあいつははずすか、とか、坊主の出身の兵隊が数珠を自分の乗る潜水艦(人間魚雷)につけて「地獄行きは覚悟しなければ」というくだりがあったり人それぞれ、身分相応に立場が違えば考えも違うんです。しかし、国のためというのは変わらないです。出撃の前の日の宴会は、なんというか華やかなもので、あきらめの後の人間にしかできない開き直りが楽しいものになるのでしょう。ということは、今の時代は、開き直りや、ぎりぎりに追い詰められた状態ではないということですね。

俳優の名前はわかりませんが朝倉少尉と役者名で殿山さんと加藤嘉さんの3人のシーンは涙がこみ上げますね。こういうことは実際にあったんでしょうね。もったいない人材を失ったものです。このようなシーンもこの監督はその効果を狙って作ったというより、実際にあった事を、なくなった戦友たちにささげるために作ったから、その失った友を思う、偲ぶ気持ちが弔いとなっていい映画となって結実したのでしょう。

カントの「そうだ、これでいい、なにもかもいい。もはや言うことはない」と死んでいったときの心境にまで昇華できたのでしょう。

唯一、笑えたのは「特攻隊の方々の前に出ると、軍神ですから」とおびえている給仕兵隊に対して「軍神か、早いこと化けの皮がはがれる前に、神になるか」という冗談を言うときです。極限まで行くとこういう冗談が言えるんです。冗談というのは中途半端な状態ではいえないことなんです。真の冗談というのは、貧乏など極限のときに出るもんです。

しかし仲間の潜水艦が空母など大物に出くわす前に撃沈してしまっており、人間魚雷は発射されずに死んでいきます。それを聞いて乗組員はあせります。駆逐艦が来て潜水艦を撃沈しようとしたとき、艦長は深く潜水しません。なぜなら、回天が壊れる危険があるからです。しかしこの潜水艦も人間魚雷未発射のまま撃沈してしまっては意味がない、そう思った回天乗組員は、たとえ駆逐艦相手でも私が行くといいます。艦長も仕方なく承知。

そのあと、艦隊に遭遇して2隻の空母を含む軍艦を映画の中では爆沈させました。

解説でもありますが、この回天は成功率が高く、戦後すぐに回天を搭乗した潜水艦を連合軍は調べたらしい。死がわかって、生の期限を切られても、相手艦隊にぶつかっていく精神力を持ち続けることは並大抵のことではありません。彼らの魂の鎮魂をするとともに、このような戦争を繰り返さないように努力することは必要なことだと思います。

NYの9.11のテロとは質が違います。中東の自爆テロとも次元がまったく違います。なぜか?わからない人はいないでしょう。

「ねらわれた学園」大林宣彦監督 1981年

この辺の角川映画は私にとっては誤差で、ほとんど違いがわかりません。ということではじめて見ます。

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