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まずはボードビルのドナヒュー一家のショー。子供が増えていくのが楽しいです。1919から1923年頃。

この映画は本当に楽しいです。マリリン・モンローは脇役ですけどね。

ミュージカルに変更後のドナヒュー一家のショーは楽しいですよ。「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」です。

その打ち上げみたいのバーでマリリンと出会うのです。この映画のマリリンはそんなにきれいではないのです、しかしかわいいところは相変わらずですね。プロモーターが来てそこで売り出そうとして歌うシーンがまあこの映画では一番いいです。なんというかミッチィ・ゲイナーにいいところもって行かれている映画なのです。そのくらい周りも素晴らしいので、どちらかというと引き立て役に回っているような映画ですね。そしてフロリダでドナヒュー一家と同じ曲をやるということで、譲ってもらったやったショーが大当たり。このシーンもいいですよ。

そしてブロードウェイ、ここでドナヒューの子供たちと競演する舞台は最高です。この映画はここまでもいいシーンの連続ですがここから最後にかけてもノンストップのいいシーンばかりです。このブロードウェイのあたりからマリリンもすごくきれいになってきます。

ここではマリリンの引き立て役にドナヒュー一家がなっていくのですが、なんと言うか映画のリズムドナヒュー一家のリズムですので、そのアクセント付けにマリリンというのは間違いないと思います。転調という感じですね。しかし、「ショウほど素敵な商売はない」の歌に至っては家族みんな集まりますし、その間のごたごたも忘れて舞台に立つ母親(これがまた名演です。エセル・マーマン)の気持ちが歌詞になっていてうまく舞台と現実と混ざり合います。そしてエンディング。カラフルな色。舞台中、絵のような色です。

本当に素晴らしい。こういう映画を見たことない人もいると思うのですが、やはり馬鹿にしないで古くてもいい物はいいと思ってください。

10/20

 

「風の谷のナウシカ」宮崎駿監督 

この映画はちゃんと観るのは初めてです。昔はあまり意味がわかりませんでした。アニメ自体ほとんど観なかったので、どこか斜に構えたところがありました。

世界最終戦争あと、ということです。原作はここまでの経緯もわかると思うのですが、どうでもいいでしょう。まずナウシカが散歩の途中「オーム」という昆虫の抜け殻を見つけるところから始まります。目玉の抜け殻のレンズを持って帰ろうとすると空から、ある植物の胞子が飛んできます。レンズと胞子、それにオルゴールみたいな音楽、きれいなシーンです。とにかくおてんばとやさしさが同居しているようなかわいい娘です、仕事が「風使い」とかいうもの。それは、良くはわからないのですが仲裁者みたいな感じです。それにすんでいるところは風が常に吹いているところですので、風の谷のナウシカです。なにかこの風は、浄化作用のある、常に誰かのチェックが入っている監査のような意味合いがあるみたい。その逆の意味で「腐った海、と書いてふかい」と読むらしいのですが、そこは地面の中のどろどろした部分、自然で言うと地中、(そこに住むオームは格好の金属元を市民に提供しているし、)または犯罪や談合の象徴なんでしょう。そしてその談合や争いに巻き込まれた市民たちは戦争に明け暮れてしまう。この風の谷はいわゆるユートピアなんですね。

そして少しキリスト教みたいな信仰のある国です。そこにトルメキアという軍事国家が、きょしん兵、という過去の軍事に使う生き物を発掘して持ち込んでしまったのです。この「虚臣兵」は「きょしん=虚心」という意味もあるのかもしれません。そのトルメキアの飛行機も敵国の襲撃で撃沈され、ナウシカたちはふかい、に落ちていくのです。ここでオームという虫が邪魔者を排除しようとするのですが、そのとき敵かどうかを判断するのです。そのときにオームとナウシカの中でDNA遺伝子の中にある昔、人間の時代の思い出が蘇るのです。それは人間と虫が共存していた時代。まあこの映画ではナウシカとオームの関係ですけど。ナウシカがオームの幼生を助けて隠していたという事実があるんです。しかし人間と置き換えてもいいのではないでしょうか。しかし、人助けに深入りしすぎて、流砂に落ちていきます。

そして森のやさしさに触れるのです。

あとは戦争をしたがる大人たち、国家間の争いが描かれ犠牲になる人間や昆虫、自然を守ろうというようなことがメッセージとして語られます。それにしても最後にオームに助けられたナウシカの奇跡は良かったですね。終わり方もきれいです。

音楽もいいし、私はこの監督の作品では「ルパン」と猫バスの出てくる映画、名前忘れました(となりのトトロとか言う題名)、とともに気に入ってます。

 

 

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