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そしてまだ若い3人が代表にスカウトされます。Bはいずれ死ぬだろうと相手にされません。あの傷ついた女と老人とまた新しいどさ回りのチームを作ります。

3/1

 

「八月の狂詩曲」黒澤明監督 1991年

今回改めて感じたのは、黒澤監督の映画というのは、面白いつまらない、という問題よりも、まじめな真摯な態度が画面いっぱいに広がっている映画だということです。ちょっとの揺らぎもなく、遊びというか、変な下心のあるような映画ではないということです。

舞台は長崎、良い町です。旅をした気分で見てました。

浦上天主堂、懐かしい思い出があります。この辺の町並みもちょっと狭い路地が多いのですが歩くと楽しいですよね。子供たちに原爆のあとを学習させるように歩かせるというのもまじめな態度が出ております。子役に「おばあちゃん、アメリカに行かないよ。原爆落としておじいちゃん殺された国に行かない」というようなせりふがあるんですね。逆に見ているこちらがどきっ、とする言葉です。

「雷が落ちて心中した二本の杉の木」の話を聞かせれても子供たちは都会っ子、ましてや生活スタイルは欧米様式、夜の怖さ、自然の恐怖は知りません。基本はこの自然の恐怖にあると思うのです。そして人間のいろいろな意識の衝突や出会いをさまざまな人でいろいろな角度から描写することで夏の彼岸前後の出来事をまとめて見た感じの映画なんですね。それも原爆でアメリカと縁ができた(良いことも悪いこともありますが)老人の女性の一生の思い出がつづられる感じで関係ないようでひとりの日本人の戦後の生き方、さらに戦後を問わず日本人の女性の感じ方をうまく子供たちを使って描いております。

子供たちはアメリカに行っても原爆のことなど言わなかったんですが、孫たちは数日おばあちゃんと一緒に生活して少しずつ田舎ののどかな自然と密着した暮らしがわかってきたのです。すると外国と交流なんかないところでアメリカに対する印象は意外と原爆だけなのにいつの間にか意識に刷り込まれるようになっているのです。孫たちの「今日の晩御飯ご馳走だったのに楽しくなかったね」「大人の話が面白くなかったのさ」という孫たちの会話は、最高のシーンですよ。そして親たちの会話のシーンがあるのですが、黒澤監督には珍しい、冗談のシーンですね。私は始めてみるような気がします。

そして子供たちが良い気になっているときにおばあちゃんも孫も原爆を忘れないというのです。この映画の最大のテーマだと思う世代間の良識の伝達です。さらに人種間の伝達もうまくいくでしょう。それは生き方を人は見ているのです。おばあちゃんにはしっかりとした生き方がありました。いや、本当に良い映画ですよ。黒澤監督は「乱」以降一切見ておりませんでした。これも付録の感じで一番つまんなそうなので(ほかのタイトル「白痴」「醜聞」なので、どちらも女優がいいから内容もさることながら楽しみでした)先に見たのですが、良い映画ですね。小泉監督が「阿弥陀堂だより」作るのわかる気持ちがします。

多分原作がいいのでしょうが、アメリカ人と孫たちが原爆の落ちた学校で会うシーンは最高ですね。こんな展開考えても見なかった。

「あの世であって一緒になりましょう」まるで「大霊界」の展開です。おばあちゃんと縁側のシーンとかわざとらしいとは思うのですが、ほのぼのしております。滝のシーンも良いし、そこで父の訃報を聞くという展開。そして帰ってきたら夕日さす居間でおばあちゃんが兄貴にわびている様子。年月を経ての再会ができなかった無念さ。すべて良いですよ。思いが入っているので無念さが増すのです。

「幽体分離」するシーンを象徴的に描いてますがこの辺は監督うまい。孫たちが間に合うかどうか、とはらはらしながらシューベルトが流れます。なぜシューベルトか、わからないのですが、それは薔薇がおばあちゃんだからでしょう。「野中のバラ」これはおばあちゃん。これで8月9日の日に孫が見たようにおばあちゃんはあの世でおじいちゃんに出会えるでしょう。

 

うん、この映画は孫が一番早く人間の本質をわかったというのが本当にいい。

3/2

 

「コンセント」 中原俊監督 2001年

田口ランディさんの処女小説です。お亡くなりになった今となってはなにか感慨深いものがあります。まだ若いんですが。

とにかく映画のほうへ。

兄の死に方が普通ではない。葬儀屋もお盆に毎年お迎えするのに顔はいい顔で思い出してあげてください、といって見せません。便利屋が来て死体の腐乱した匂いの染み込んでいる部屋の清掃をしますが、大家が「このにおい消えるんでしょうね」と聞くと「消えます」「家族想いの死に方をした」というのです。前者は魂が永遠と反対の言葉で肉体は消え匂いも消えるということ。後者は死に方にメッセージがあったということ。

主人公の女はこの兄(B)の妹(A)でBの死に方により「匂い」に敏感になります。事実、病気の人の匂いは私もわかります。自分がおかしいときもわかります。そして大学時代の恩師にカウンセリングを依頼に行きます。多分心理学科だったんでしょう。このときの

AのBのことを話す態度は毅然として論理的でかなり観察していたんだという事を充分に判らせるものです。そして恩師(C)に「肉親のカウンセリングはできない」ということで慰められます。ここポイント高いんです。AはBをカウンセリングしたかったんです。また別の表現をすれば、映画のジャケットポスターと違って市川さん魅力的です。

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