あとで説明するC(親戚を訪ねてきた)と鉄道会社の測量技師の男Bが近くの山にトレッキングに行く約束をしますが山が嵐で山小屋に非難します。Bは基本的に鉄道をどう引くかに影響力があるので賄賂をもらいやすい立場にあるんです。それでこの街はあまり景気がよくないのですさんだ雰囲気があり、鉄道がどうしてもほしい景気浮揚策としてほしいところです。
もうひとつの大きなうねりがこの物語にはあります。それは母と娘。ある男が女を連れてこの街にたどり着いたとき、お金目当てに採掘権と女を交換したのです。その女が子供を連れて戻ってきたのです。この娘Cが測量士と一緒に流れてこの村に来たのです。ここで告白するとこの母と娘と歌手、この映画には美人が3人も出てきます。それだけで画面を十分に彩るんですけどね。歌手はA、母はD。
ACでBの取り合いになりそうです。しかし父親に自分が娘だとわかる物を無言で渡すと父親もすぐに売った娘と妻のことを思い出します。娘はこの歌手のステージで(なぜなら歌手はCがライバルだと気がついたので積極的に近づいていった)あるポエムということでこの身の上を語ります。そして父親にメッセージを送っているのです。このステージのシーンは美しいですよ。
そうこうしていたらボスのお呼びが母と娘にかかります。目的は?ここはどきどきしましたよ。「だんなが遺産なしで死んだ。そして私ももうじき死ぬ。娘の生活だけは保障してくれ」というもの。なんというでしょうねえ。いまだに夫婦だ。やり直そうと。かっこいい、監督のピーター・ミュランです。役者としても「セッション9」とかありますよね。ついでに美人3人トリオはナスターシャ・キンスキ、ミラ・ジョボビッチ、サラ・ポーリーです。娘は結婚に反対して反抗的になります。というより自分の父親だということを知らないのです。さらにCが好きな測量士はこのときにこの町に鉄道を通すのは無理だと判断しているんです。しかしこの二人は引き合っていく。親の残した遺産は、土地は無価値に近くなってしまうんでしょうが。
しかし測量士は言わなくてはなりません。このことは人が死んでもおかしくないくらい重要なことです。街を作るということは何もないところから秩序を作ったので大変なことなのです。そして、Cに対して好きな人についていっていい、と母は薦めます。後で後悔するわよ、とね。
そして母の死後、父と教えられ、捨てたことを許しませんでした。ゆえに好きな人の元に走るのですが、もう何も亡くなった父は悲惨な死を遂げます。
まあ簡単に書きましたが、いい作品です。
「モーニングムーンは粗雑に」渡辺正憲監督 1981年
はっきり言ってつまらない映画です。しかしサザンと横浜、神奈川にゆかりのあるものには懐かしい風景が出てきます。それだけでしょう。原宿も懐かしいですね。
「ニューミュージックにはブスが多い、」すごいせりふですが。
あと何にもなくて、高橋洋子がブスになったなあ、と思ったくらい。「旅の重さ」のときは良かったんですが。
何も言うことないです。出演者もそんなに印象のない映画ではないでしょうか?しかしサザンオールスターズの曲をこれだけ使うのだったらもっといい映画は出来るでしょう。何でこんな変な映画になったのかわかりません。監督がいまいちなんでしょう。もったいない。
「マグダレンの祈り」 ピーター・ミューラー監督 2002年
1964年アイルランド、ダブリン。
結婚式?のパーティでケルトダンスの最中、いとこ同士で女が無理やり強姦で犯されます。
そのこと事態すぐに知れ渡り、影でいろいろといわれるのです。ほかには子供ができてしまった女の子や素行不良という女の子が出てきます。すると両親はその子供を養子協会に預けて育ててもらうということにします。そして修道院に入れられます。同じときに入院したのが3人(ABCとしておきましょうAが子供を生んだ子、Bは素行不良孤児院から来た子、Cが冒頭のいとこと関係した女の子)。マグダラのマリアの話をはじめに聞かされます。(娼婦だったのが、信仰を信じて倹約しているうちに聖人となった女性)らしいのですが聖書関係は弱いんですよ。
それと、まあ時代でしょう、JFKの写真が机の上を飾っております。ちょうどアイルランドカトリック系の初めての大統領ですね。
Aは当然、乳が張ります。それを母乳を出したらシスターが怒り、折檻されるということを古株に教えてもらいます。なにか一歩間違えれば、東映の「さそり」ですね。多分、この修道院の共通項は処女ではないということがわかったもので家とかがここに送り込んだ女の子の集まり。
一人脱走した女の子がいるのですが、家に帰ると両親が連れてくるのです。なぜならば、両親に恥をかかせたということらしい。そして罰で坊主頭にされます。まるでシンニード・オコーナーみたい。この歌手のメッセージもこういうところに根ざしているのかもしれません。確かこの歌手の家も厳格なるクリスチャンでしたね。
こういう罰を、いきさつを見ているにもかかわらず、Bは脱走しようとします。この子は性交渉はないみたいなんです。なのになぜ自分が入れられるのか不思議というか反抗心が旺盛な女の子です。
しかし計画段階で見つかってしまい、シスターにも知らされるし、仲間と思った男の子が直前に裏切り、お終い。ここからの罪への償いはまさに、修道院もののいかがわしさそのままです。髪の毛を切られ、みんな裸にされと、この映画、まともな映画なんですがこんな表現からするといかがわしいものに思えるでしょう。