8/25

いろいろと映画は観ていたのですが、猛暑で更新怠っておりました。

 

「羅生門(らしょうもん)」黒澤明監督 1959年

なんというか日本の宝的な映画ですね。今回はたいしたことはないのだろう、と思いながら観るのですがまた深い感銘を覚えてしまいました。

何が良いというと、すべていいとしか言いようがない。音楽が少し特典インタビューでも述べていたように今回は、あっこれやばいかも、という感じではずかしい思いで聴きながら映画を観ていたのですが、まあ少しは影響を受けたのかもしれません。ラヴェルの「ボレロ」というかスペインのボレロのリズムです。

森と現世との境目で流れる音楽です。

そして感じるのは、原作の良さ。さすが芥川龍之介。「藪の中」です。古典再構築の作家ですが狂言で「蝸牛」もあるように日本古来の言い伝えでもあるのでしょう。

山は狩猟民族としては聖なる場所でしたし、農耕民族になっても境界線のある、境目(道祖神などを祭っていたりする)です。

その中で起きる出来事がどれが本当か?答えは客観的な見方が答えですが、ここでは志村喬の役柄が見た光景が本物です。しかし彼にも後ろめたい気持ちがあって、最後に信頼をなくすが、人間捨てたものではないという終わり方をする。すごく人間ドラマとして、人間を多角的に描いているものです。ここまで深い映画はあまりないですし、タルコフスキーをして1972年当時世界の映画ベスト10に入れただけの事はある人間ドラマです。

原作の勝利、映画化の勝利、役者の勝利の映画です。京マチ子さんの存在感たるや、これぞ映画という感じです。

あとは何も言いたくなくなるような堂々とした映画です。

8/26

 

「鬼一法眼(きいちほうがん)」勝新太郎ほか監督 1973年

テレビのドラマですが、今は差別用語が出てくるので放映が難しいみたいです。長いので少しずつ書いていきます。今回は1,2話。

まず主人公の名前がドラマの題名ですが、彼は異人(オランダ人でしょう)に長崎で江戸時代に、両親を殺され、いいなずけは辱めにあい、自分はのどを切られて言葉がしゃべれなくなったという背景があります。その異人に仕返しをするためにも諸国を放浪するという話。

第一話はその辺と、「卍」という男との初対面などが描かれていて、とりあえず基本を抑えている話です。まあ主人公の職業は賞金稼ぎ。卍も悪党なんですが憎めない奴で勝新太郎自身が演じてます。この二人が強いの何の、格好良いし、殺陣もすごく迫力あります。結局リアリズムではないのです、かっこよければいい。魅せるものには欠かすことの出来ない要素が詰まってますね。

第二話

これは卍と主人公のかけあいが見事。異人を退治するのですが、話が実にいい。奉行と異人が密貿易で儲けているのを抜け出したい下っ端がいて、殺されるときに主人公に子供を預けていってしまいます。ここで縁が出来て最後まで付き合うのですが、途中、卍がもしかしてそんなに悪いやつではないかも、と知るのです。この話は見ておくべき内容がかなりあると思います。

あとで出てくるのですが、馬は第一話で手に入れて、拳銃はこの話で手に入れます。

余談ですが、主人公はいつも犬を連れています。当然この犬も優秀。

最後に助けてあげた子供と女を残して、金まで置いて去ってゆく主人公にダンディズムを感じました。

8/27

 

「鬼一法眼(きいちほうがん)」2 勝新太郎ほか監督 1973年

ここでは第三話。

ある農村での話なんですが、なにかいい味出ている映画です。悪い女頭に浜木綿子さん、農村の主に加藤嘉さん、いい味出てます。監督がこの回は三隅研次さん、悪いわけないです。日照り続きの村の悲鳴を水源を抑えている女主のいる寺に殴りこみに行って勧善懲悪をするという話ですが、なかなかどうしていいのです。

村人は農夫ですので保守的で排他的な人間です。それで今まで侍にだまされているので、主人公を信用しません。(荒野の七人、みたいです)しかし主人公の本質を見抜く女の子がひとりいてその女の子が強引なのと、主人公のいいなずけに似ていたのでこの殴り込みが実現するのです。雰囲気まるで、「七人の侍」の物語に似ております。

 

第四話

安田公義監督

賞金の相手が薩摩藩関係。場所は堺。見事にすべての人が一度は敵になります。その中で主人公の人物の大きさを見抜いたものが助かるという筋。主人公は賞金の相手が異人関係というだけで選択したのですが、変な人間関係に巻き込まれます。

この賞金の相手の女には見張りが常についてます。いわゆる、公儀と薩摩の関係に巻き込まれたのです。この女、意外と美人なんです。泉昌子という人みたい。

 

そんなことより、賞金の相手が薩摩の密売の秘密を知っているから薩摩が消すという筋、しかし主人公は密売で異人とつながりがあるこの男を助けてもっと詳しく知りたいということ。そこで薩摩を敵に回します。しかし薩摩をやっつけますが、頼みの男も死んでしまいます。また新たな旅立ちが始まるという仕掛。この回も面白いです。

8/28

「鬼一法眼(きいちほうがん)」3 勝新太郎ほか監督 1973年

第五話 若山富三郎監督

主人公自身の監督です。この映画から勝新太郎の主題歌が登場します。しかし内容はさすがに監督が俳優だけあってどこかまとまりがないもの。

下田奉行所に、尊皇攘夷を歌うカルト集団が立ちはだかり、人質をとってはどんどん殺していきます。そしてどうしようもなくなったときに主人公。まあ傷つきながらも成功しますがそれでも途中10人くらいの子供がどんどん殺されていきます。差別用語といい、この殺しといいやはり今では放送できないタイプのものでしょう。映画自体は今までで最低の出来です。

第六話 大洲斉監督

浜木綿子さん再登場です。あれで足を洗って堅気になろうと田舎に帰ってきたら、妹が偉人屋敷に売られるところだったという展開。あの時よく農民に殺されなかったと思います。

さらに信州のある藩の重大事を主人公は聞きます。その件とこの妹が連れ去られる件が同じ異人の仕業と聞いて主人公も動きます。

まあいつものパターン、すべてやっつけて、妹を助け出して姉の元に返して、また一人ゴンザレスを探して旅に出る。

前の作品よりはまともですが、さすがにこの辺でマンネリ化し始めました。もっとドラマテッィクな展開がほしい。いつも同じことの繰り返しになってきています。

1,2,3、作品目くらいまでは良かったんですが。

8/29

 

「鬼一法眼(きいちほうがん)」4 勝新太郎ほか監督 1973年

第七話 森一生監督

佐渡の手前出雲崎あたりが舞台ですが、まあ金山の金が絡んでくるだけで

これもあまり異人とは関係ないので、普通のドラマでしょう。金山の親分の娘と出会い

助けてやるが、主人公が死んだと思って自害してしまった。その弔いをしながらやるせなさを感じる主人公という感じか。なんかマンネリ化してます。

 

第八話 黒田義之監督

追われる女剣士たち、その逃げ場に主人公がいる。そこに追っ手、わらの中に隠して、自分でその女をはずしていないことを証明すると追っ手も去っていく。久しぶりに爽快なスタートです。

そして絶体絶命になるし、隠密を敵に回して裏切られっぱなしです。久々に面白い展開。

しかし異人は出てきません。この辺は「水戸黄門」的な映画としてみるしかないでしょう。その面ではドラマ的に面白いのが救い。それとミステリー仕立てで最後まで私もだまされましたし主人公さえもだまされました。ドラマ的にはかなり面白いです。

8/30から9/2まで夏休みです。

9/3

 

「鬼一法眼(きいちほうがん)」5 勝新太郎ほか監督 1973年

第九話 三隅研次監督

いやあ、この映画もマンネリ化の一本です。なんのとりえもないどうでもいい感じの話。

問題は異人の子供が純な気持ちを持っていた、人間はみな同じだということを主人公もこの中で出てくるものも皆知ることになるという点です。この監督にしては切れはない、挿話ですね。本当に中途半端です。

単にドラマとしてみてもいまいち。

 

第十話 斉藤武市監督

この辺になると「水戸黄門」パターンが出来てきます。ただこちらの主人公は賞金稼ぎと復讐が目的。状況は同じような、言いようのない弱いものをたまたま賞金稼ぎにかこつけて助けるという流れです。今回はお金を受け取りながら、悪人を裏切り正義に加担するという一見正しいようで、裏切るという行為をしている映画です。

とにかく、自分の目的まで勧善懲悪の旅路は続くのでしょう。

9/4

 

「鬼一法眼(きいちほうがん)」6 勝新太郎ほか監督 1973年

第十一話 黒田義之監督

この映画はとりあえず、このシリーズの中締め的な作品です。舞台は横浜。異人もたくさんいます。その中で尊皇攘夷の運動に巻き込まれて、異人の仲間に捕まり拷問を受けます。ここまで弱い主人公を見るのも初めて。しかし卍が助けてくれます。それは権力を使って助けるのです。彼は実は盗人の格好をしておりますが、外国関係の担当の幕府の役人でした。そして長崎奉行の子供だったのです。養子先が神奈川奉行の役人になりそのまま役人として裏の世界を自分の目で確かめるべく盗人稼業を行っていたのです。ということは主人公と実の兄弟ということが卍にはわかりました。俳優としても実の兄弟ですしね。主人公は外国に渡りたいというのですが、卍は立場上鎖国政策をしているので何も言うことは出来ません。卍としてある仲介者を紹介するのです。

作品としてどうのこうのというより、やっとシリーズにメリハリと展望が開けた作品でした。良かったです。

 

第十二話 斉藤武市監督

舞台は泉州の堺。

ここで公金横領事件が起き、犯人が主人公の幼馴染でした。その幼馴染も賞金がかかっているので切り、過去を捨て「修羅の道を行く」とつぶやく主人公。前回あたりから流れがまた良くなってきました。とにかく卍が出てくるというのはいいですねえ。

最後に紹介された、商人のところに行くとスペインまでの渡航料は1000両といわれます。それに応じて1000両を差し出す主人公。値引きなんてしません。次回から楽しみになりました。

9/5

 

「鬼一法眼(きいちほうがん)」7 勝新太郎ほか監督 1973年

第十三話 山下耕作監督

切り札が登場します。あの異人に犯された元許嫁が主人公を探して和尚と旅をしているのです。前にも旅の途中で会っているのですが、そのとき女のほうはわかったみたいなんですが、主人公は知らない振りをしたのか、そのままになっていたのです。

そしてこの回で初めて、事件の後の二人の話が登場するのです。さらに、和尚と身を寄せているうちの娘が異人に無理やり結婚させられると聞いて自分が身代わりになっていくのです。ここで主人公との別れを決心したのですよ。

しかし因果な流れで二人は再会します。それを振り切りまた旅を始める主人公。

なにかここまでの総括的な物語でした。

当然この監督ですので、ダンディズムたっぷり。

 

第十四話 三隅研次監督

いい監督が続きますね。

そして舞台は横浜。また卍が出てきますね。さらに昔助けた娘が再登場してきます。だんだん話が収斂してきますね。

この娘が旅芸人一座にいるのですがそこの道化が今度の悪人です。しかし道化で身をごまかして、口が利けない振りをして善人ぶりをしてうまくごまかしてきたのですが、主人公の目はごまかされなかった。さらに善人というのがあだで、一座の身代わりに犠牲になってくれといわれるのです。うまく逃げてきた犯人からするととんでもないことで、これでは意味がありません。

しかし実はこの一座自体が麻薬の密売の隠れ蓑になっていたのです。そして役人がバックについていた。そうなると取り締まるものがいないのですが、場所は横浜。奉行に卍がいます。卍はすべて解決、犯人もたいした罪はないので娘と一緒に賞金稼ぎを忘れて巡業できるよう自由の身にしてあげます。なんと後味の良い終わり方。

続けていい感じのドラマが続きました。この回は後半への布石にもなるような内容でした。

9/6

 

「アメリカングラフィティ」ジョージ・ルーカス監督 1973年

なんというか、中年以上の方には、自分の学生生活そのままという感じの人が多いのではないでしょうか?かく言う私もこんな高校生活を送ってました。それでこの映画はロードショーで観たのですが当時はまだヒットしたという感じでもなかったです。私もサントラはすぐに買いましたが映画を観て感動するという感じではなかったのです。

今観ると、逆に、自分の高校生活とダブらせてみることが出来るせいか、やけに懐かしく、いとおしいものに思えます。すべての登場人物が周りにいた人間にそっくりですし、たった一日でこれだけのことが起きるなんて、楽しいですよね

先輩がいて後輩の面倒をみたり、ナンパしたり、喧嘩、悪戯、映画のエピソードすべてがつぼにはまっていて面白い。

あとは映画のBGMで流れるロックンロールが絶妙のテイストで画面に躍動感がありますね。多分、携帯、インターネット、ビデオなどが手元に当然にある時代の若い子には理解できない部分があると思います。これらのものがまったくなくて、たとえば待ち合わせで相手が遅刻したとき、何時間待てるかは相手をどれだけ信用できるかということにかかっていた時代を知っている世代には懐かしさがあると思います。あと、優等生ではわからない部分はあるかな。なんというか、ねたみ、恨みのない純粋な青春の送れた時代のアメリカの一ページです。特典映像でも監督自身が言っておりますが、アメリカの良かった時代へのオマージュだということらしい。しかし恋愛に積極的というのはいいなあ。相手に感情をぶつけている点も最高に良いです。今になってこの映画の価値がわかりかけてきました。高校時代が楽しくて仕方ないという思い出のある方にお勧めです。昔観たという人も改めて見るとその良さがわかると思います。歌の歌詞も素直なんだ、これが。当たり前すぎますが、主役は「ビューティフルマインド」の監督でアカデミー賞も取りましたし、もうひとりは有名俳優になりました。この映画で端役の俳優はハリソンフォードですね。

9/7

「ザ・商社」和田勉演出 1980年

とにかくあまり期待していなかったのですが、かなり面白いです。

第一回 愛する時と死する時

なんてったって、片岡仁左衛門さん、山崎努さん、夏目雅子さんがいいですね。

安宅産業のなんというか小さな商店経営的な部分なところが強調されていてすごくわかりやすい。そして、変な油田計画に乗り気になってしまうところが、今思うとすごくおかしいのですが、結果論です。さらに海外での日本人の人間関係も面白く描かれてますね。

 

第二回 江坂ファミリー

ここで思うのは、財閥がまだ直系の場合は(創業者が見えている場合)はなにか甘さが抜けていないということ。

そして夏目雅子役のピアニスト(A)が社主の人事の思惑を聞いてしまうことでドラマが生まれます。これは事実かどうかわかりませんがドラマツルギーそのままです。このAが慕うアメリカ子会社の社長を追い出そうとする話を聞いてしまうのです。

さらに取引先のレバノン系のアメリカ人に追加の無担保融資を条件につけられてしまう。

このことを稟議で承認を得ることがなかなか困難な直系の支配力が強い商社なのです。敵は身内にあり。しかしこの取引相手も然るもの。中東情勢を見越してオイルショックの可能性から条件を引き上げているのです。

次の回が楽しみになりました。

9/8

 

「ザ・商社」2 和田勉演出 1980年

第三回 「セント・ジョーンズの神話」

いやー参りました。せっかく石油代理店契約を、トリックを使ってうまく軌道に乗せようとするときに本国日本に帰れとの辞令。おいしいところは子飼いの新任の部下にやらせようとするのです。しかし相手はこの主人公を信じている部分があるので、ほかに急遽変わったら解約ははじめからやり直しでしょう。

そんな日本側を尻目にレバノン人は秘密事項を隠して商社の金だけを取るつもりになります。まさに主人公は嵌められました。

あのピアニストも精神的に参ってしまい、アメリカという国が二人を蝕んでいく様子が描かれます。それどころか、企業全体に影響をします。さらに第四次中東戦争で原油価格は7割上昇します。

しかしアメリカ、カナダは国内物価の安定のため、石油価格の調整に入ります。アメリカは国内備蓄の供給。カナダは国内価格の安定。

しかしこの商社が絡むカナダでの石油取引はもとの原油をBP(北海原油ですね)からカナダのガソリン国内価格以上の価格で国際商品市場の高騰のため仕入れていたのです。そのため売れば売るほど損が出るのです。カナダ政府はこの事態になる前に手を引いてます。それは国内政策の絡みでしょう。

そして主人公はこのカナダでの製油事業のパートナーが一発勝負屋の出自が貧しい男で、かつ地元にまったく溶け込んでいないという事実に気がつくのです。この時点で融資銀行もこの商社も現地をほとんど見ていないのです。現地主義からの逸脱の激しいことこの上ない。この時点でこの主人公は所属する商社の中で暴走してしまったといわざるをえない。

最終回 「日本の中の異邦人」

ここまで、描かれているのは、すべての人間が、小さな存在に過ぎず、大きな時代の流れ、政府の意向などからは遠い存在であること。さらにその小さな存在でも、みんな平等に愛する気持ち、楽しい気持ち、悲しい気持ちなどを持ち合わせその一時に気分が左右されてしまうという生き物であることには変わりないことが描かれております。さらに、自分の中で一番大切だと思ったことも、瞬間に消えてしまうという事実、しかしそのような悪夢の中でも変わらない感情を持ち合わせる人間、という両面をも描いていると思います。

この最終回ではそのようなことが、「負の連鎖」として悪循環した結果が描かれます。

しかし、日本政府は逆に一致団結の気配を見せます。それは債務移動の会社を作り、商社自体の簿外に持っていくということ。そして商社の決算では実情が表面化しないというような段取りを作るのです。しかしマスコミが動きます。そこでは安宅コレクションが槍玉にあげられます。今考えると笑えるのですが、安宅産業がつぶれると経済界に大打撃という環境として描かれてます。いまの若い世代は、大手銀行が次々に弱体化しているさまを見ているので不思議に思うでしょうし、商社自体ももっと悲惨な状態に現状あるのです。このときの安宅産業が足元にも及ばない商社がアップアップの状態でスモンね。

9/9

 

「死国(しこく)」長崎俊二監督 2000年

最初見たときは面白かったのですが、今回は意外と平凡な映画のような気がしました。

まあ高知県が舞台なのですが、そこでシャーマン系の家系に育った娘があるときに死んでしまいます。しかしその霊を生き返らせようとする親たち。それは閉じ込めた悪の霊を呼び起こすみたいな目的を持っていると考えて問題ないでしょう。もっと複雑なんですが、簡単にはこんな感じです。

その娘の幼馴染の女友達と男友達が絡み合うドラマです。この男友達を死んだ娘は好きで、かつ男のほうも好きな相思相愛の関係なのですが、娘は死んでしまいった今となっては、女はこの女友達のほうになります。またこの女友達も美しく成長して、土地の相続の関係で離れていた故郷に帰ってくるのです。

そこでこの女と近づいていく男を霊界から牽制するがごとく、シャーマンの娘は登場します。この愛情の三角関係と、四国のお遍路の呪縛との関係があるひとつの家系を通じて、ひとつの地域で、石鎚山の近くで起こり、その霊も鎮魂され、無事解決するといった話なんです。

しかし男はこのシャーマンと心中する形で犠牲になることで解決するといった意外とロマンティックな解決方法が用意されております。この辺はあの世でもうまく行くのかなあ、と思えるようなきれいな終わり方ですし、役者の存在感は女優二人には特にあると思います。このことがこの映画のイメージを良くしているような気がいたします。夏川さんと栗山さん。特に栗山さんは、多分何も演技していないと思いますが、気持ち悪い雰囲気を持った女優さんでした。

9/10

 

「歌え、フィッシャーマン」クヌート・エーリク・イェンセン監督 2001年

ノルウェーの映画はなかなか観ていないので景色だけでも面白いですよ。景色は田舎そのもの、そして海は時化てます。さらに街に日本企業の看板があるのを見るとなにかうれしかったりもします。

何せ一番北の街らしい。もう北極海に面しているみたいです。そして町は水産業が下火で不景気。その中での合唱隊の話です。

しかし自然の厳しさと貧しさを知っている連中の歌は、それはうまくはないし、日常生活も豊かではないのですが、生活に愛着があるのです。何がいいのか?歌がいい、ということ。

そのことを延々と語る映画なのです。観ていて面白いのか?いいえ。

しかし誰かの発言になにかを感じることは出来るでしょうし、町並み、インテリアなどは参考になるような気がします。私はすごく参考になったというか、まったく私の感性と同じということを認識いたしました。店の照明は基本的に北欧の照明を参考にしているのです。しかし町並みに映る、白夜だけは幻想的ですね。すごく町並みを引き立ててます。

あとは合唱隊の素直な顔が主役なんでしょう。

これらのことはロシアに演奏会に行ったときにわかります。ロシアの国境の兵隊、町並みの貧そな建物。古い工場。これらがすべて対比として映し出されます。

しかし最後に公演でロシアの観客に受け入れられるところで終わります。人生捨てたモンじゃない、という感想。

9/11

 

「沈みゆく女」リン・ストップケウィッチ監督 2000年

「キスト」が意外と好きな映画です。テーマは異常なんですが意外と見ていて気が楽な映画でした。同じモリーパーカー(A)主演です。

ここではモーテルの受付のバイトをしている、欲求不満の主婦を演じております。旦那がナルシストで自分の美しさなどを捨てることが出来ない男で性的関係も淡白です。これがこのAには満足できなくて、体を売ることをはじめます。すると口コミでそのうわさが広がり、お客は次から次に集まってきます。その中にやけにやさしい男がいるのですが、だんだんその男と深みにはまっていきます。ここが盲点で、この男はそれがテクニックでAを駆け落ち、すなわち熱愛と思わせてその気にさせて家を飛び出させて、娼婦にさせるのです。

そのことを知ったAはぎりぎりのところで逃げ出すのですが、帰るところはもうない。しかし、まあ女友達が今までの行為を知っていながら友情を示してくれるというやさしい終わり方をする映画ですね。

確かこの監督、カナダの女流監督だと思ったのですが、女の欲求不満とやさしい女同士にしかわからない友情、思いやりをうまく描いた話だと思います。しかし平凡なストーリーであることは間違いないですけど。

9/12

 

「白鳥の湖」 ベルリンオペラバレエ団 1998年

私たち日本人はロシアバレエ(ボリショイ、キーロフ)、パリオペラ座、ロイヤルバレエと見慣れてしまっているので、どうしてもそれらから比較すると、個人レベルでは落ちます。

ソリストの踊りも、この演目ではそんなに難度は高くはないのですが目立ちません。まあオリバー・マンズというのか王子役はかなりいい跳躍をしております。あとステフィ・シーファーというのかオデット役もやわらかさのある踊りです。コールドの部分はさすがにキーロフなんかの比較ではないです。

しかしバレンボイム指揮のオーケストラの音の鳴り方はまとまりがあり素晴らしい。すごくリズムを強調して踊りやすく演奏しております。金管も派手ではないしね。

本当にオーケストラは最高です。そして映像のアングルが正面と上方からうまく舞台の雰囲気を伝えていて臨場感ばっちりです。私はバレエは一番前で観るのがすきですがまさにその雰囲気が伝わってきます。

そしてプリマドンナSTEFFI SCHERZERは記憶すべきバレリーナです。素晴らしい。年齢は若くはなさそうですが、もう知り尽くした踊りというか、多分得意にしている演目なんでしょう、本当にうまいです。

そして「舞踏会」のシーンの演出は際立ってます。すごくわかりやすいし、ゴシックの雰囲気充分。最高です。楽器のソロもさえて舞台と音楽の一体が図られてます。ここは本当に楽しい演出。

9/13

 

「鬼一法眼(きいちほうがん)」8 勝新太郎ほか監督 1973年

第十五話 小林正雄監督

ちょっと間があきました。ちょうど一週間待ったという感じでしょうか?

そしてドラマもパワーアップしました。もう漫画みたいで面白いです。丹波の国の山鹿(多分この字)の殿暗殺のため老中から賞金稼ぎ8名が雇われ、主人公もその一人です。しかしこの殿様評判がいいのです。そして賞金稼ぎも疑問に思うし、殿様も大江山に逃げます。酒天童子がいるからです。笑い

その通り一人ずつ賞金稼ぎが殺されていきます。見えない敵に対する恐怖が、強いはずの賞金稼ぎの中に充満してきます。

挙句の果て主人公まで罠に嵌ります。これは悪い戦なんで、どうしようもない。しかし賞金がどうしてもほしい主人公です。しかし山の者は強い。それを前に助けた女の子が介抱してくれるのです。

そしてこの女の子の父親が山の者の頭領なのです。その勝負に勝ったが、殿様のところに行くとこの女の子、さらには殿様の潔い覚悟、部下のものの覚悟の前に賞金稼ぎが出来ませんでした。そして山を降りると幕府のものが待ってます。それをぶった切る主人公。

 

これ、どうしたのかと思うくらい、今までと路線が変わり、面白い内容です。多分、主人公の出自に関係のない回、と卍がでてこない回の除くと一番良いのではないでしょうか。

9/14

 

「鬼一法眼(きいちほうがん)」9 勝新太郎ほか監督 1973年

第十七話 大州斉監督

この辺はもう西部劇のノリの良さ。卍に紹介された賞金稼ぎの相手は邪宗の宗徒とその頭。

その砦に向かうまでも一波乱あるのですが、行ってからも、その女かしらに誘惑されたり大変です。当然そんな誘いにはのらないですよ。その邪宗の仏様がなにやらどこかの宗教と似ている気がしないでもないのですが気のせいでしょうか。

そしてその行動は革命と同じです。反逆というべきか。まさにこの時代の全共闘の影響でしょうか?対象は幕府というのだから卍が伝えたのもわかります。

しかしその団結はいい加減なもので反社会的な人間が集まっただけです。中には代官もいたのですが、結局主人公に壊滅させられてしまい、主人公はまた新たな異人への復讐の旅に出るのです。この辺のシリーズはちょっと突拍子もない、娯楽に傾聴したテイストのあるものでもう一歩進めば映画としても十分通用すると思います。

第十八話 三隅研次監督

ここで主人公は長年連れ添った馬を売ります。そして賞金を求めて悪党を追っていくと逆に先に殺されていました。そこは百姓の村です。ここで正体不明のものに襲われてかなりの恐怖を感じます。山の者もそうですが地理に精通しているものは強い。野党の襲撃に備えて村を守っていたのです。それで野党の一味と間違えられて捕まった。ここで狙いは野党のかしらに変わります。しかしこのかしらの妹が村にいて、当然村人から村八分にされております。このことから主人公と行動を共にするのです。

しかし村のほうからの依頼にこたえてかしらと野党一味殺しを請け負うのですが、村の人が総がかりで手伝ってくれます。この辺は「荒野の七人」みたいです。そして罠を作って追い込み、広場に誘導するとそこにいるのは主人公。この辺のカットはうまいです。短い時間なのにまとめる力量は素晴らしい。わかりやすくまとめ上げてますね。

しかし隠し財産はなかったのです。しかし野党の馬をもらい、その馬とはじめに売った馬を交換してまた旅に出る。

村を出るときはシェーンみたいです。まあ西部劇の影響の強い映画でしょう。しかしかなり良い物語です。

9/15

 

「いつまでも二人で」マイケル・ウィンターボトム監督 2001年

U2の歌を主題歌に使ってます。この歌好きなんですよ。今では巨匠の雰囲気さえ漂う作風のこの監督の少し肩の力を抜いた映画です。舞台はベルファスト、ですからU2なんです。

そこで倦怠期の夫婦、結婚5年目その前に付き合って5年、がいます。その倦怠期を子供のせいにして子供つくりに励みます。そこに10年前まで文通していたフランス人が登場。

家に居座ります。まあちょっとの滞在のつもりだったんですが、妻は新鮮さを取り戻し、夫はあろうことか昔の仲間とゴルフに出かけます。しかし夫の今の仕事は妻の実家の手伝いなので夫は妻の実家と妻に縛られている感じですよ。

途中コンサートでシューベルトの弦楽五重奏を聞くシーンがあるのですが、この曲難しい曲ですよね。チェロが実質的に中心です。ですからロマンティックになる。このシーンはフランス人と妻のためのシーンですから。

しかしフランス人は別に帰ってもやることがないので、アイルランド(北アイルランド)に定住しようと考えます。ここまではいいとしてこのことを打ち明けると夫婦は曲解します。ずっと邪魔されるのかと。そしてそのうちにフランス人も邪魔なのかと気がつきますが、どうも妻のほうを好きになったのです。この二人と夫は夫で昔の女との方が気が合うみたいだし、別々にうまくいきそうなんですが、そうなならない。ここがテーマなんです。

 

相性だけではなく、作り上げるもの、それが夫婦。そんな感じのすごくまじめな内容が本質の映画です。バイオリン、クラリネット協奏曲が印象的な映画です。バイオリンが夫婦、クラリネットがフランス人みたいな感じかな。最後の終わり方は「終わりよければすべてよし」という戯曲的な大団円でこの映画の喜劇としての風格を作り上げてます。

9/16

 

「シー・オブ・ラブ」ハロルド・ベッカー監督 1989年

実に意外なことにはじめてみる作品です。

アルパチーノ、エレンバーキンなら観ていそうですが観ておりません。

刑事役です。しかし題名は映画の中で流れる「愛の海」というナツメロのタイトルですね。

シーは彼女ではなく「海」でした。

プレイボーイが連続して、事の最中に殺されます。彼らは共通して新聞の出会いの欄に甘い詩を掲載して女の気持ちを惹きつけるのです。しかし3人連続して殺されます。犯人は女らしいということで、おとり捜査に走ります。それはこのプレイボーイ役を刑事が行うということ。ちょっとおいしい仕事でもあるので上司の許可はなかなか下りないのですが、まあやるしかない。

しかしそこで出会う被疑者の女性の囮としてアルパチーノが近づいていくのですが、なにか魅力を感じるのです。しかし半分疑っているのです。その疑いも晴れて結婚しようとするときに最後に彼女の家で徹底的な証拠らしいものを見てしまうのです。そのため躊躇しますが、それは実は彼女のもと旦那が彼女をストーカーして元妻が寝た男を殺して歩いていたというおち。

この結末は意外とたいしたことはないのですが、何がいいのかって、二人のラブシーンがいいのです。これはなんというか恋愛している二人の距離感ってこういうものだよな、と一目でわかるような感じで、エレンバーキンの演技の勝利でしょう。

それだけでも最高ですが、内容も枝葉の部分が面白かったり、今は主役級が脇役で出ていたりで面白い映画でした。こういう風に期待しないで観て面白い映画に出会うとうれしいですね。

9/17

 

「ダンス・ウィズ・ア・ストレンジャー」マイク・ニューウェル監督 1984年

WOULD  YOU  DANCE WITH A STRANGER.

この映画は実はロードショーのとき観たかったんですが見れなかった思い出があります。

1954年のロンドン。いい景色が出てきますよ。

ナイトクラブの歌手に恋した青年。しかしこの女には子供がいてその子供を学校に入れるのを経済的に援助してくれる男がいます。

青年のほうはルマンレースに遠征に行きますが結果は優勝できず。こちらも婚約者はいるのです。ですから盛り上がるとしても、犠牲になる人はお互いにいるというわけ。

青年は良家のお坊ちゃんで、実際に実家を見に行ったときに女はあきらめました。何せ子持ちの水商売の女ですから。しかしお互いの感情は深く交流しているのです。ですが女は子供を学校にやることにします。平凡な中年を選ぶのです。ここで面白いのは男は二人ともトラッドを着てますが青年のほうが粋な服装です。この辺は日本でも昔流行した形で懐かしい感じもしますよ。

そしてお互いが勝手な部分があるので周りに迷惑をかけてもう一緒にはなれない関係になってしまいます。しかし想いはお互いに持ったままなので話がややこしい。しかし引き合う気持ちは止められないのです。でもってお互いに責任を持ち合う関係にはなれなくて子供も中途半端になってしまいます。それで女に好意を持っている中年の男は心配で二人がけんかをすると仲裁をするのですが気持ちが自分に向かない苛立ちがあるのです。でもこの愛する感情だけはどうしようもないものなので自分のほう向くのを待っているのですがなかなか自分のほうに向かないのです。それをいらいらしながらもじっと耐えているのです。まあ日本だったらこのような男のほうが勝つのでしょう。しかしこの映画ではどうなんでしょう。まあ予想を超えた最後でした。

とにかく感情のもつれ合いの映画だけではなく景色、女の化粧などがすごく印象に残る映画です。

9/18

 

「トスカの接吻」 ダニエル・シュミット監督 1984年

懐かしい映画です。昔はこんな映画ばかり観ていました。

ヴェルディの家に集う、往年のオペラ歌手を中心にドキュメンタリータッチで話は進みます。そして老いて歌うソプラノの「椿姫」には本当の「あわれ、不幸の女」の気持ちがわかるかのような雰囲気が出ております。なんといっても若いうちには、この不幸の気持ちはわからないで歌っていたことでしょう。

しかしテノールにしてもとにかく発声は素晴らしいものがあります。さすがに引退しても衰えることのない音感と美声。

そしてシミオナートの「歌手が観客から離れる」という言葉はいいですねえ。印象を残して消えるということです。

ここで役者論をひとつ。役者というのも人間ですので、生まれは普通の人間です。しかし目指すものが演技というのです。しかしここに登場する人たちは、舞台を中心にひとつの世界を作り上げた人たちです。そういう意味では自分の中に確固たる基準を持った人たちでそれを変えることはなかなかできないのですが、その通りに演技をさせると実に役者を超える演技をするのです。それがこの映画ですね。その意味では最高の演技の映画です。

そして歌う歌がすべて「愛」の歌ばかりで人生いつまでも愛を忘れないという世界。

バリトンは「リゴレット」の思い出に、現役ではない昔を懐かしく思う「哀れさ」が漂います。こうしてオペラ、特にヴェルディのこれらのオペラは社会的にあまり恵まれた立場ではない人を扱っているだけに、老齢の元スターの哀愁にうまくはまり込みます。

そして思い出に浸りこむときの、その役へのはまり方はさすがに素晴らしい。一級の役者たちです。

9/19

 

「マンマ・ローマ」ピエル・パオロ・パゾリーニ監督 1962年

この監督はスキャンダルばかり注目されますが、意外といい映画を作る監督だと思います。

主演のアンナ・マニャーニ(A)は大好な女優です。

作風はこの監督の一作目と近い感じのするものです。母の気持ちと子供の反発と贖罪がテーマに近いと思います。そのことを画面では、キリスト教の有名な絵画の構図をモチーフにして描ききっております。気がつかなかった点ははじめのシーンが「最後の晩餐」の構図ということ。

あとは磔のキリストの名前はわかりませんが、力強い絵画の構図も最後に出てきます。ここで子供は贖罪として死んでいくのです。その過程は母がもと娼婦でまるっきり恵まれない家庭だったことで一人息子に過大な期待をすることに起因するのです。この期待は当然なものなのですが息子のほうは体が弱く、また少し引きこもり気味な性格で母の心配を招くのです。ですから、母が狂言でまともな就職口を見つけてくれるし、元娼婦の直感で息子が親しくする女を避けるように指示します。これらが息子には余計なお世話に映るのです。しかし人生の修羅場をくぐってきた女の正しい判断なのです。そして唯一の欠点は息子をまともな人生を送らせようと考えた母親の気持ちが強すぎた点でしょうか。しかしこれは当然のことで、欠点とまではいかないはず。

上の就職祝いに奮発して買ってあげたオートバイで街を親子で飛ばすシーンはこの映画での幸せのピークなのです。たかがそんなことで幸せのピークが来てしまうのです。

あとは、昔の男にまた娼婦にさせられたり、息子が仕事をやめて、あまり好ましからざる連中と付き合いだしたのも悲劇への加速の度合いを強める効果しかありません。

そのまま、犯罪、そして監禁、磔の治療(体が悪い囚人ということなのですが)、死。

最後にその死を聞いたとき母親も飛び降り自殺しようとしますが、市場で働く下層階級の人々はこの母親の気持ちがわかりすぎるくらいですので必死に止めます。その力で死ぬのをあきらめた先には教会が光り輝いているのです。

まさにこの舞台となった地域はイタリアとは思えない、合理主義の建物と市場、(それは汚い市場です)、そして対照的なローマ帝国の遺跡と周辺空き地、さらに最後の鐘もいわゆる団地の中に燦然と輝く教会の鐘でした。

このことは単刀直入に社会の貧富の差と下層階級の悲劇を見事に浮かび上がらせるのです。

音楽が「鉄道員」「ブ―ベの恋人」などの作曲家というだけあって、哀愁のある印象深いいいスコアを提供していると思います。この監督もここから「王女メディア」にかけては才気いっぱいの監督だと思います。

9/20

 

「ラ・パロマ」ダニエル・シュミット監督 1974年

この映画と「ジャスト・ア・ジゴロ」好きでしたねえ。

一人のキャバレーのショーの主役に恋をした男と女の話です。盲目的な恋は二人をひきつけ、この女は治療を受けて、精神的に参っていたところを助けられます。しかし本当に女は男を好きにはなってません。でも男は押し切り、結婚をします。

そのときの新婚旅行でのアリアはきれいというか、現実離れをしています。とにかくこの監督は夢のような物語、映像を作る人ですよ。ここがピークの天上の愛、背景はアルプスの山々、そして妖精が飛び回るような日常離れしたシーンです。この妖精が人間であることが現実的なんですが。このアリアの歌詞が最後まで運命を決定します。

しかし案の定、新婚家庭に友人を呼ぶとその友人と妻は浮気をします。その挙句に駆け落ちを、とまで言うのです。友人のほうは「金のかかる女だから、君の望む生活をさせてあげられない」と断ります。すると妻は金はもらっていけばいい、というのです。ここで夫の愛情の限界を知った妻は鬱に陥り、隠遁の生活を始めます。

しかしその友人はこの女を本当には愛しておらず、夫は最後まで愛し抜きます。それは骨まで愛して、というほど。

しかし遺書の通りに妻を埋葬した夫のもとに襲った幻は、結局はすべて夢だったという結末です。それは冒頭のほうで出てくる賭け事に負けて自殺する男のように。賭け事の勝負も夢を見ただけ、ということ。まさに「想像する力」という映画のごとく、想像の産物なんでしょう。その行き着くところは「愛」。

途中、双眼鏡で競馬を見ているところもあるのですが、それもストーカー的な愛情を意味していると思います。そして愛の生活のいいとこ取りですが、波乱もなければ、ということで不倫と最後の骨まで愛してという盛り上がりを作るのです。

9/21

 

「ラスト・タンゴ・イン・パリ」ベルナルド・ベルトリッチ監督 1972年

マーロンブロンドのゴットファーザー前ですね。この監督は先日のパゾリーニ監督の助監督のスタート。「殺し」を監督してます。脚本はパゾリーニ。

とにかく、音楽が良いし、映像も陰影の使い方がうまいのと色の定着がいいです。それらがパリをすごく魅力的に映し出してます。この映画ってパリが観たくなるときに見ることが多いのですが内容がちょっとねえ。あと主役の女の子、ちょっと美人じゃないですよね。

しかし主人公の二人のなにか、会った瞬間の行きずりの出会いはこの映画にエネルギーを与えていると思います。

男のほうは妻が不倫の末自殺したのです。その意味がわからなく途方にくれた状態。しかしこの男は性的な魅力がある男です。それに対して不倫に相手はまじめで几帳面なタイプなんです。なにかに飽きたのでしょう。しかし妻は一度もこの映画には登場しません(死体としてだけ)。そしてここで出てくるのはこの女のこの方。結局、この女の子と一緒にいるときは妻といるときと変わらないのでしょう。

しかし男は若い女を避けます。それは善意からなのです。しかし若い女は裏切られたと思ってしまう。そこに破局があるのです。そのあと男も若い女のところに戻ってきても、若い子が決めたことは変えることは出来ません。そのまま捨てられるように死んでいくだけ。

なにか寂しさと、安心感が同居する最後です。安心感はこの浮遊感漂う男の行き場所が見つかった気がするからです。

その前のダンスホールのタンゴのシーンで終わると思ったのですが、ここで終わらないところがいいとおもう。愛の誕生と破局まで描いたほうが良い。そしてこの映画はこの男の物語だとなってしまうのです。ですからマーロンブランドなんでしょう。ということで、いい映画です。

9/22

 

「暗くなるまでこの恋を」フランシス。トリュフォー監督 1969年

文通で出会い結婚したカップルの話です。はじめから結婚式なのでその後、の話。

場所は高級バニラで有名なレユニオン島(ちなみに私も使ってます)。

しかしどうもこの奥さん隠し事しているんですね。それでこの映画はこの女がどんな人間化について興味を持たせる形で進みます。案の定、銀行口座を妻と共有にしてからすぐにいなくなります。そして同じころ、この女の姉から手紙でなんで妹から返事がないのか、と問い詰められます。こうなるとあの女は偽物とやっとわかる夫。美人には気をつけましょう。ということなんですが映画ではいかにもこの女胡散臭く見えるのです。しかし主人公の夫はまったく信じてしまい、美人なんで有頂天に立ちます。

今度の問題は、とりあえず、文通相手が金持ちとどうして知るようになったか、本物の文通相手の女は殺されたのか?というドラマツルギーになってます。

しかし簡単に女は見つかります。ここは強引な展開。すると殺したけど、その殺された女も同じこと考えていた、というのです。そして共同の犯人の相方の男がお金をすべて持って逃げたという話。

また信じてしまう。そして身の上を聞いているうちによりを戻してしまうのです。ということは、ほかにこの女の捜査を警察と探偵にお願いしてあるので、二人で逃避行をします。まあいつかは事実を話すのでしょうが。

さらに犯人の男はほかにも事件を起こしていて、警察にいるのです。

ここで探偵と逃げている二人の緊張感に焦点が移ります。ここで決定的な事件が。それは探偵と男が出会ってしまい、大体お見通しの探偵は、この女を捕まえるというのです。何となら殺された女の姉も捜査依頼しているため、そちらのほうの正義も追わなければならないとの事。正しい。それゆえ、探偵を殺さざるをえなくなります。この女のために、財産を失い、殺しまでやる男。こうなると結末にしか興味がなくなりますが、それはこの監督の勝利でしょう。

最後までお金に固執して夫を殺そうとする妻に対して、殺してくれと、でもお前が好きだといってくる夫。ここでこの馬鹿妻もはじめて愛を知るというお話です。夫の立場からすると高い恋愛のようですが、なくなったお金はすべて遺産だったわけで、愛を勝ち取るほうが大きいのです。

懐かしいし、やはりいい映画ですね。

9/23

 

「高校大パニック」石井聡互監督 1978年

なにか、スピード感があり、意外と面白かったです。しかし今の時代には通用しない映画でしょう。というのはこの映画はバイオレンスものでしょうが、それでもこの映画の時代には教師に威厳がありました。今は教師が犯罪はするし、生徒は引きこもり、殺人はするという世の中なので、まだほのぼのした動機ですしまじめな生徒の暴走に過ぎません。

内容は進学校で落ちこぼれた生徒が差別に逢い、教師を撃ち殺すところから始まります。この銃は銃砲店で店番の隙を狙って盗んできたものでした。なぜ殺したのか?それは受験の模試で成績を上げられなかった同級生が自殺するところから、受験重視の教育に疑問を持っていたからです。この映画はこのように受験で人間性まで決定するかのような風潮を批判もしているのだと思います。

そのあと警察が来るから、仕方なく校舎の中を逃惑っていたら、何人かが犠牲になっていくのです。

この警察は射撃隊まで出動させ、まるで「明日に向かって撃て」のような状況になります。

そのなかで最後に残った女の子の人質とある程度、意思疎通が出来るのですが、その女の子は射撃隊が間違って殺してしまいます。これで逆に人がいなくなったので警察は一斉に踏み込んで逮捕するという結末になるのですが、警察の不手際がかなり描かれている映画なのであまり上映される機会は少ないような気がします。

しかしある程度テンションは高く、ひきつけられる映画でもあることは事実ですよ。

浅野温子さんが初々しいですねえ。

9/24

 

「囚われの美女」アラン・ロブ=グリエ監督 1983年

ルネ・マグリットの「囚われの美女」の作品を実にうまく使った、まさにだまし絵のような作品です。観客は常にマグリットの作品のモチーフや「囚われの美女」の構図、絵そのものが出てくるのでその意味に固執しますが実は、それは巧妙な監督の観客の意識をそらせる手段だったのです。なにかそこに意味を求めますが、そこにあるのは、主人公たる男の固執した女というだけなのです。まあ片思いの愛なんでしょう。またはあこがれ。

その対象たる女を固定するために、監督はこの「絵」を手段として使うのです。

その背景の風景たる海で戯れる女の映像もその意味で実は引っ掛け。事実、7,8年も前に死んだはずの女ということで、どういう死に方をしたのか、提示してくれたとの解釈をするのですが、それももしかしたら主人公の頭の中での想像に過ぎないのかもしれません。

そしてこの絵のモチーフとモチーフの対象たる「囚われた女」の周辺を主人公はさまよいますが迷宮の中に入り込んだ形になります。

そして迷宮を出るためには「死」しかない、深い迷宮に入り込みました。まさに死の間際の甘美な夢が映像となってここに結実したのです。

なんというのでしょうか、私はすごく好きな映画です。本当に美女は出てくるのか?まあ少し活発的な美女(ぼかしはたぶんマスターにも入っていると思う)は出てきますよ。もう少し神秘性があっても良かったかも。

最後にシューベルトの弦楽四重奏はまさにこのような迷宮にぴったりの音楽だと思いました。逆に言わせていただきますと、シューベルトの弦楽四重奏を観るという感覚もこの映画の表現として合うのかもしれません。決して難しい映画ではありません。イメージの世界、描写の映画です。記号の意味がわかると簡単です。「街を歩いている半分は死者だ」なんて言葉にも注意かな。ボス=妻=死の使い。ボスからの電話がきっかけで、託された手紙が迷宮への切符です。その迷宮が好きな女の謎の死を探求するという意味と自分の死という両面があるのです。観ている人が少ないだけで話題にあがらないだけかと思います。

9/25

 

「他人の顔」勅使河原宏監督 1966年

この監督の作品久しぶりです。そして実にいい映画だとまた再認識いたしました。でも今この宗家、映画作るとしたらまったく違うタイプの映画になりそうな感じもします。

しかし、若さあふれる映画です。そして京マチ子さんが老けてしまったという悲しい現実にこのころから直面します。しかしはっきり言ってこの映画はオールスターキャスト。さらに美術良し、原作良し、音楽良しと悪いところがありません。本当に素晴らしい日本を代表する映画の一本でしょう。

まあ顔の形の疑問。これって根源的な問題です。皮膚と配列という表層的なものでしょうが、持っている問題は根源的。

美意識とはなにか?を問われます。その前に常識とはなにか?

「覆面の心理」人間は匿名では違う人格が出てくるのか?答えは戦争でもわかります。それに呼応するごとく精神病院が出てきます。なかに戦争の被害者がたくさんいるのです。そして美しい顔に傷のある女の子も。

このほかにも素晴らしいシーンの連続で、いちいち切り取ることはしませんが、仮面の人格とそれまでの人格と怪我をしたあとの人格の3つが並存していたのです。というより怪我をしたから仮面の人格を楽しめるようになったのでしょう。

精神薄弱の女がその本質を見抜いたのは、顔などの外見にかかわらず、人を識別しているからです。

ということは一般の人は何を持って人を識別しているのか?という問いかけが残ります。

とにかく実存の問題、さらには人間の内面の問いかけを提示しております。私はそのスタッフの豪華さに唖然としてみました。いい人材が使われてます。それも才能でしょう。あとは多くは語りたくないとても良い映画です。

9/26

 

「極道記者(ごくどうきしゃ)」望月六郎監督 1993年

題名がいい加減ですね。記者とか弁護士、医者の悪いやつは手に負えない感じ。

しかし頭いいというか、世渡りがうまい。こちらの世界に精通していない私とすると見ていてこの監督、脚本家よく知っているな、と思うのです。

博打打ちなのでドライな部分もあるのですが、その中でウェットな部分がこの映画をなぜか忘れがたいものにしております。

こんな映画で、飽きずに観られるのか?そう思ってみはじめましたが、なんのその、一気に観てしまうパワーがありました。音楽もいいし、出てくるキャラクターがなんとなくいいです。この監督は「皆月」の監督ですがあの映画でも最後にかけて弟がやさしい笑顔を見せる、そんな瞬間を語りたい、そういうやさしさを持った監督のような気がします。

どちらの映画も設定は決してほめられたものではありませんし、ちょっと過激な面もあるのですが、兄弟や姉妹、友情などの微妙なバランスをうまく描いているような気がしてならないのです。しかし最後には人間は孤独ということを強調しながら、助け合っているよね、という部分も小出しにしてそこに妙に魅力を感じる作り方をすると思いますよ。

多分ともに低予算ですが、丁寧な映画の作り方をする監督だと思いました。決してテレビドラマには見えない映画独特の雰囲気にこだわるというか、映画を作れる監督です。ともにちょっと古めの作品になりましたが、今も活躍しているのでしょうか。もし近作を観る機会があったら観てみたい監督です。この映画も人には薦めにくい映画ですが、なにか観ていて感じるものはありました。「酒と女と博打」こんな世界でも生き抜くたくましさと不器用さを感じたのかもしれません。

9/27

「鬼一法眼(きいちほうがん)」10 勝新太郎ほか監督 1973年

第十九話 若山富三郎監督 

主人公自身の監督ですね。内容はちょっと要領の悪い男が出てくるのですが最後まで正直に生きた様子がなにか主人公も私も感動的でした。

しかしさすがに役者だけのことはあり、監督としての力量は若干編集などに冴えがないという感じはします。

結局、賞金稼ぎを死んでいく侍の手柄にして自分は取り分なしで終わるのです。ですから話としては本筋からは関係ない亜流の話です。しかし、その真摯な態度を見せる貧乏侍には心を打たれました。

 

第二十話 大洲斎監督

なにか終盤へのつなぎの意味合いが少しずつ出てきました。医学を志しスペインに渡ろうとした男の後を追ってきた女と遭遇します。この人はスペイン語も勉強していて、主人公に大いに興味を抱かせます。そして哀れな境遇から先にスペインに密航をさせてあげようとするのです。

しかし事態は深刻な方向に。追っていこうとした恋人は密航の前に殺されていたのです。そして何も目標がなくなった女はまた自分の家に帰ることとなる。

この辺からスペインとスペイン語もちらつかせてかなり主人公が本当にスペインに行くのだろうか?と思わせる展開になります。

前回の木村功さん、今回の加藤武さんといい、 良い演技も続いてますし、内容もいいです。主人公が人生のむなしさばかり見るという展開でしょうか。

9/28

 

「鬼一法眼(きいちほうがん)」10 勝新太郎ほか監督 1973年

第二十一話 黒田義之監督

今回の主人公は賞金稼ぎというより、弱者の願いを達成させることでお礼をもらうという形。ちょっと仕置人的な感じです。

しかし請求する金額は半端じゃないので、すごい割りきりが必要でしょう。またこれだけ請求できるからにはどんな状況でも達成する(助ける)自信がなければ出来ません。

そして今回は本当に好きあったもの同士が一緒になれないで、ほかの人と結婚したとき、その旦那はどんな仕打ちをするのか、また好きという感情はどうしようもないものなのか、を主人公に問いかけます。もちろん、そんなことで微動だにしない素振りはしますが、また主人公の心のひだが深くなったことでしょう。

 

第二十二話 小林正雄監督

この回は弟子に剣の道を教えるという特殊パターンです。偶然、賞金稼ぎをするところを見られ、自分は仇を討ちたいから剣の道を教えてくれという若者。あまりに真剣なので刀も買ってやります。この時の刀屋に「八幡大菩薩」を祀ってあるのです。この八幡大神は刀鍛冶とおおきなつながりがあるといわれてますね。このとき一番いい刀を買ってあげるのですが、はじめから良い物を使えということみたいです。

しかし上達するにつけて人間も試し切りするようになるし、仇の正体を明らかにします。それは主人公でした。主人公に殺された賞金首のせがれだったのです。また生き地獄を経験する主人公でした。

だんだん精神的につらい場面が多くなってきております。最後に救いはあるのでしょうか?

9/29

 

「エクソシスト」ウィリアム・フリードキン監督 2000年

ディレクターズカットですので2000年の映画ということになるでしょう。公開当時は観にいっておりません。

はじめのイラクの遺跡のシーンは悪魔の降臨を意味して、神父と戦うことを暗示するのです。そしてその悪魔が降り立つところは子供。

はじめのうちは医学に頼っているのですが、悪魔の帰依とわかってから神父との戦いです。しかしこんなまじめな映画なのに怖いシーンをクローズアップさせて大ヒットしたのにはいまさらながら驚きます。神父の前に精神科医の登場ですが、そこで少し少女の中になにかがいるのがわかりますが、何がいるのかは不明です。そして神父はイラクでの悪魔の彫り物と対面したときになにか嫌なものを感じた通り悪魔と戦うことになります。

そこに至るまで、警察とこの子供の家族が出会うきっかけの殺人事件が起きてその捜査の過程でこの子供の周辺が浮かび上がるのです。

悪魔祓いをする神父はイエスズ会の神父で悪魔祓いをするには悪魔の帰依の証拠が必要だという手段を説明します。この辺は今回始めて気がついたこの映画のまじめな部分です。そして認可されるまでこの神父も懐疑的でした。しかしどうしようもない証拠が出てくるので、学長に悪魔祓いを申請して、冒頭のイラクにいた神父の登場となるのです。冒頭のイラクからここまで出てくる神父は別の若い神父なのです。ここで話が冒頭の悪魔との対峙とつながってくる。この悪魔祓いはキリストの御力を借りて悪魔を立ち去らせるというものです。

ではなんでこの少女に悪魔は宿るのか?子供でさえ悪魔の前に屈するということの間接的な証明だからです。

9/30

 

「キル・ビルvol1」クェンティン・タランティーノ監督 2003年

この監督は実は嫌いです。つまらない。それでもやはりこの映画の登場人物には興味があり、観ることにしました。

しかし結果は自分のつぼにはまりました、というしか表現がないほど面白かった。元ネタの映画がわかると面白いらしいのですが、「恨み節」とかが映画で流れるだけで十分違和感がありました。

 

しかしここまで日本を写されると、海外でこんな映画観る人いるのかね?と思ってしまう。そのくらい、わざとらしい、日本とマカロニウェスタンの影響の下にあります。でも製作現場の監督を見ているとかなり楽しそうなんで、こちらも楽しく受け入れるべきだよね、と思ったらめちゃくちゃ楽しめました。しかし、観るまで実は気がつきませんでしたが、続編があり、話が続いているのでそこまで観ないとなんともいえないでしょう。

10/1から10/5まで旅行です。

10/6

「グッバイ・モロッコ」ギリーズ・マッキノン監督 1998年

最後に「HIDEOUS KINKY」と子供たちが言うのですがそのシーンはいいですよ。

1973年かな、ロンドンから女の子2人を連れて逃げ出してモロッコのマラケシュに言った女の話です。ご主人はロンドンに置いたまま。

結局「子はかすがい」のパターンです。

子供たちが先に大道芸のピエロと友達になってついでお母さんもというパターンです。旦那は詩人で浮気あり。そして現地の人と恋愛してみたいのでしょう。

とにかく子供が無邪気にはしゃいでいる映画です。そしてこのピエロの故郷に行くと恋人が予期せずにいます。たぶん子供も生まれたばかりなんでしょう。

ですから男は居心地が悪くて、出て行こうとするのです。しかし英国の女は、居場所が見つかった感じでほっとしているのです。そして犯罪者なのです。それで自分のほうから身を引くのです。そのため、一家はマラケシュにまた戻ります。そこで金持ちの英国人に会い拾われる感じでいろいろと諭されるのです。その家でかかっているオペラは「リゴレット」。上の女の子が6歳くらいなんですがもう分別があり、母親よりよく物事を判断しているのです。そのことを英国人のご夫妻に話したら、ロンドンに戻るべきだと、といわれる。シタノ子供は4才くらいかな、どちらかというと遊びたい盛り。この二人の女の子の考え方の相違も面白いですよ。

あとは風景がいい。「シェルタリンスカイ」に負けないくらいにいい景色です。それにジェファーソンスターシップなどをはじめとするこの頃の音楽。「SOMEBODY TO LOVE」とか大好きでした。

しかし上の子供が病気になり帰国するしか方法がなくなります。しかしお金がない。そのときピエロだった男が仕事に使う制服を金に換えて航空券を買ってくれます。しかし当然、逃げなければならない身になったので3人に会えません。しかし最後に例のおまじないをお互いに言うシーンが用意されているのです。なんというか異国のやさしさが感じられる良い映画であるとともに、愛情の深さを感じます。子供たちも一生忘れない出来事だったと思います。

この映画はお勧めですよ。

10/7

 

「ゴースト、ニューヨークの幻」ジェリー・ザッカー監督 

この映画って忘れていたりしたんですが、ウィーピー(霊媒師)のところに死んだ霊が直接たずねて行くんでしたね。そうしたらこの霊媒師のほうが犯人より胡散臭いことがわかるなんて、この映画はすごくいいです。先日も「ギャラクシー・クエスト」を観たのですが一度で気に入った映画は何回見てもいいですね。

この映画ははじめから今回も面白いのです、映画館で見たときは感動したでしょう。かなり前のことで記憶はあるのですが、感動の大きさは忘れました。

そして銀行の現金引き出しのシーンは秀逸ですね。その後の一言「天国より私は現金が良い」というひと言は笑いますね。あの寄付をする瞬間もいいなあ。

そして、死んだ彼氏は彼女の愛の深さと愛の重要性を知って二人で最後幸せを分かち合って天国へ旅立つのです。

日本は輪廻転生を信じている人が多いので受け入れやすいと思いますが、だめな国もあるんでしょう。しかし本当に良い映画です。こんな後味の良い映画も少ないし、主演の二人はこういう映画を役者のキャリアで持っていると幸せでしょう。

10/8

 

「チャオ、マンハッタン」ジョン・パーマー、デビット・ワイズマン両監督 1972年

ずばり来ますよ、心の中に、この映画は。

久しぶりに観ます。「17歳のカルテ」とかを超えて、「GIA」などとともに重いテーマです。

一人のトップモデルの転落の様子が間接的に描かれてます。どういう風に?それは一時消息を絶って精神的にどん底のこのモデルを映画に出演させることで転落前の映像とともに転落後の映像を重ねて観る者に何が起こったのか間接的に想像させるというものです。

実際監督たちもその数年間のモデルの行動は知らないらしい。

その数年の間に豊胸手術もして胸は大きくなって、その胸を隠すこともなく常に顕にしてほとんど隠すということをしません。さらにメイクもあまりしないので美人の素顔に近い顔に接することが出来ます。このあたりになると、いかに精神的なものが外見的なものよりも強いのかということが逆にわかるという、強い逆説的な説得力があります。

さらに美人の素顔という覗き見的な視点、まだ現役人気モデルだったときの周りの環境の異常性などもこの映画にアクセントをつけております。ここでも出てくるのですが、ウォーホルという人物は私は嫌いなのですが、何でこうも周りを不幸にするのだろうか?と思わざるを得ない部分を再認識しますね。

さらにモデルのときとそれほど変わらない素顔。それはいかにモデルという職業が虚構の中にあるものかということを浮かび上がらせます。この素顔はやはり人間なので呼吸をする生きたものです。それゆえ、汚い部分もある、当然の結末なんです。しかしモデルのときの写真ではその汚い部分はきれいに化粧をされて隠されます。

そのギャップは観客に対してのアピールとなります。実際後半の精神的に不安定なときの顔は少し、こちらがお化粧でもしてくれよ、というもの。GIAと違って死因はエイズではないのかもしれませんが、この映画撮影の後、3ヵ月後になくなってます。

失踪した後は、結婚して一般人として暮らしをスタートさせようというときでした。その結婚式の様子は映画の中でも出てくるのですが、平凡かもしれない、その辺にいるちょっといい女という感じでしょうか?

幸せは作られた虚像の世界では得られない、ということ。

苦しい映画です。

10/9

 

「パピヨン」フランクリン・シャフナー監督 1973年

懐かしいです。これ映画館に観にいきました。当時、スティーブ・マックィーンが落ち目というか年をとり始めていて、最後の良作の部類でしょう。

すごく良い映画です。何で良いのか、それは監督の人生の一本だからです。誰でも人生ひとつは物語があるものですが、この監督はこの映画がそれにあたるのだと思うのです。また脚本も現実のパピヨンな訳で、真実味と男らしい部分がうまくミックスされてます。

さらにそれを引き立てる、映像のよさ、どの部分をとっても写真にしたいくらいです。最高の映画音楽。サントラ買いました。LPで出てすぐでしたね。何回聞いたことか。。

アンディウィリアムスの歌も良かったです(これはサントラに入っていないのですが)。俳優も演技というより絶対的な存在感があり、ダスティン・ホフマンなんか俳優というのを感じさせないドキュメンタリーみたいな雰囲気さえ漂わせる名演技です。そう、この映画はドキュメンタリーな雰囲気が漂う、素晴らしい映画です。内容はシビアですが音楽がロマンティック。はっきり言ってこの時代の映画はかなり観ておりますが、今から思うとかなりいい映画が多いと思います。中間期の変な時代ですがね。SWくらいから現代の映画なんでしょう。

はじめの脱走というか友人をかばっての逃亡と独房。さらには次の本格的な脱走。次に捕まったら独房5年の刑です。

ホンジュラスかどこかに流れ着いてすぐに警備隊に呼び止められ、ダスティン・ホフマン(A)を置いてけぼりにして仲間は撃ち殺されて、現地の犯罪者と一緒に逃げるあたりどうなることかと思いました。さらにAはどうなるのだろうかと心配したモンです。2回目からはそんなこともなく観てますが。しかしそこにたどり着くまでの船旅が二人の友情を永遠のものにしたのでしょう。実にいいシーンの連続です。

そして逃げているうちにパピヨンは吹き矢で撃たれて川に落ちますがそのまま、ある原住民に拾われます。今思うとここのところは話に説得性がないですね。

その原住民たちとの日々も楽園のような日々です。ここでも思うのですが監督はこの地域を知っていると思います。本当に監督のすべてをこの映画に出して、役者も本当に最高の演技をしているのですね。

しかし警察に密告したシスターは初めて映画館で見たときは唖然としましたよ。それはないだろう、とね。今観てもちょっとねえ。

そして5年の独房。

友との再会と永遠の別れ。この最後にかけてがまた良いのです。何回も言いますがこの二人の役者の最高の演技ですね。こんな演技を引き出す魅力が作品にも、監督にもあるのでしょう。とにかくこれだけ素晴らしい映画なら、一本しか代表作がなくてもいい監督といえると思います。音楽のジェリーゴールドスミス、この人の名前も永遠に忘れないでしょう。映画にのめりこむはじめの頃に観たいわゆる贅沢(ロードショー)の一本です。一人で観にいったんだよなあ。いまだに覚えてます。30年前になったらしいですね。年月のたつのは早い。

10/10

 

「砂の器」野村芳太郎監督 1974年

いまだに人気の高い作品ですね。名作です。しかし原作より映画のほうが情感が高く作られております。また「パピヨン」についでハンセン病の患者が出てきます。

この映画はなんといっても日本の景色がいい。四季折々、いろいろな地方の特色が本当に画面に変化を与えております。

それは状況を描写するだけで、どんな話をしているのかはすべてカットして、状況の様子をテロップで書いて提示するということ、そのことで、画面の情感とその意味の文字としての一致が図られ、かつ画面の景色などの描写から視聴者が個人の人生の歴史に応じていろいろと考える余地というものを作ったことで成功しております。

景色とすると、秋田、石川、出雲、伊勢、大阪、岡山、瀬戸内海などが印象的です。

さらに、ストーリーテラーとしての刑事。この役の丹波哲郎さんがすごく印象的な演技をしてますね。

あとはいろいろと時間的に矛盾はするのですが、それを超える叙情が映画には存在するという点においてすべての矛盾は忘却のかなたへと。

「宿命」生まれてくる、そして生きていくこと、そう人間は一人では生きていけないのです。とてもいい映画です。というよりみんなが知っている良い映画なんでしょう。

10/11

 

「血を吸う宇宙」 佐々木浩久監督 2001年

久しぶりにこの監督の映画観ます。めちゃくちゃなんですよね。

今回は生まれてもいない娘がさらわれたと騒ぐ主婦。あきれる警察。そこに霊能者が現れるという展開。この霊能者で前作を思い出しました。でも一貫して前作とこの作品で感じるのは俳優って大変だなあ、ということです。やりたくて仕方なくてこの役やっているのでしょうか?途中馬鹿らしくならないのでしょうかねえ。まあいいか。

しかし、めちゃくちゃな展開とはいえ、何となく説得力があるのは監督の才能でしょう。ゲストに黒沢監督(CUREの方の監督)が出ていたりします。

そして、宇宙人とインディアンとの戦いをベースに妄想に取り付かれた主婦の話を中心に進んでいきます。

その中でこれはまずいだろう、という表現がいくつかあり、もしかしてこの映画は意外と上映される機会が少ないかもしれない、と思いました。実際のパロディだと思うのですが、あまりに度が過ぎると大丈夫か心配になります。

まあ話は置いておいて、奇想天外な映画ですが、観ていて飽きはしません。ただそれだけしか言うことがないのですが、前作「発狂する唇」よりはまとまりはあると思います。

10/12

 

「恋におちたシェイクスピア」ジョン・マッデン監督 1998年

かなり古い映画になってしまうのですね。この映画はもう最高です。こういうのが一番好きなタイプの映画です。・ちなみに同じ監督の「娼婦ベロニカ」も好きですがこの映画は評判悪いみたい。というより、この映画さえも今年あたり大学生になったばかりの人には受けていないらしいです。信じられない。

とにかく、スランプのシェイクスピアが本当の愛を経験して立ち直る、という話です。そして実際の恋愛進行形で出来上がる作品は「ロミオとジュリエット」。出来すぎのようですが一歩間違うとダサい題材をうまく作りきっております。

そして音楽がまたいい。ロマンティックでダイナミックな音楽です。いわゆる現代版の音楽ですよね。途中、舞踏会のシーンで古楽が出てくるのですが「エリザベス」みたいな迫力はありません。

ですから劇中劇は「ロミオとジュリエット」で映画の進行はシェイクスピアの恋愛。アンハザウェイとの後の話です。映画って、意外と製作監督は作りこんでいるので、背景がわかればより面白いというのがあるのですが、この映画もシェイクスピアやエリザベス時代を知っているとより深く理解できます。あと、原作が有名な映画も原作に負けるという意見を良く聞くのですが、原作の時点で良い物は、それを映画化することでひとつの解釈にしかならないという点を忘れてはいけません。小説からのイメージの世界は読者それぞれが違うものなのです。そのひとつの切り口を監督は提示するだけなのです。ですから自分の感じ方と違うということは当然でしょうし、それは違うというケースが出てくると思います。

そしてこの映画はシェイクスピアの存在自体にロマンティック・ダイナミズムを付与しているという点で勝利している映画だと思います。

あまり内容に触れないのですが、これで十分にわかっていただけると思います。とにかく素晴らしい恋愛ドラマですよ。そして「ロミオとジュリエット」の素晴らしさを再認識することでしょう。作り手は作成途中ですごく楽しい思いをしたことでしょう。その雰囲気がそのまま映画に出た作品です。

そういえば、「ゴースト」も役者たちが楽しんでいたという監督のコメントがありましたが、役者も人間、相性はあるでしょうね。

10/13

 

「鬼一法眼(きいちほうがん)」11 勝新太郎ほか監督 1973年

第二十三話 安田公義監督

よくあるパターンですが、商人がだまされて没落して、その娘が仇を討とうと志しているところに主人公との出会いがあります。それを止めて、主人公自身がその裏幕を調べます。すると、何人も悪い奴らが出てくるのですが、大元の一番汚いやつを突き止めます。そして代わりに仕返し。というか、最後に仇討ちの相手の前で拳銃を構えて仇討ちをさせます。

うーん、ここに来てもまだ、自分の仇討ちはどうなるのか見えてこない、本流から離れた話でした。

10/14

 

「ラブホテル」相米慎二監督 昭和60年

昔観た時の印象はまったくないのですが、最近、この監督の作品が気に入っているのでもう一度見直してみます。

まあ、私生活で多分借金漬けになって妻を取られた(寝取られるという感じ)男がどうにも首が回らなくなって、風俗遊びをします。その女を自殺の道連れにしようとするのです。そんな弱い男が、その風俗女を縛り付けて脅しているうちに、女の快楽というものを見せ付けられてしまうと、生きてみようと思うのですよ。

そんな始まり方をします。ちょっと、過激な女優の演技が入るので意味なく観ていると映画の意味がわからなくなる展開ですね。

生きていく手段としてタクシーの運転手を選ぶ。そして2年後、街でこの女を見かけます。追いかけて待ち伏せしてタクシーに。当然女のほうは気がついていないのですが、なぜか相性が合うのです。そのあともなにかにつけて会うようになるし、お互いに必要な存在になってくるのです。まさに「出会い」だったのでしょう。

しかし、映画では女は勤める会社の社長と不倫関係にあります。それがばれて破局に。不倫ですので、独身のほうはつらい。この場合は女のほうが独身で、この社長は家庭に帰っていきます。この不倫がばれた日の夜のこの元不倫相手にかける電話の内容の寂しさは身に染みます。ここに二人の寂しい男と女が出来上がります。しかしタクシーの運転手も破産したため離婚しているだけで精神的には奥さんはまだ家庭をもっていると思っているのです。そして出直そうと。

しかし女の気持ちはどんどん男に近づいていきます。その挙句、男もこの女がいとおしいものに思えてしまう。この感情はどうしようもないもので、またまじめな男にとってはその感情を陰で支えてくれる妻の存在ゆえに受け入れることが出来ないのです。

そんな中、最初に出会ったラブホテルで最後の夜。そして男は消えて行きます。女はやっと見つかった瞬間の休息できる相手とも本当にすぐ別れが来てしまう。しかしけじめとなって前向きに生活を再スタートさせればいいのです。

そんな終わり方。

ちょっとスケベなシーンが多いのですが映画の本質は好きです。この女優もかなり度胸あると思います。安易に人に薦められないタイプの映画ですね。

10/15

 

「点子ちゃんとアントン」カロリーヌ・リンク監督 1999年

ケストナーの原作ですね。「二人のロッテ」もそうです。どちらも甲乙つけがたい素晴らしい作品です。映画もいいのですよ。たぶん前にも書いていると思います。

点子はパパが医者で母は海外友好大使、それで豪邸に住んでいて、お手伝いさんと家庭教師までいます。実はこの二人の家族以外の人が陽気で、結果的にこの映画の話を円滑に進めてくれるのです。両親はエリートにありがちな自分中心主義。

アントンは点子の彼氏なんですが、家は貧しく、両親は別居(離婚)状態。さらに母の健康が優れずに代わりにアイスクリーム屋で働いてます。またこのアイスクリーム屋が陽気なところで、こんな商売日本でも受けるのかな?と思うようなところです。そしてこの映画の登場人物はかなりの人間がこのアイスクリーム屋に出入りしております。ですから二人の家族以外の人間たちが意外と陽気な連中なんです。アイスクリーム屋の店員で悪い奴が一人いますけど。

まあ、最終的には、家族愛、隣人愛が一番、そしてお金は回る、うまくまわそう、ということです。なんというか投資とかの世界ではなくて、愛情の世界というのが良いです。

何回も同じものですみません。

10/16

「ことの終わり」二−ル・ジョーダン監督 1999年

この映画はいい映画です。世間での評価は高くはありませんが、私は好きな映画です。

不倫の映画なんですが、不倫したもの同士にもわからない女の気持ちがあったのです。それはそれを思う女自身にもわかりえないものでした。ですから第三の人という書き方になるのです。男は不倫をされたと思い、嫉妬する。しかしこの男も他人の妻と不倫しているのです。しかし自分からの浮気は許さないという勝手な男で、不倫相手に探偵をつけます。すると男が浮上してくる。これが第三の男?違います。しかしそうだとだまされることでしょう。そして第三の男がいると勘違いしたら、すぐに本当の旦那のところに知らせに行きます。まさに汚い男。旦那のほうは観て見ぬ振りをすることにします。では第三の男はどうやってこの妻たる女の気持ちに入り込んだのか?それは男が爆撃を間接的に浴びて、死んだと思った瞬間、どんなことをしてもいいからこの男を生かしてくれと祈ったからです。男も「すごく幸せな瞬間だった」というようなことを言っているのです。では誰に祈ったのか?彼女の中に存在する神に対して祈ったのです。そして命が救われた、そのため、彼女はそれ以降、その祈りの代償を行うのです。それが男をして不倫と間違わせた原因でした。第三の男は神です。では彼女が祈らなければ男が死んでいたのか?それは観客に答えをゆだねます。しかし描写は女が信仰心を持つきっかけとして描いております。「奇跡」が起きたとするのです。

そして女は「愛」と「欲望、快感」の違いを認識するのです。普通は出来ない。しかし状況からしてそれが出来てしまったのです。いわゆる、マリアの誕生です。この祈りの言葉「生き返らせてくれたなら、もう二度と会わない」素晴らしい。そうです、この世の中に一緒に存在することを、死んでしまったときの喪失感を感じることによって得たのです。

ドラマツルギーとしては、このままでは前に進行しないので、探偵が女の日記を持ち出して男に渡し、男も女の心情を知るというつながりを見せます。そして焼けぼっくりに火がつく。さらに旦那の下からブライトンへの逃避行(懐かしい場所です)。ブライトンは懐かしい思い出のある場所で、この映画で本当に昔のことを思い出します。

キングスパレスの中でのバッハの無伴奏チェロソナタ。ここで旦那と出会ってしまいます。あとは3人がどう折り合いをつけるかです。難しいでしょう?ですから女が不治の病だとわかるということにして、最後を二人の男が看取るという手段をとります。まあ愛に囲まれて死んでいくのですが、そこで男はこの夫婦に永遠の愛を、と最後には願うようになります。しかし自分はどうでもいいと。それは神に翻弄されたためでもあるからでしょう。

最後に、この映画を見るたびに思うのですが、主人公の一人の女サラは、ダイアナ元皇太子妃に似ていると思います。

世間がなんと言おうと私はこの映画は大好きです。

10/17

 

「東京ゴミ女」広木隆一監督 2000年

監督の字が違います、申し訳ございません。なんといっても最近の女優でいい感じの子がたくさん出ているので思わず観てしまいました。

これは面白い設定なんです。ある女がいて、この女は憧れの人が近所に住んでいてその男の捨てるゴミを拾ってきては中をチェックして保存できるものは保存しているのです。

ところがバイト先のカフェレストランではこの女目当てのお客様がかなりいるのですが、そんなお客様には目もかけない、という態度。いまどきの女の子です。それとかわいい女の子を雇うとお客様が増えるのかもと、勉強になりました。

しかしこの男には彼女がいるのです。それで男に電話をかけて「あなたが連れ込んでいる女は淋病、クラミジア、エイズの三冠王です」と言おうとするのですが、言い出せない。結果ただの無言のいたずら電話になってしまうのです。この辺おかしくって。

しかしこの男は毎週のように女を取り替えているような不安定な男です。そんな男にかげながら話しかけている主人公の女の子はかわいくって仕方ないですよ。そしてこの女の子にもカフェの常連のファンがストーカーまがいに家まで訪ねて来ました。そこで散歩に出かけるのですが、意外とこのシーンが良かったりするのは、主人公の女の子の優しさとかわいらしさがあるからでしょうか。逆に一番いいシーンかもしれません。

最後、思い切ってライブハウスに行くと演奏を終えた彼は一人でギターを弾いてます。そのまま、相手になって、ベットに。このときは思いっきり女の子はうれしいのです。しかしゴミを漁っているということをとっくに知っていたと聞かされて大ショック。

自分の恥ずかしさとそれを知っていて黙っている男への吹っ切れた気持ちが共存して、すべてのゴミを捨てる気になります。当然もう会わない。そのゴミを自分で捨てに行くところ、さらに男の昔の彼女をだまして男に会わせなかったことへの後悔から言い訳をしに会いに行くと一応気持ちが吹っ切れたということを聞かされて、一安心するところ、など最後、自分の気持ちの整理の仕方はうまい。しかし捨てることが出来なかったひとつのものはなんでしょう?タバコの習慣でしょう、マルボロ。

意外にもとてつもなくいい映画でした。

10/18

 

「目下の恋人」辻仁成監督 2002年

この監督は、初めてです。小説も読んだことないので初体験ですね。

バードとあかりの関係、はじめから私個人的にはすごく受けてました。それはお互いに詳しく身上書を交換していない不特定多数の関係の中の特別な恋愛関係みたいなものです。あかりが妊娠したと告白してバードが急に態度が変わったと聞きただしたときのあかりの言葉は身に染みます。かなり真剣な言葉を話します。これはバードを愛していそうな感じさえあるのですが、なにかバードの余裕みたいなものを崩したいという気持ちかもしれません。バードもあかりを好きになったときは別れるつもりだった妻が病気になって最期を看取ってあげようと気が変わっているのです。あかりもバードと付き合うことで本当の彼氏の良さがわかるようになってお互いにいい出会いだったのですが、問題は妊娠。どちらかが別れて、残ったほうの子供にすればいいのでしょうが、それが出来ないまじめさがこの二人にはあります。しかしバードはかなりリッチな生活をしていて、映画でこういう高級な生活を見せられるとちょっと拍子抜けします。仕事が地図作っているだけでこんな生活できるのだろうか?娘にねだられて靴を買うために5万円あげたのには参った。

そして彼氏のほうは、納得できずに別れようと当初は言います。当たり前ですが、子供のことが最後に気になるのです。

目下の恋人、それは制度慣習に縛られない、純粋な愛の継続があることを示す表現だったのです。結婚しても愛がなくなる人はいくらでもいます、逆はなかなか難しい。それを実践したいとこの彼氏は思っていたのです。それは両親が離婚して、祖父祖母の純愛を見て育った環境にもよるのでしょう。そして本当の愛を見つけたことになるのです。3人が3人とも真実の愛を見つけるドラマです。素直になれた瞬間。

10/19

 

「ショウほど素敵な商売はない」ウォルター・ラング監督 1954年

まずはボードビルのドナヒュー一家のショー。子供が増えていくのが楽しいです。1919から1923年頃。

この映画は本当に楽しいです。マリリン・モンローは脇役ですけどね。

ミュージカルに変更後のドナヒュー一家のショーは楽しいですよ。「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」です。

その打ち上げみたいのバーでマリリンと出会うのです。この映画のマリリンはそんなにきれいではないのです、しかしかわいいところは相変わらずですね。プロモーターが来てそこで売り出そうとして歌うシーンがまあこの映画では一番いいです。なんというかミッチィ・ゲイナーにいいところもって行かれている映画なのです。そのくらい周りも素晴らしいので、どちらかというと引き立て役に回っているような映画ですね。そしてフロリダでドナヒュー一家と同じ曲をやるということで、譲ってもらったやったショーが大当たり。このシーンもいいですよ。

そしてブロードウェイ、ここでドナヒューの子供たちと競演する舞台は最高です。この映画はここまでもいいシーンの連続ですがここから最後にかけてもノンストップのいいシーンばかりです。このブロードウェイのあたりからマリリンもすごくきれいになってきます。

ここではマリリンの引き立て役にドナヒュー一家がなっていくのですが、なんと言うか映画のリズムドナヒュー一家のリズムですので、そのアクセント付けにマリリンというのは間違いないと思います。転調という感じですね。しかし、「ショウほど素敵な商売はない」の歌に至っては家族みんな集まりますし、その間のごたごたも忘れて舞台に立つ母親(これがまた名演です。エセル・マーマン)の気持ちが歌詞になっていてうまく舞台と現実と混ざり合います。そしてエンディング。カラフルな色。舞台中、絵のような色です。

本当に素晴らしい。こういう映画を見たことない人もいると思うのですが、やはり馬鹿にしないで古くてもいい物はいいと思ってください。

10/20

 

「風の谷のナウシカ」宮崎駿監督 

この映画はちゃんと観るのは初めてです。昔はあまり意味がわかりませんでした。アニメ自体ほとんど観なかったので、どこか斜に構えたところがありました。

世界最終戦争あと、ということです。原作はここまでの経緯もわかると思うのですが、どうでもいいでしょう。まずナウシカが散歩の途中「オーム」という昆虫の抜け殻を見つけるところから始まります。目玉の抜け殻のレンズを持って帰ろうとすると空から、ある植物の胞子が飛んできます。レンズと胞子、それにオルゴールみたいな音楽、きれいなシーンです。とにかくおてんばとやさしさが同居しているようなかわいい娘です、仕事が「風使い」とかいうもの。それは、良くはわからないのですが仲裁者みたいな感じです。それにすんでいるところは風が常に吹いているところですので、風の谷のナウシカです。なにかこの風は、浄化作用のある、常に誰かのチェックが入っている監査のような意味合いがあるみたい。その逆の意味で「腐った海、と書いてふかい」と読むらしいのですが、そこは地面の中のどろどろした部分、自然で言うと地中、(そこに住むオームは格好の金属元を市民に提供しているし、)または犯罪や談合の象徴なんでしょう。そしてその談合や争いに巻き込まれた市民たちは戦争に明け暮れてしまう。この風の谷はいわゆるユートピアなんですね。

そして少しキリスト教みたいな信仰のある国です。そこにトルメキアという軍事国家が、きょしん兵、という過去の軍事に使う生き物を発掘して持ち込んでしまったのです。この「虚臣兵」は「きょしん=虚心」という意味もあるのかもしれません。そのトルメキアの飛行機も敵国の襲撃で撃沈され、ナウシカたちはふかい、に落ちていくのです。ここでオームという虫が邪魔者を排除しようとするのですが、そのとき敵かどうかを判断するのです。そのときにオームとナウシカの中でDNA遺伝子の中にある昔、人間の時代の思い出が蘇るのです。それは人間と虫が共存していた時代。まあこの映画ではナウシカとオームの関係ですけど。ナウシカがオームの幼生を助けて隠していたという事実があるんです。しかし人間と置き換えてもいいのではないでしょうか。しかし、人助けに深入りしすぎて、流砂に落ちていきます。

そして森のやさしさに触れるのです。

あとは戦争をしたがる大人たち、国家間の争いが描かれ犠牲になる人間や昆虫、自然を守ろうというようなことがメッセージとして語られます。それにしても最後にオームに助けられたナウシカの奇跡は良かったですね。終わり方もきれいです。

音楽もいいし、私はこの監督の作品では「ルパン」と猫バスの出てくる映画、名前忘れました(となりのトトロとか言う題名)、とともに気に入ってます。

 

 

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