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一晩明けると女と残って避難民になろうというやつらが出てきます。これが普通ですよ。女と男が一緒。一番です。しかし梶は向かうべき女がいるのです。そこで各自の生きるべき道と思うように生きろ、となるのですが、そこにソビエト兵が来ます。ここで高峰秀子が飛び出します。なぜなら、後が怖いからです。ソビエト兵にばれてしまったので、仕方なく降伏いたします。このとき見ていてつらい。もうやるせない気持ちです。誰がわるいとは言いません、しかしこの胸のつかえは何なんだ、ということです。

ゴミ箱あらしを人に見つからないようにつけて配給食に混ぜて死なないようにぎりぎりの栄養を確保するのですが、その役をしている兵隊は「水洗いが冷たくて大変ですが、これで明日もみんな大丈夫だと思うと張り合いが出ます」というのです。生に意義を見出せる人、間は人間はまだ大丈夫ですね。しかしまた、日本人をいためるのは日本人でした。あの日本人を犯したやつは早く捕虜になった分、優位な立場になりました。そして主人公たちに復讐をするのです。将校たちも将校待遇をいいことに梶を押さえようとするのです。何故日本人同士でいじめあうのか?ソビエト兵もいじめに対して「やめないか」といい見ているやつを「お前らよく見ていられるな、とめないのか」とまで言います。

しかしまたまた日本人の通訳が言ってもいないソビエト兵の悪口を通訳します。もう心が苦しくなってきますよ。何で日本人はこうもお互いにいじめあうのか?外人にはへつらうのに。

重労働に出されますが、やっと光が。丹下(そういつか病院で一緒だった、そして途中まで一緒でこの章のはじめお山の大将のところで脱走兵を殺したやつを撃ってしまってあとでひとりソビエト兵に投降したやつです)に出会うのです。仲間がいるということはうれしいことですね。「階級的に捕虜のやつらは敵ではないはずだ、しかし感じるんだ、欠けているものを。それは唯我独尊」このせりふ、もしかしたら今の映画では通用しないようなせりふかもしれません。この映画全般に意外と難しい概念が普通の会話で出てくるのです。

撮影の宮島さん編集の浦岡さんはじめ素晴らしいスタッフの結集の賜物です。

3/13

「流されて」リナ・ウェルトミューラー監督 1978年 イタリア

「ムーンリットナイト」の監督ですね。この作品が代表作でしょう。どうでもいいですが主役になる女が女優として魅力ないですね。これでは映画自体の魅力がなくなります。

イタリアの北部と南部の所得格差と資本主義と共産主義という安易な二元論をまずは地中海バカンスのヨットの上で再現します。

しかし主人公の男Aと女BとしてAのいう「女を甘やかすから」勝手にされるというのはあってます。本当に気ままに我侭三昧です。この中の悪い二人がヨットからボートで洞窟を見に出かけますかね。なにかBの方にAを意識する動機があるんです。またボートのエンジンが故障してしまう。普通はオール(予備用として)あるでしょう。でも使えないというのです。風が強いし、ゴムボートなので意味ないのでしょう。そんな中2日くらい漂流して岩の島にたどり着きます。ここまでふたりの言い争いというかBの愚痴ばかり聞いてます。映画とするとさすがに下手な作りでないか。そしてこの映画で一番おかしいのは、女のほうがこの環境でこのような仕打ちをされたなら自活するでしょう。それだけのインフラというか自然はありそうなんですが、火の作り方も知らないのかもしれません。学校の自然教室は重要なんですね。こういうときに役に立ちます。

しかし、男女の仲が自然と近づいていくのではなく、強引にBを力でねじ伏せます。対等なら結びついてもいいのでしょうが、身分というか財産が違うのです。まあ、ここでもお金の論理がついてきますね。まだ権力の論理(中世貴族の統治の意味)よりはましですがどうもしっくり来ない展開です。それにふたりだけなら真っ裸になればいいのにズボンはいているのはこの時代の倫理観なんでしょうか。まあかわいいです。なぜかわいいのか、梶上等兵を見ているからでしょう。あのときは野蛮さはもっと強く、ヒューマニズムはもっと深い描かれておりました。

Bは意外とうぶで、Aと良い仲になって行きますが、描写が甘い。抱き合うときはお互いに裸です。しかし映画では服着たまま。さらに共産主義とブルジョワ階級の比較ですがそんなのどうでも良い。すべてが中途半端になるのです。Bは財産とブルジョワ階級というベールをきたうぶな女だったというのですが、ちょっとだめですね。Bがヨットを見かけたとき助けを求めないでAのことを好き、と言ってからは内容的にはよくわかりますが、結論がわかります。Bがブルジョワの階級にいて教育を受けているからこんな愛になっただけで、Aが同級生と来ていたらこんな風にならないのです。頭で考えないですぐに一緒になったでしょう。逆にBが友人とこの状況になったなら同じく意外とあっさりした感じになったんじゃないかと思います。結局万人が同じような欲求を持っていてそれをどう隠しているか抑圧しているかということの違いを言いたいのでしょう。それと気がついた点、監督が女なので女に合うような感じで撮ってます。男優は魅力的なのもその一因かも。最後の電話でこれは発揮されます。現実的かロマン的か?私が作るなら前のほうでしょう。Aも馬鹿なんだ、また島に行くなら戻ってこなければいいのに。焼けぼっくりに火がつくかどうか、の電話です。幸い子供がいるのが男の方なのは話をロマン的にしやすい。しかし「椿姫」同様に身を引きます。お互いの今ある家族を大事にしたいということでしょう。Aがロマンティクになっただけでした。男をロマンティストにしやがって、と思いますがね。この監督はこの映画で最後でしょう。出ている俳優が「ムーンリットナイト」もいいのですが生かしきれてませんもんね。

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