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どうにか逃げ切り、中古車でピンクキャディラックを買います。プレスリーが大好きな母親へのプレゼントです。しかし当然実家は警察が張り込んでおり、親に会ったのもつかの間、また警官に囲まれます。そんななか、Aは発作で倒れます。Bは捕まえようとする警官を抑え、早く、救急車を、と病状の説明をします。当然、救急車で運ばれますが、Bが付き添っているときに、多分、何か未練があったのでしょう、Aが意識を取り戻します。そうなると猪突猛進する二人は救急車を奪いそのままオランダへ。途中、冒頭のキャバレーによってしまいます。そこで女を抱いているときに当然、つかまります。相手の懐に入ってしまったのです。つかまってもそのときまでに二人は新聞などで寄付を募集している人たちにお金を配ってしまったのです。もうないというと、ボスが出てきて、逃がします。ボスは彼らの行動の爽快さ、正しさ、かつ殺そうとしても怖がらないこと知っているんですね。さらに彼らが見たがっている海と夕日の美しさ、それらがさいごに溶け合う美しさが心の中に永遠に残るということを知っているんです。どうせ戻らない金なんですから、夢見させてあげるんですよ。さて、海に着くと、お互い顔を見合わせます。そう、ここが彼らの死に場所ですね。海への一本道を歩いて見た海。初めての海。その砂浜で酒を飲みタバコを吸って二人座って海を見続ける間に死んでいくのです。さいごの場面でボブ・ディランの「天国への階段」のカバーがかかるんです。実にいい映画です。大のお勧め。

 

「ノボ」 ジャン=ピエール・リモザン監督 2002年 フランス

役者と監督が楽しんでいる映画があると思います。これがそういうタイプの映画ではないでしょうか。うまくいえないんですが、見ていて心洗われるとか考えさせられるとかないのです。日本も最近この手の映画が増えているのですが、役者は楽ですしイメージが崩れないしこういう映画は好きでしょう。監督も作りやすいと思います。しかし観客が楽しくないといけないのです。見ていて、君たち楽しんでいちゃいけないよ、と思います。「ガタカ」もそうなんですが、モデルとかスタイリッシュという言葉を変に勘違いするとこういう映画に仕上がります。「ガダカ」も魅力的なはずなんですがなぜかまた見たいという気にさせられない映画です。この映画はその前の段階、この映画にお金出した人がいたのか、という疑問ですね。しかしつまらないかというとそうでもないんです。多分私が年を取って愚痴っぽくなったんでしょう。さらに最近邦画のいい作品を見ているので、かつ洋画も美人ばかり見ているので、この映画の俳優たちが目立たないということもあります。世間ではこの女優はシャネルのミューズという言い方しますが、??モデルというだけです。男優もそれほど良い男という感じではないです。

記憶がないから新鮮であり続けることはできるけど、記憶がないから感動の積み重ねもできないんですよね。記憶の共有ができないということは意外と深い関係になれないということのような気がします。そんなこと考えてみる映画でもない感じがしますけど。事実女のほうは感情が記憶として積み重ねられないのでいらいらします。それまでは記憶喪失の男と欲望だけで関係が成り立っていたのですが欲望もまた、記憶がその高揚に大きく関係するのです。映画自体はこの欲望について中心的に描かれますが、男が記憶が戻ったとき妻とこの女と3人の関係が本当にスタートするのでしょうか?体は記憶がなくてもこの女のことを覚えているのでしょうか。この記憶喪失、無意識の状態での欲望の深さと男と女の結びつきについて、それはありえるという回答が用意されております。まあ愛と夫婦は作り上げるもの。欲望は人間本来のリビドーと私は思うのですが、そうなると妻のほうが不倫を認めなければ成り立たないのです。ですからそこまではこの映画は描いておりません。その一歩前でとまります。そう欲望の関係が頭でなく肌で直感的に覚えているかという問題提起なのでしょう。面白いと思う人もいるかもしれませんがちょっと軽く作りすぎているな、という感想です。

「ナチュラルウーマン」佐々木浩久監督 1994年

この映画実は気に入っているんです。原作も読まなくてはいけないんでしょうが、とにかく映画が先でした。

ABという二人の女の子が同居しているんですが、主人公のAはあるとき夢でほかの女の子のことを想像して燃えてしまいます。この夢の女の子をCとします。

ABは漫画家志望。Aは夕べの夢を漫画にしてみるとBは意外と興味を示します。ここで思うんですがABの関係が本当に女の子の間柄でくっつかず離れず楽しいみたいな感覚ですごく観ていてほつとするのです。さらにACの女の同姓への憧れというのはよく聞きます。

私自身が男の同姓に憧れを持ったことがないのでよくわからないのですが、女性の場合はいろいろと打ち明け話は聞いてます。私が異性だから話してくれるのでしょうけど。

ACの出会い。それはCの才能がうらやましくて、AもCの所属する漫画研究会のようなサークルに応募したことです。そのとき才能があるはずのCがAを気に留めてしまったのです。Cだって普通の感情はあります。好きになって何がいけない?何もいけないことはないという具合。ACの出会いは大学時代。ABの同居の時点ではACの関係は終わっているのです。それを過去形ですが、今起こっているかのように描いていくのです。どういうことかというとCもAの才能を見抜いていて友情を超えた愛情を築きたいと思ってAを旅行に誘ったりしてCだけのものに囲い込もうとするのです。まあ女同士の相思相愛です。これがこの映画ではわかる気がするので、俳優が意外と適材適所なのでしょう。Cいわく「男とならいろいろと我慢しなければならない」というのです。ですからCの方が積極的でAはCに対する憧れの部分が大きいのです。

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