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そしてA,次の日、たまたま父親のところに寄ったら、Eと出会い、三人で話をして二人で職場に向かいました。あとは言うことはありません。一日遅れてAも幸せになりました。

ワンダーランドの花火大会の魔術です。あせることはない、すべてはなるようになるのだ。だからワンダーランドなんだ。そんな映画です。

7/5

 

「マグダレンの祈り」 ピーター・ミューラー監督 2002年

1964年アイルランド、ダブリン。

結婚式?のパーティでケルトダンスの最中、いとこ同士で女が無理やり強姦で犯されます。

そのこと事態すぐに知れ渡り、影でいろいろといわれるのです。ほかには子供ができてしまった女の子や素行不良という女の子が出てきます。すると両親はその子供を養子協会に預けて育ててもらうということにします。そして修道院に入れられます。同じときに入院したのが3人(ABCとしておきましょうAが子供を生んだ子、Bは素行不良孤児院から来た子、Cが冒頭のいとこと関係した女の子)。マグダラのマリアの話をはじめに聞かされます。(娼婦だったのが、信仰を信じて倹約しているうちに聖人となった女性)らしいのですが聖書関係は弱いんですよ。

それと、まあ時代でしょう、JFKの写真が机の上を飾っております。ちょうどアイルランドカトリック系の初めての大統領ですね。

Aは当然、乳が張ります。それを母乳を出したらシスターが怒り、折檻されるということを古株に教えてもらいます。なにか一歩間違えれば、東映の「さそり」ですね。多分、この修道院の共通項は処女ではないということがわかったもので家とかがここに送り込んだ女の子の集まり。

一人脱走した女の子がいるのですが、家に帰ると両親が連れてくるのです。なぜならば、両親に恥をかかせたということらしい。そして罰で坊主頭にされます。まるでシンニード・オコーナーみたい。この歌手のメッセージもこういうところに根ざしているのかもしれません。確かこの歌手の家も厳格なるクリスチャンでしたね。

こういう罰を、いきさつを見ているにもかかわらず、Bは脱走しようとします。この子は性交渉はないみたいなんです。なのになぜ自分が入れられるのか不思議というか反抗心が旺盛な女の子です。

しかし計画段階で見つかってしまい、シスターにも知らされるし、仲間と思った男の子が直前に裏切り、お終い。ここからの罪への償いはまさに、修道院もののいかがわしさそのままです。髪の毛を切られ、みんな裸にされと、この映画、まともな映画なんですがこんな表現からするといかがわしいものに思えるでしょう。

しかしCは神父の性的に堕落した姿を見てしまいますし、シスターの後をつけると秘密の出口があるのです。しかしCはそこから逃げられるにもかかわらず逃げませんでした。

そして極めつけはこの神父が関係したのはCの友人でした。二人とも性病になります。しかしこんな言い訳が通るわけがありません。この友人の女の子は、精神錯乱ということで精神病院に収容されます。

しかしCは弟が迎えに来て、修道院から出ることができます。家族が受け入れてくれると大丈夫みたいですね。

残るABは脱走を試みます。本当にひどい仕打ちばかりでした。まさに「カッコーの巣の上で」みたいなものです。

そして成功。

その後の人生はさまざまですが、アイルランドではこうした修道院が1996年まで存在していたそうです。魂の叫びとその崩壊、さらには崩壊を防ぐ真実の内なる信仰について考えさせられるいい映画でした。

7/6

 

「レオン 完全版」リック・ベンソン監督 1996年

はじめに殺しの仕事の依頼を受け、派手なアクションシーンで始まります。しかし依頼者も殺さないというのはかわいいところがあると思う。そして少女(B)出会う。

殺し屋(A)は何かミルクを良く飲むシャイな感じの殺し屋なんです。自分の生活を大事にしているから短時間でかねを稼げるこの仕事に就いたみたい。

Bの両親が麻薬関係の仕事をしていて、商品をネコババしているのではという嫌疑がかかり時間切られても実際にそうですので返しようがありません。そのために殺しに来た連中に殺されますがBはちょうど買い物でその現場の跡に来てとっさの判断からAの部屋に入ろうとするのです。そして命は助かります。そこでBは子供なのに殺し屋になりたい、というのです。まあ家族に恵まれていなかったし、環境も最悪でしたので、殺し屋という響きにあこがれもあったのでしょう。その通り、Aと一緒に出かけるとき子供ということでかなり得をします。しかしお互いに愛が芽生えます。本当かなあ。しかしBが大人びた少女なんでありえるのかもしれませんが、ロリコンでしょう。しかしBはかなり命をかけてます。

そして二人で殺し屋をやるのですが、ナタリー・ポートマン今思うとかなりやばい演技してますね。成長に影響ないのだろうか?

Aも死んだら遺産をBに上げてくれというし、親密なるパートナーといえるでしょう。

最後に部屋を取り囲まれてしまうシーンは何回見ても迫力がありますよね。しかし「キスオブザドラゴン」(これは製作だけ)「二キータ」などでもそうですがこの監督はすごいピンチを作りますね。そして主人公がうまく抜け出すというすごく映画的な解決をします。どんな人間もこの包囲網は破れません。普通ならね。

まあ破れるところまで行って、おいそれはないだろう、というような結末ですが、何かおかしいと思います。それを考えていたのですが、Bを助けに行ったときに麻薬捜査官のボスを殺さなかったことです。というかいなかったこと。この辺は物語の進行に関係するので仕方ないのでしょう。ということで最後にかけてまた感動してしまった。完全版は初めてだと思う。

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