芸州の福島家の藩士だった男が、主家の没落と共に江戸に出てきたが埒が明かず、切腹をしようと思い井伊家の軒先を貸して欲しいと願い出るところから始まります。この映画はこの当時でもそんなに若い人をターゲットにした映画ではないと思いますが、はじめからこんな説明でわかる人は今では少ないと思います。いわゆる、「たかり」です。切腹させるわけにはいかないので何がしかの金品をあげるか、または仕官させる前例が出来てから流行ってしまったのです。しかし井伊家は違いました。切腹させてあげようと言うのです。すると浪人もあせる。しかし追い込む井伊家、仕方なく切腹しますが、もって来た刀が切れない、それで時間がかかってしまう。最後には歯で舌を噛み切る。これは自分のまいた種ですから恨みは出来ないでしょう。しかし井伊家の罪もあるかと思います。ちょっとの逃げる隙を作るだけでも井伊家の家名は安泰すると思うのですが、甘いですかね。とにかく琵琶の音色が映像にぴったりとはまってます。音楽は黛さん。カメラは宮島さん。
次に来たAにはこの話を聞かせて帰そうとするのです。しかし切腹をすると。そして介錯を馬回り役にお願いします。その指南頭がいないので迎えに行く間に戯れ話。それは先の浪人はAの知り合いだとのこと。そして福島正則の流れとその没落の話を言って聞かせる。周りの井伊家の連中もこれが理不尽だと知っているので、なんとなく聴いてしまいます。そして先の切腹した人間は自分の同僚の子供だというのです。この辺は普通には聴いて入られません。井伊家は徳川譜代ですが福島家は豊臣の譜代ですから、感覚が違うといえば違うのです。しかし介錯の指名する武士がみんないないのです。それらはみんな先日のAの同僚の息子の切腹を進めた男です。ここでAが命を賭けて仕返しに来たとわかるのです。
「もともと罪科の切腹にあらず、介錯人は私が選んで当然」と井伊家やり込められました。前回は親切を義に切腹させたのですが、今回は親切を前に出すなら、この言葉が利いてきます。「かくなるうえは問答無用じゃ」と言わせたらAの勝ち。戦う義が出来ます。しかしまた戯言を始めます。今度は話が終わったら切腹、抵抗しないとの約束。かなり覚悟が出来てます。
この戯れ話ですべてが明らかになるのですが、武士階級のうわべだけのプライドを痛烈に批判します。A自体もちょっと前までは気がつかなかったことです。
3人の髷をとって井伊家のみんなに見せ付けて、3人のいい訳を明らかにしたところ、まさに千両役者、かっこいい、というか素晴らしい出来。実践が剣法より強いことは「プライベート・ソルジャー」でも明らかでした。
そして、井伊家の中での立会い。無理に切ろうとするから、切腹したいというものの望みをかなえてやれずに抵抗の理を与えます。その結果、ここで死んだものは病死、Aは切腹で片がつき、体面を整えました。後半の1時間近く、心臓がパクパクした緊張感のあるシーンの連続で興奮がなかなかさめやらぬままでした。
映画というのを超えて感動しました。
「戦艦大和(せんかんやまと)」安部豊監督 1953年
「回天」もそうでしたが学徒出陣があったのでかなり、哲学書を持って兵役についていたみたいです。回天ではエマニュエル・カント、この映画ではスピノザです。逆に今の学生はどれだけ読んでいるのでしょうか?馬鹿にしたもんではないと思います、かなり読んでいるみたいです。この映画は助言に大和の副長が入っているので、かなり忠実なんでしょう。
それからすると、大和の出撃は時すでに遅し、本土で活用すべし、だったみたいです。さらに燃料も片道分しかなく、沖縄援護に単体に近い形で出撃したみたいです。戦争はなんでもそうですが、後から見ると馬鹿げたことはいくらでも出てきますね。
船員の言葉は涙が出てきます。「大和は沖縄の真っ只中に出て、敵の標的となって、その間に特攻隊が攻撃をする」理にかなっておりますが、みんな犠牲になりますよね。絶句。特攻隊は援護機ではないのです。そして制空権はアメリカにあり、空からの攻撃には弱い軍艦に過ぎない大和、せめて空母なら、空対空の戦いができます。なんで出て行ったんでしょうね。しかし一条の光はあります。出撃前に予備兵を降ろすのです。これはもう艦長はじめかなりの人のコンセンサスだと思いますが、(映画では明記はしませんが)、将来の日本を担うものを囮に使って無駄に死なせたくなかったのでしょう。
この映画とすると、出撃してから、内地の恋人とか妻の回想がいくつも入り、映画のテンポが急に悪くなります。後は沈没するだけですからね。しかし潜水艦にも弱いのは致命的でした。しかし死ぬ気なので、どんなに水が入ろうと、どんなに被爆されようと、誰もひるまないで最後まで魚雷の位置などを確認する様は見ていて言葉では表現できません。まったく無駄な戦いなのですが、ここまで命を捨てた戦いはないでしょう。まるっきり織田軍に挑んだ武田軍みたいに無駄な突進です。しかしこの様子は心には刻み付けておこうと思いました。役者もまだ、特攻隊会館で見た写真のように目がきらきらと輝いているんです。あの目のきらめきを見た人たちは取り組みがたい相手とは思ったでしょう。今の日本人にあるかどうかという議論はおいておいて。