前ページ

だからこの戦争はいつの戦争でもいいのかもしれない。「世界の果てまで一緒に言って、聖なる山で、精神と肉体の分離を見る」という映像というか、感覚が生まれる時代が舞台です。「世界の果てまでつれてって」とは話が違うんですけどね。懐かしいですね、この本、初版で持っているとなかなか読めないです。京都大学の生田先生の初めてにちかい翻訳本だったと思います。ABの世界の果ては、ひとつになれる瞬間です。まあ、端的に言って深い愛です。はい。しかし大爆撃のときAはBが般若みたいになる顔を見てしまうのです。般若とは悲しみにくれた果ての顔です。何故にBが?時代の代表なのか?その前にCが嵐の中家の屋根に上がって仕舞を舞うのです。Cは嵐がきっかけでこの世に戻ってきて、その霊を呼び起こすきっかけの現在霊がBなのでしょうか。とにかくBCは終わってみれば存在しないも同然の人たちです。狂っているんではなく、存在していないんです。

しかし戦争という愛情の場がAを変えます。「天井桟敷の人々」のシーンさながら「風と共に去りぬ」の炎上のシーンのような爆撃の中、与えられた場(爆撃された場所)のなかで愛を欲し、そして真実の愛を知る瞬間です。思いっきり引き寄せたぜBをAの元に。そして一緒に生きるんだ。死んでからも一緒だよ。実はBはAの母親です。Bの想いとは残した息子に会いに来たのです。そして最後に成仏して、菩薩となりかえっていくのです。

「銀河」役は橋本麗華という女の子。キュートです。そしてメイキングは素晴らしい出来。

映画自体もいい出来なのでそのメイキングが悪いわけないのですが手塚監督はいい監督です。ナレーションでわかります。いい映画だった。

 

 

「はつ恋」 篠原哲雄監督 2000年

本当に恋ってタイミングなんです。主人公の女の子が勝手に失恋と思い込んで出せなかったラブレターを破るシーンから始まります。この映画は何の予備知識なしで観たほうが良いんですよ。はじめてみたとき、どうしようもない映画館だったんですが、どんな作品かも知らないで見ていたんですが、どんどん引き込まれました。自分がこの手の作品を好きなんだと思い直した一作です。主人公の高校生の女の子Aとその母B父Cとします。Bの入院中にちょっとAがBの秘密を知ります。昔のラブレターを見つけるのです。それは父に出したものではなかったのです。何でとってあるのでしょう、私ももらったものでは何通かすごく記憶に残っているものはあります(実は持っていたり)。出したのは記憶にないですね。何かいていたんでしょう?

「C以外に付き合ったのいないの?」と聞かれると痛いですね。「バウンスKOギャル」ではどちらもだめだね、といわれてましたが、確かに母を見ると結果を知っているだけに娘のほうが強いこと言えそうですね。実際に伊那に行ってみることにします。「高遠」は伊那なんですね。この地名確か武田勝頼の居城の地名、この名前はとことん嫌いなやつです。黒澤監督もうますぎたのでしょうが「影武者」であの馬鹿ぶり、本当に頭にきますね。今は伊那食品かな、元気な企業として有名ですね。これも関係ないですが諏訪湖から流れる天竜川沿いは本当にいいところですよ。諏訪湖に関しては今年「御柱祭り」です7年目に一回、さるとらの年に行われます。すごい脱線しますがこの天竜川に沿って三河に向かいますと、海の手前に織田と武田の戦った馬鹿な戦の跡があります。まさに家康の地元です。

この映画に戻って、Bの昔の恋人Dの居場所をAは見つけました。多分大森海岸あたりでパチンコは蒲田あたりでしょう。落ちぶれてます。Aは桜の下で再会させたがっているのですぐに会いに行くというDをとめます。「今はだめなの、夢が壊れる」。縁というのはそんなものじゃないんです。どんな状態でも結ばれるものは結ばれるんです。強引に結ばれたのがCとBです。Cの情熱があればDもうまくいったのにね。若すぎたということは縁がなかったということです。

Aのすごいところは理想を求めてDを変身させます。たとえばスポーツジムに通ったり、スーツを買ったりして、そして途中喫茶店に行きますが、そこでビールの注文を断りトマトジュースに変更。両方ともうちにないメニューですどうしよう、作ろうかな。しかしこんなカップルまずいなくなりました。ちょっと前まではいたのですがね。ここで最高の田中による「シェー」のポーズです。こういうかわいらしいシーンは良いですねえ。このAとDのコンビは最高です。田中の作品で一番良いんじゃないかなこの作品が。このコンビはお互いに成長する次の一歩のための必然でした。ふたりとも幸せになれたのはこのコンビがあったからです。Aはこの行動力でコンビを作ったのですから幸せになれる権利があるでしょう。

そしてAも洋服買うのですがこの洋服決まっているな、萌黄色と青がかったグリーンです。

しかしDと楽しくって時間が過ぎていくの忘れて帰りが遅くなり、Cに怒られて喧嘩します。ここがすべてこの映画のテーマになるんですが、Aが病院に喧嘩して逃げている間にCは壊れたオルゴールを直しているのです。BとDはうまくいかなかったんですが、BとCはうまくいったというところがこういうところにあるのです。Cの一途な愛なのでしょうが最終的にはそれがBにも安定をもたらせた、そしてAが生まれたということでしょう。実際の生活とはそんなものでしょう。死ぬときにそばにいる人が伴侶なのです。そう簡単に築きあげたものは壊れないのです。家庭もそうですよ。

次ページ