鹿児島の上野原遺跡の9500年前の様子。鬼界カルデラから出てきたつぼ型土器、定住集落のあと。時代が早いです。実はこの遺跡知りませんでした。食べ物は、炉で蒸したり燻製を作ったり。おいしそうですね。基本的に土地の所有権なんてないからおいしいところに人はあつまります。また紋様が貝殻なので海とつながりが深いこと。それは北から来た人々がマンモスとつながりが強かったことと同じです。
そして沖縄(ここも日本というのは良いですね)で見つかった港川人(日本最古の人骨、氷河期末期)の頭蓋骨の形状が南方(インドネシアのジャワ島)のワジャク人と似ていて中国大陸系の形でないこと。なぜここに住んでいたのか?それは氷河期住みやすかったから。そして氷河期はジャワ島付近は島が連なる大陸だったのです。(スンダランド)
しかしご多分に漏れず、氷河期が終わるとまた島々に戻ります。そして人口密度が高いので海に出ていかなければならないのです。必要性アプローチの結果人類で一番最初に航海術を取得しました。ユーラシア大陸の人々は自分の大陸がなくなってしまうという必要性アプローチがなかったのです。その一部はフィリピンにたどり着いて、いまでもある種族のDNAを検査するとホモサピエンスに近い値が出てきます。そのフィリピンから5000キロにわたって流れる黒潮がこのような人類を沖縄まで運んだということ。この黒潮は世界最大級の海流ということです。日本は恵まれた条件がそろってますね。かつおなどもこの海流で運ばれます。そして12000年前黒潮の流れがより日本列島沿いに北上します。そして九州にたどり着きます。そしてそれに伴い照葉樹の森が広がります。そこからはマテバシイやヤマモモなどあく抜きしないで食料となるものがたくさん取れたのです。そのことが定住生活につながります。
しかし鬼界カルデラの噴火。俊寛が流されたところあたりですね。やはり意味があるのですね。6300年前の噴火で全滅しましたがその前に黒潮の流れに沿うように文化や人の移動が行われていたのです。それは高知、和歌山そして東京まで及びます。そして混ざり合い、縄文人の土台が出来上がっていくのです。そうですね、マンモスハンターすなわち北の人々と、黒潮の民が混ざり合い縄文人が形成されていくのです。大きな混血です。
「はるかな旅・日本人3」NHK 2002年
海が育てた森の王国
縄文時代13000年前から2300年前まで、詳しくは覚えていなかったです。きっかけが始まりと終わりにあるのでしょう。キーワードは「森、定住、集落生活」です。ここに日本人のルーツがあるらしいです。落葉広葉樹における移動生活から定住生活へ。それは8000年前くらいの黒潮の流れの分流が「対馬暖流」が日本海に流れ込んだから、(温暖性)広葉樹、照葉樹において定住可能性が広がったのです。しかし黒潮と対馬暖流の流れているところルートで追うと魚がおいしいところが多いですね。逆に親潮が降りてくるところに寒いところの魚が多いです。ちょうど大洗沖で黒潮が向きを変えるのですがそこには親潮の影響のアンコウ鍋などがありますものね。シベリアからの寒波とぶつかり上昇気流の発生、山岳地帯での雪。太平洋側での雨という水分豊かな国の誕生。四季の季節感の誕生です。磨製石斧が鉄のかわりに斧の役割をします。そして定住の住まいもまた森の木から作ることとなります。定住生活が長くなると分業などの生産性の向上を図ります。5500年前の三内丸山の大規模集落などです。ぶななどの伐採とともに栗の栽培を行い食生活の安定を図ったのです。この栽培ということは必用なものをいつでも手に入れることができるということで漆なども栽培すれば装飾として利用できるのです。そして交易の実施(海の近くの集落、港の意味がある)。日本海中心に糸魚川、佐渡、十勝などです。大規模集落も日本海中心に点在。これは対馬暖流が今よりも勢いがあったから交易の移動手段で迅速に交易できたため。気温が高かったというのは青森に行ったときに聞きましたがそのため海水面が高く海の部分が大きいため、海流の勢いが強かったのでしょう。太平洋側は?親潮があるから移動のハイウェイはフィリピンから日本には早かったのですが、日本国内ではうまく利用されなかったのでしょう。しかし4000年前に気温に低下とともにこの大規模集落は衰退。根拠は繁栄の元は栗の栽培でしたのでその交易手段たる栗ができなくなったからです。そしてこの寒冷化によって日本は平野ができます。地図を見るとわかりますが、今よりも海面が高いと日本は平野はほとんどなく、海と山しかないですよね。平野は最後の温度低下で今の温度になったときに最終的に形成されたんですね。そして山を背景に平野で共同生活を営むようになって今の生活の原型ができてくるのです。
「バチ当たり修道院の最後」ペドロ・アルモドバル監督 1989年 スペイン
また映画で欧州旅行の感があります。
この監督は最近の作風がまったく変わってきており、昔の作品に興味がありました。
まず断っておかなければならないことは、この作品でさえ私は良いと思います。なぜか、下層の困ってもがんばって生きていく人たちを描いているからではないでしょうか。音楽もはじめからゆっくりのテンポにリズムをベースで強く刻むラテン調ですし、場末の女もたくさん見ているので彼女たちの哀れみ(と周りは思うでしょうが、実はすごく元気)もかなりわかっているのですごくわかりやすい映画です。人生とか愛とか悩む前に食べて寝るということですからわかりにくいことはないのです。