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逆に、反抗していた農民のほうは、島を女と抜け出して「西の神島」に向かいます。二人だけの楽園です。しかし祭りの船は追ってきます。途中でお神酒を飲んで、仮面をかぶって神の御心という形で抹殺します。海に落とせばそこは鮫の世界、自然界の掟が支配します。そして巫女だった女を連れて戻りますが、そのラストシーンの海と夕日の美しさは「太陽がいっぱい」と同じでしょう。きれいです。こうして近代化は慣習のみのを使って島に浸透していきます。あの反対していた男を殺そうとした、空港建設賛成の人間は巫女を性的に喜ばせていたときに腹上死したのでした。その罪の償いを神が下したことでめでたしめでたし、ということになったのです。崇高なる魂は滅んでいくのでした。

さて後日談。空港ができました。そして飛行機で砂糖工場を作ろうとした男も役員と一緒にやってきます。あの死んだ男を、神としてみるという地元民の言葉とそれを否定する空港関係者、恋人を待ち続けて岩になったという女の像を説明すると、地元の人はついこの前あったこと、砂糖工場の男を待っていて死んだ女のことを示唆するのです。この男が乗った列車を待っているかのように女は現れて、消えていきます。待っていた人が来たのですから、待った甲斐があったのです。そして消えて、海ではあの男の船が漂っているのでした。

こんな映画もう二度とできないと思います。よく作れたとさえ思いますし、才能、努力すべてがなければできない映画です。日本を代表する映画だといっても過言ではないでしょう。素晴らしいです。

6/1

 

「悪魔のえじき」 メイル・ザルチ監督 1978年

これおもしろいんですかね、という感じで見始めたんですが、何かちょっと違うなあと思いました。単純にレイプされて復讐すると思ったんですが、もともとこの女主人公(A)は一人で旅行して、川に着くなり裸になって泳ぎます。もう無理がありますよ。

しかしAが小説家で一人バカンスに来て原稿を書くところは「SWIMMING POOL」に似ております。あれはサニエに影響を受けるランプリングすごかったですねえ。世間の評判は悪いですがすごく気に入っている作品です。むこうは受動的に男を受け入れるけど、こちらの映画はレイプです。若さが違いますけどね。しかしこの映画観て思うんですが、性交渉というのは合意であろうとこのように非合意であろうとなにか終わった後間が抜けますね。なんというか終わったあとだらだらと映像にするのは締まらない映像になってしまうと思います。しかし昔の牧歌的なところはいいですよ。

しかしすごい強い仮定がこの映画にはあります。それはまずはじめのレイプから逃げて裸で森を歩くと、森の中でまた男たちに出会います。当然裸の女が歩いてきたのですから、何か声をかけると思うのですが、彼らはすぐにまたレイプを始めます。男はみんな女を見たらレイプしたがる、というのはちょっと受け入れられない仮定です。それにあまりに悲惨すぎる。この時点でこの映画の「悪魔のえじき」の悪魔はオカルトの悪魔ではないことが判明。これじゃ、題名に負けているよ。

さらに悲惨なのは、森からやはり裸でロッジに帰ってくると先ほどのはじめのレイプをした男たちが待っているのです。レイプ第三弾。ちょっとあきれてきます。救いのない映画ですし、Aの立場になって考えたら、もう思考停止でしょう。やられるままがいいと思います。変に悔しいとか考えるとだめなような気がする。まあ私は男ですのでよくわからないのですけど。

それからがすごい。レイプした女を口封じのために殺しに行くのです。ここで転機。一人の弱弱しい男に行かせるのですが、行ってみるとAの無残な姿でどうしても刺せません。

生かしておくので、Aも仕返しする気になります。「悪魔のえじき」というタイトルでこういう話というのは許せません。Aに魅力がないとどうしようもない映画で、私の目で見た感じでは、この役をやってくれる女優で、こんなくだらない映画にも出てくれる人の中では美形の方でしょう。このことが最大のポイント。

そしてAの復讐が始まるのですがこの殺し方もちょっとスケベ心をくすぐるようなもので、この映画は恐怖というか、ポルノ系の映画ではないのかと思わせます。

観ていて飽きないで見ることは出来るのですが、なんというかよくもこんなくだらない映画を作ったという気持ちが常に頭から離れません。

結局当事者は全員殺して終わるのです。レイプされて復讐する映画がなんで「悪魔のえじき」なんだろうか?絶対にお勧めいたしません。

 

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