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「奇跡の海」以降の感じとまったく違う映画です。まず男が精神科にかかるところから始まるのですが、治療メソッドが後に出てくる捜査メソッドと同じなのです。人間の思考と現実の行動の一致なのです。まあどうでもいいことですが、欧州(ドイツだと思う、それに英国の感じも、しゃべる言葉が英語だから、これらをミックスして欧州全体を表現したかったのかも)に滞在して何かにとりつかれたという男が出てきます(A)。欧州は昔と変わったというのですが、それは容易に「安定性がなくなった」ことだと推測できます。これの答えが主題です。監督の答えは私にはわかりません。Aは13年ぶりにカイロから欧州に出かけます。刑事で殺人事件の捜査協力(少女のばらばら死体、この死体は毎月4体の死体があがる一環の一人、連続殺人事件です)のために戻ります。Aの恩師が書いた本が「犯罪の原典、エレメントオブクライム」です。

同期の嫌なやつがいつの間にか警察署長になっていた。

宝くじ売りの女が殺されたんですが、現場のシーンに馬が殺されて海に落ちて拾い上げられるという映像が散りばめられております。馬は男根、男の象徴ですけどねえ。しかしここで決定的な挿入が。子守唄のようにこの事件の結末に関係することが流れるのです。そのなかで死体は収容されます。これはまずは結末の提示、そこから派生パターンですね。

死体には犯人の残した後があるのですが、検死官は美しいというのです。それはすべて窒息死させてから同じ切り口で切り刻まれているのです。ちなみに残虐なシーンはありません。馬といえば「カルネ」をどうしても思い出してしまう。ノエ監督ですね。こちらは馬は象徴というだけでしょう。

まあ戻って、恩師は誰かをかばって自分の著書の書いた犯罪理論を曲げているのです。人間、元気なとき頭で考えるときと、体がついていかなくなってから頭で考えることは変わってきます。そして結婚についても嘘があり、年を取ってから結婚して奥さんが逃げ出したのを死別したというのです。この恩師の異常性が明らかになり、必用書類を焼くことといい何か関係があると思わせるのです。恩師の担当した連続殺人と今回が関係あるのです。それは表題の著書に犯罪者と警官の精神的同一性をもって犯罪者心理をつかむ、という原則を持って犯罪のあとをトレースしていくメソッドなのです。Aも同じ道を歩んでみます。連続殺人の犯人と恩師のたどった道。途中、たしか「犯罪は必ず、ルールがあるのですか?」というようなインタビューの挿入があるんですが、Aも正しいルートを歩いているという前フリです。

第一の現場はアジア的で場末もいいところ、アヘン窟みたいな感じの売春宿。第二の現場の向かうときこのアジア人の(私には中国の南のほうの人種にみえる、名前はキムというけど)売春婦が一緒についてきます。そして、Aの自己分析の補助をするかのような言葉をどんどんと言ってゆきます。「人は変わるわ、生きていくために」どんぴしゃ、の言葉です。その裏づけの映像はAが思考するとき水に浮かんで流れていくのです。そういうシーンが随所で出てきます。そうすると、一箇所殺人が起こっていない場所が浮かび上がってきて行ってみるとやはり殺人が発見されないだけでした。

何かおかしいでしょう。そうです、Aが恩師、そして恩師がトレースした犯人の動きに自分も束縛されて、かつその束縛から無意識にどう考えるべきかという強迫観念が植え付けられて、神経症的になってきているのです。これは本人は気がついていない。映画を見ている観客はナレーションがかなりいろいろと入るので、ちょっとややこしいでしょうがはじめに、あの子守唄に気がついてしまったので。あとカイロでの治療の先生の言葉に反応したので意外と楽に見ることは出来てました。

ひとつ気がついたことがAにはありました。殺人現場を地図においてみるとHの文字が浮かび上がります。そうなると、これが完成していないところでまだ殺人が起こる可能性があると読むのです。このへん、「羊たちの沈黙」のレクター博士みたいです。

それがわかっても犯人の子供を生んだとキムに自白されて半分おかしくなりそうになって、少し妄想が出てます。なぜならば、犯人に接するのとまったく同じようにキムは行動していたからです。それだけならばいいものを、Aも同じようにさらに正確に犯人の行動をトレースしていたのです。ですから犯人の狂気が乗り移らんばかりですよ。

警察署長は、「アナーキーだ、自由ではない」といいます。まあ私と同じような意見です。とにかく欧州に行っておかしくなるなら安定性がないのです。カイロのほうがいい訳はない。これは私の考えです。どういう安定性かというと、すべてです。人間性、政治、国家、さらには人間の精神構造までも含めて安定ではない。カイロはどこかハイテクを受け入れない部分、気候の性で人間が怠惰に出来ている分、安定しております。多分ね。カイロ行った時私も暑くて動かなかったですもん。夜に出かけて食事くらい、そうなると楽しみは食事と寝ることくらいなので、悩みなんて考えるより楽しみを作っていく、人間の会話のほうが大事です。引きこもっちゃ、生活できないですからね。さらにカイロは宗教的にも安定してます。

恩師は計画の完成のために自殺します。ここで死ななければいけないという場所があるんです。そしてAも犯罪に加担しそうになるのです。完成の前の殺人を危うくしそうになる。しかし恩師はAを嵌めて先に殺人を行っていたのです。なのに、なぜAを呼び出したのか?そうです、恩師は犯人になってしまったのです。そして恩師によって完成してしまった殺人なので、Aはどうすることも出来なくて気が狂う、精神的浮揚感しか残らない半分狂人になってしまいました。精神の深遠なんてないと、人間は起きて食事して寝る、これが基本。食べ物を捕獲するか栽培するか、自然と共に生きること。これが欧州に欠けているということみたい。ひとつ気になったことは完成前の殺人はAが行ったかもしれない。しかしそれならば、倒れた男の映像の挿入はなにを意味するのだろうか?

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