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どうにか逃げ切り、中古車でピンクキャディラックを買います。プレスリーが大好きな母親へのプレゼントです。しかし当然実家は警察が張り込んでおり、親に会ったのもつかの間、また警官に囲まれます。そんななか、Aは発作で倒れます。Bは捕まえようとする警官を抑え、早く、救急車を、と病状の説明をします。当然、救急車で運ばれますが、Bが付き添っているときに、多分、何か未練があったのでしょう、Aが意識を取り戻します。そうなると猪突猛進する二人は救急車を奪いそのままオランダへ。途中、冒頭のキャバレーによってしまいます。そこで女を抱いているときに当然、つかまります。相手の懐に入ってしまったのです。つかまってもそのときまでに二人は新聞などで寄付を募集している人たちにお金を配ってしまったのです。もうないというと、ボスが出てきて、逃がします。ボスは彼らの行動の爽快さ、正しさ、かつ殺そうとしても怖がらないこと知っているんですね。さらに彼らが見たがっている海と夕日の美しさ、それらがさいごに溶け合う美しさが心の中に永遠に残るということを知っているんです。どうせ戻らない金なんですから、夢見させてあげるんですよ。さて、海に着くと、お互い顔を見合わせます。そう、ここが彼らの死に場所ですね。海への一本道を歩いて見た海。初めての海。その砂浜で酒を飲みタバコを吸って二人座って海を見続ける間に死んでいくのです。さいごの場面でボブ・ディランの「天国への階段」のカバーがかかるんです。実にいい映画です。大のお勧め。

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「あこがれ 美しく燃え」 ボー・ヴィーデルベリ監督 スウェーデン   1995年

 

最近映画欧州旅行している気分です。出だしから、ヘンデルの「リナルド」のアリア。そこに1700年代のリンネという人の「男女の結ばれ方について」が文章で流れます。性教育の文章です。舞台は1943年のマルメという地方都市。このころナチスはこちらの方を攻めていなかったみたいですね。カール・ドライヤーの「怒りの日」もこのころの作品ですね。この作品ができたころが舞台だと思うと、前編すごく違和感があるのですが人間はいつの時代もこんなものかと思うだけです。

主人公のAの年は性欲多感でクラス全部ではそんな話もしているんですが、Aはなぜか中年の女の先生に興味がわきます。この先生は夫もいるし模範的な先生なんですが、どこがいいのかわからない。いつも見つめていたり、先生に接近するときに肌を接したりしているうちにお互いに意識し始めます。接近し始めたときのお互いの初々しい態度は新鮮ですし、見ているこちらが少年は次にどのような行動に出るのだろうか?と興味が出てきます。とうとう、教師の家に行くのですが、やはり場所柄家具はいいですね。夫がいるときに合図も教えるので、かなりの確信犯です。なぜか?

いわゆる「性の実習」になってしまいますね。しかし、夫とも少年は何回も接していくんです。その中で、夫から音楽のこととか人生のことを学んでいくんですね。この2人のシーンが一番落ち着いて見えるのは多分監督が意図して造っていると思います。先生とのシーンは見ているこちらがどきどきします。途中、夫の趣味のベートーベン弦楽四重奏、チャイコフスキー「ロメオとジュリエット」、マーラー「交響曲第5番」「亡き子を偲ぶ歌」バッハのメサイアなどが流れますが、そのマーラーの音楽の歌詞とヒットラーの演説が同じ言葉なんです。このことと工業製品ができる元はみんな生き物だ、という夫のせりふは(夫は簡単な技術屋でそれを商品化して売っているみたい)技術の変化と人間の本質の変化が不一致な点を指摘しているとともに人間は変わりたくても変われないんだということでしょう。技術に人間の変化は基本的についていけないんですよ。というより人間は2000年の間にほとんど変わっていないんですよ。技術革新としてはそしてアメリカでナイロンが発明されて普及されているニュースはこの夫を暗くさせます。彼は毛皮とか毛糸などを扱っているのです。生活も乱れ大人のだらしなさも少年は目の前に見て、哀れむ気持ちが芽生えてきて、教師にももっと夫婦間で優しくというのです。しかし教師は性的関係を望むのです。また教師から夫との結婚の理由を聞かせれます。それは、政策的なもので、彼女の財産目的で近寄る男たち、中身のない格好だけの男たちを遠ざけるのに格好の相手だったのです。結婚してしまえばそんな連中も手が出なくなるからです。夫のほうはそういう約束を暗黙に交わしていたのでしょう。だから夫婦間で慰めあうこともないのですね。こういう駆け引きもAは少年でよく理解できずに正論で突っぱねます。そして、夫が目の前でだらしなく飲んでくだを巻いて寝ている前で少年をベットに誘うのです。正義の人少年Aはそんな誘惑には応じません。すると教師のほうから誘惑がひどくなります。それを避けるように前に相手しなかったAのことを好きな女の子のところに行きます。もう女の子のうれしそうな顔といったらないですよ。Aはこういう正直な子とぴったり合うんですが、変な道にそれてしまいましたね。

しかし、途中、戦争に行った兄の死も大きく心の傷になるのですが、(教師のほうはその傷に癒しを与えてくれないですよ)教師はどんどん、無視されていった自分自身が悔しくてAの前で醜い姿をさらします。昔は自分で言っていたように周りの憧れだったのにねえ、女は旬を逃すとつらいですね。しかし積極的に抱かれにいって映画館で抱き合う姿を彼女の女の子に見られてしまいます。もう女の子はAも信用しないし、先生にも愛想が尽きるでしょう。先生は見られたことで自分の保身に走ります。結局彼女は、自分がいつでも逃げられるところを持ったままAと遊んでいたのです。Aはすべてを失ってもいいとのめりこんだのですが。大人と子供の違いだと思います。これは見る人の人生の経験の差で何とでも捉えることができると思いますが、私は大人は保身するのは当たり前で、そんなことは子供から大人になるにしたがって覚えていくことだと思うのです。Aが知らないのは仕方ないことであって、一歩成長していくのです。結局、女教師に落第させられます。(顔を見るのがつらいといわれてもねえ、かわいそうですが)。この落第や兄の死の辺りから母との会話が増えます。結局は家族ですからね。そして最後、多分、成績発表か何かの席で遅れて堂々とみんなの前でAは女教師の前に向かって進み出ていき、目の前でズボンを脱ごうとします。結局、無視されたので、そのまま立ち去り、思い出の辞書を持って学校を出るところで終わるのです。

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