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Aが作る舞台は終わった二人には必要ないもので、続いている二人に、いや三人に必用なものです。その前の日にDの部屋掃除してくれるんですが、女が男の部屋掃除するということは心許してますね。母への信頼が厚いので母の愛した人は大丈夫ということです。そこから入り込んでDを信頼できる人だと思ったんですね。この信頼されたことがDを大きく変えます。また自分たちの信頼を取り戻そうとするのです。自らの行動に出ます、自分たちの家庭の再構築に。AはDを通じて愛するということを知ります。愛する人と一緒にいることの楽しさですよ。これはそのあとの恋愛に大きく関係します。

「あの手紙なぜBは出さなかったんだと思うy」「おれはもらいたかった」とDがいいながら「何故いまさら俺たちをあわせようと思うのか」と質問します。答えは簡単、Bが出さなかったのは時が違うから、縁がないからです。思い切りが二人になかったことです。そしてAの行動は「愛するということ」をBとDを通じて結果的にCも通じて知るためです。

本当に良いプロットです。4人の愛情の表現が違うのですがABDは似ていてAはそこに共鳴するのです。Cは少し引っ込んでいるけど最後にぱっとすべてをさらけ出す、タイプです。ですからいいところを持っていけるのです。まじめでなければできないですけどね。Aは最後の日Dの家をあとにするとき、愛する人と一緒になるのにはなにが必要なのか、知らされて自分にかけていたものを知ります。雨のシーンですね。次の日にCに家族旅行を提案するのもそのせいです。

「憧れではなくお互い本当に好きになった初めての恋だった」「いつかAが恋をしたときも恐れず一歩一歩前に進めていってほしい」という気持ちでとっておいた手紙だということです。桜の下で母の気持ちを知ります。そしてDの思いやりも伝わります。だってそこにCが来るんだから。私からするとちょっとの出演でおいしいところみんな持っていってしまった感じです。平田とか竹中とかの役者は本当においしいところもって行きますね。

「あの瞬間があるから今があるんだ」

はい、チーズとみんなで写真を撮って終わります。恋人もできたしBの最後の遺言でした。最高のときをAは自分のために演出したんです。

 

「花嫁吸血魔(はなよめきゅうけつ魔)」並木鏡太郎監督 1960年 

日本の映画って上映やテレビで放映されにくい作品があって、この作品も若干その傾向があります。なんというか差別用語とか身体の不自由な人をよく扱わないケースなどが昔の映画には意外と多いのです。

なにか吸血魔の一族がいて誰か仲間が来るのを待っているのです。それは闇の世界の話。

そして現実の話では、バレエ教室に通う美しい生徒(A)がある映画のスターに抜擢されるのですが、その家庭は破産して家の抵当権を執行されるところです。これは映画を撮るということでどうにか成りそうなめどは立ちます。

しかしバレエ教室では男をめぐって熾烈な女の戦いもあるのです。これはAはあまり関知しないのですが周りはAに持っていかれるのを悔しく眺めているのです。しかし女優の美しさは変わらないんですけどね。このころの女優はみんな美しいですよ。

Aをものにするために無理やり分かれさせられた女は当然Aを憎みます。冷静に考えると女と分かれてきれいな身になってから次の女にアタックするというのでやけにいい男ではありますよね(C)。実際はかなり二股かけるやつが多いですよ。

Aに求婚する男(B)はバレエ教室で妹がAと一緒で知り合ったみたいなんです。BCは別の男で知り合い同士なんです。CはBがぞっこんなのを知っているのですが、Cも遊んでみたいという気持ちがあるのです。たまんないのは周りの女。みんな男をAに持っていかれてしまいます。そしてハイキングのときに上から突き落とします。男と女Aはどちらに不幸にされるかと見ていたんですがやはり女でしたね。顔に傷を負います。

そのため、スターの座はだめ、ということは抵当権執行で家をなくし、母は自殺します。遺言で「おことさま」を訪ねろと、その人は唯一の血族だというのですが、この辺からなだれのように変な映画になっていきます。この変化はすごいですよ。この家系は平安時代からの陰陽師の家系とのこと。たぶん南朝について野に下ったんでしょう。それ以降祈りの悲報まで習得して代々引き継いできたらしい。まあなんでもありです。たとえば、自殺するんですがこの「おことさま」の血を飲むと傷もなくなり生き返り、復讐魔になるのです。しかしやさしいところもあり、昔の彼の婚約者については彼が新たに真剣に愛しているのを見て、かつ女が自分のしたことを心から後悔しているのを見て許します。愛する人が幸せになることを願うのです。しかし復讐の血がそうはさせてくれないですし、襲った後、鉄砲で撃たれて怪我をします。何か愛らしい生き物ですよ。いや化け物か。

最後は死ぬと昔の美貌を取り戻し、昔の恋人に見つけられ、多分安らかな死を迎えたのでしょう。こういうのは面白い映画だと思うんですけどね。

「ファム・ファタール」 ブライアン・デ・パルマ監督 2002年

この監督の昔の作品、良いと思うんですが投売りされてますね。これは最近では昔のテイスト復活と言われた作品です。

冒頭の黒人の話す宝石泥棒の仕方すごいですね。あれくらいの覚悟がなければだめですね。そして「蛇女」の宝石とカメラマンの冒頭の女、BGMは坂本龍一さんの音楽。会場は「イースト・ウェスト」の試写会場。この映画が何か意味あるんでしょうね。

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