そして女は「愛」と「欲望、快感」の違いを認識するのです。普通は出来ない。しかし状況からしてそれが出来てしまったのです。いわゆる、マリアの誕生です。この祈りの言葉「生き返らせてくれたなら、もう二度と会わない」素晴らしい。そうです、この世の中に一緒に存在することを、死んでしまったときの喪失感を感じることによって得たのです。
ドラマツルギーとしては、このままでは前に進行しないので、探偵が女の日記を持ち出して男に渡し、男も女の心情を知るというつながりを見せます。そして焼けぼっくりに火がつく。さらに旦那の下からブライトンへの逃避行(懐かしい場所です)。ブライトンは懐かしい思い出のある場所で、この映画で本当に昔のことを思い出します。
キングスパレスの中でのバッハの無伴奏チェロソナタ。ここで旦那と出会ってしまいます。あとは3人がどう折り合いをつけるかです。難しいでしょう?ですから女が不治の病だとわかるということにして、最後を二人の男が看取るという手段をとります。まあ愛に囲まれて死んでいくのですが、そこで男はこの夫婦に永遠の愛を、と最後には願うようになります。しかし自分はどうでもいいと。それは神に翻弄されたためでもあるからでしょう。
最後に、この映画を見るたびに思うのですが、主人公の一人の女サラは、ダイアナ元皇太子妃に似ていると思います。
世間がなんと言おうと私はこの映画は大好きです。
10/17
「東京ゴミ女」広木隆一監督 2000年
監督の字が違います、申し訳ございません。なんといっても最近の女優でいい感じの子がたくさん出ているので思わず観てしまいました。
これは面白い設定なんです。ある女がいて、この女は憧れの人が近所に住んでいてその男の捨てるゴミを拾ってきては中をチェックして保存できるものは保存しているのです。
ところがバイト先のカフェレストランではこの女目当てのお客様がかなりいるのですが、そんなお客様には目もかけない、という態度。いまどきの女の子です。それとかわいい女の子を雇うとお客様が増えるのかもと、勉強になりました。
しかしこの男には彼女がいるのです。それで男に電話をかけて「あなたが連れ込んでいる女は淋病、クラミジア、エイズの三冠王です」と言おうとするのですが、言い出せない。結果ただの無言のいたずら電話になってしまうのです。この辺おかしくって。
しかしこの男は毎週のように女を取り替えているような不安定な男です。そんな男にかげながら話しかけている主人公の女の子はかわいくって仕方ないですよ。そしてこの女の子にもカフェの常連のファンがストーカーまがいに家まで訪ねて来ました。そこで散歩に出かけるのですが、意外とこのシーンが良かったりするのは、主人公の女の子の優しさとかわいらしさがあるからでしょうか。逆に一番いいシーンかもしれません。
最後、思い切ってライブハウスに行くと演奏を終えた彼は一人でギターを弾いてます。そのまま、相手になって、ベットに。このときは思いっきり女の子はうれしいのです。しかしゴミを漁っているということをとっくに知っていたと聞かされて大ショック。
自分の恥ずかしさとそれを知っていて黙っている男への吹っ切れた気持ちが共存して、すべてのゴミを捨てる気になります。当然もう会わない。そのゴミを自分で捨てに行くところ、さらに男の昔の彼女をだまして男に会わせなかったことへの後悔から言い訳をしに会いに行くと一応気持ちが吹っ切れたということを聞かされて、一安心するところ、など最後、自分の気持ちの整理の仕方はうまい。しかし捨てることが出来なかったひとつのものはなんでしょう?タバコの習慣でしょう、マルボロ。
意外にもとてつもなくいい映画でした。
10/18
「目下の恋人」辻仁成監督 2002年
この監督は、初めてです。小説も読んだことないので初体験ですね。
バードとあかりの関係、はじめから私個人的にはすごく受けてました。それはお互いに詳しく身上書を交換していない不特定多数の関係の中の特別な恋愛関係みたいなものです。あかりが妊娠したと告白してバードが急に態度が変わったと聞きただしたときのあかりの言葉は身に染みます。かなり真剣な言葉を話します。これはバードを愛していそうな感じさえあるのですが、なにかバードの余裕みたいなものを崩したいという気持ちかもしれません。バードもあかりを好きになったときは別れるつもりだった妻が病気になって最期を看取ってあげようと気が変わっているのです。あかりもバードと付き合うことで本当の彼氏の良さがわかるようになってお互いにいい出会いだったのですが、問題は妊娠。どちらかが別れて、残ったほうの子供にすればいいのでしょうが、それが出来ないまじめさがこの二人にはあります。しかしバードはかなりリッチな生活をしていて、映画でこういう高級な生活を見せられるとちょっと拍子抜けします。仕事が地図作っているだけでこんな生活できるのだろうか?娘にねだられて靴を買うために5万円あげたのには参った。
そして彼氏のほうは、納得できずに別れようと当初は言います。当たり前ですが、子供のことが最後に気になるのです。
目下の恋人、それは制度慣習に縛られない、純粋な愛の継続があることを示す表現だったのです。結婚しても愛がなくなる人はいくらでもいます、逆はなかなか難しい。それを実践したいとこの彼氏は思っていたのです。それは両親が離婚して、祖父祖母の純愛を見て育った環境にもよるのでしょう。そして本当の愛を見つけたことになるのです。3人が3人とも真実の愛を見つけるドラマです。素直になれた瞬間。
10/19
「ショウほど素敵な商売はない」ウォルター・ラング監督 1954年