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しかしCは神父の性的に堕落した姿を見てしまいますし、シスターの後をつけると秘密の出口があるのです。しかしCはそこから逃げられるにもかかわらず逃げませんでした。

そして極めつけはこの神父が関係したのはCの友人でした。二人とも性病になります。しかしこんな言い訳が通るわけがありません。この友人の女の子は、精神錯乱ということで精神病院に収容されます。

しかしCは弟が迎えに来て、修道院から出ることができます。家族が受け入れてくれると大丈夫みたいですね。

残るABは脱走を試みます。本当にひどい仕打ちばかりでした。まさに「カッコーの巣の上で」みたいなものです。

そして成功。

その後の人生はさまざまですが、アイルランドではこうした修道院が1996年まで存在していたそうです。魂の叫びとその崩壊、さらには崩壊を防ぐ真実の内なる信仰について考えさせられるいい映画でした。

 

「マンマ・ローマ」ピエル・パオロ・パゾリーニ監督 1962年

この監督はスキャンダルばかり注目されますが、意外といい映画を作る監督だと思います。

主演のアンナ・マニャーニ(A)は大好な女優です。

作風はこの監督の一作目と近い感じのするものです。母の気持ちと子供の反発と贖罪がテーマに近いと思います。そのことを画面では、キリスト教の有名な絵画の構図をモチーフにして描ききっております。気がつかなかった点ははじめのシーンが「最後の晩餐」の構図ということ。

あとは磔のキリストの名前はわかりませんが、力強い絵画の構図も最後に出てきます。ここで子供は贖罪として死んでいくのです。その過程は母がもと娼婦でまるっきり恵まれない家庭だったことで一人息子に過大な期待をすることに起因するのです。この期待は当然なものなのですが息子のほうは体が弱く、また少し引きこもり気味な性格で母の心配を招くのです。ですから、母が狂言でまともな就職口を見つけてくれるし、元娼婦の直感で息子が親しくする女を避けるように指示します。これらが息子には余計なお世話に映るのです。しかし人生の修羅場をくぐってきた女の正しい判断なのです。そして唯一の欠点は息子をまともな人生を送らせようと考えた母親の気持ちが強すぎた点でしょうか。しかしこれは当然のことで、欠点とまではいかないはず。

上の就職祝いに奮発して買ってあげたオートバイで街を親子で飛ばすシーンはこの映画での幸せのピークなのです。たかがそんなことで幸せのピークが来てしまうのです。

あとは、昔の男にまた娼婦にさせられたり、息子が仕事をやめて、あまり好ましからざる連中と付き合いだしたのも悲劇への加速の度合いを強める効果しかありません。

そのまま、犯罪、そして監禁、磔の治療(体が悪い囚人ということなのですが)、死。

最後にその死を聞いたとき母親も飛び降り自殺しようとしますが、市場で働く下層階級の人々はこの母親の気持ちがわかりすぎるくらいですので必死に止めます。その力で死ぬのをあきらめた先には教会が光り輝いているのです。

まさにこの舞台となった地域はイタリアとは思えない、合理主義の建物と市場、(それは汚い市場です)、そして対照的なローマ帝国の遺跡と周辺空き地、さらに最後の鐘もいわゆる団地の中に燦然と輝く教会の鐘でした。

このことは単刀直入に社会の貧富の差と下層階級の悲劇を見事に浮かび上がらせるのです。

音楽が「鉄道員」「ブ―ベの恋人」などの作曲家というだけあって、哀愁のある印象深いいいスコアを提供していると思います。この監督もここから「王女メディア」にかけては才気いっぱいの監督だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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