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最後に傾斜復元の見込みがなくなったとき「総員を甲板にあげます」、言葉がなくてもこの総員の気持ちがひしひしと伝わってきますよ。さらに逆もあったのでしょうが、沈没した後、浮き木にもたれて漂流している兵隊に機銃を浴びせてきます。これには、事実とはいえ参った。やはり現実のほうが映画より怖い。自分が映画を作ったらこんなシーンまで用意はしないと思いますし、最後の言葉「戦争を生き抜いたものこそ、真実次の戦争を欲しない」も事実だと思います。戦場の怖さは多分味わって見なければわからないと思います。

「戦国自衛隊(せんごくじえいたい)」  斉藤光正監督 1979年

実は一度も見ていないのです。信じられないのですが事実です。話はちょっと見えにくいのですが自衛隊がクーデターを起こそうとして結集したときにタイムスリップしたらしい。「時をかける少女」といいこの時代はこういう映画がはやったのですね。当然この時代はエイリアンは見ても(このエイリアンも馬鹿にしていた)この手の映画はまったく見てません。そこで上杉謙信に出会うのですが、越後の守の部下だったときです。そのときたまたま自衛隊の協力で敵将を殺します。そして下克上で、自衛隊の長(A)に一緒に天下をとらないかと話しかけます。この男だけは自衛隊を怖いものだと思わない男です。

しかし一人殺すごとに現代でその子孫がどんどん消えていくはずですが大丈夫なんでしょうか。さらに自衛隊の中が2分して勝手に船で逃げて好き勝手に海賊みたいに振舞う連中も出てきます。なにやっているんだ、としか思えないのですが、自衛隊長と上杉謙信がうまが合うのです。友情で結ばれてしまった。そして進路を二つに自衛隊が武田信玄に、上杉が浅井朝倉軍に攻めて京都で会う約束します。しかし夜這いして性欲満たすとか意外と昭和の次代でできないことが許されていて、実行するとやる気というか生きる気力生まれてくるし、考えてみれば小隊で武田信玄と戦うときに敵に不足はなし、というところです。ところがすごい強い。武田軍。命かえりみないで突っ込んできます。どんどん武器を失いますがAが一対一で武田信玄に勝ちます。銃使いましたから。大将が倒れると総崩れ。なんというかお金かかってます。薬師丸ひろ子ちょいやくですがかわいいです。知っている俳優ばかりで勝頼は真田がやります。

しかし最後に上杉謙信に裏切られてみんな死んでいきます。その前の晩、「Aに対してもと来たところに戻ろう」という提案がされるのですが、みんなにAが戦いのあるこの戦国時代が好きだというのがばれてしまいます。そこでみんなが戻れば、もしかして現代に帰れたのかもしれませんが、最後はかなり潔く、みんな死んでいきます。なんといういい映画なんでしょう。私好みのいい映画でした。途中、歌が流れるのですが、それはもっと弦楽とかで時代に普遍性を持たせればいつまでも残る作品のような気がします。役者がまだ個性的なころでしたね。ぎりぎりなんでしょう。そのハザマを角川映画は駆け抜けたのでしょうか。まさしくこの映画のような感じなのでしょう。

 

「草迷宮(そうめいきゅう)」  寺山修二監督 1979年

 

またか、というテーマです。最近見た映画のほとんどはこのテーマのような感じがするほど映画にあうテーマなのか、母の呪縛を逃れられない少年の話です。(「サンタ・サングレ」「オー・ド・ヴイ」もそうでしたね)

砂丘の中、女が一人手毬歌とともに現れると、少年が手毬歌の歌詞を知りたいという旅を続けていることがわかる。男と女が絡み合うシーン。この二人にも手毬歌の歌詞聞いてみたらしい。当然母から聞いていた手毬歌の話なので母に聞きたいが死んでしまったし、おばは発狂してしまっている。(「満員電車」じゃあるまいし、こうも続けて狂った人が出てくる映画ばかりなのかと自分でも不思議です)母の先生のところにも聞きにいくが知らないという。

では、「なぜ探しているのでしょう」。ここで母との思い出が走馬灯のように流れます。少年の思い出として土蔵の女に誘惑されたことがあった。そのまま、関係させられているのですが、この無垢の少年がこの魔性から逃れる道は母の作っている帯に沿って砂丘を逃げることであった。その砂丘は海に通じておりそこに母はいる。これはイメージですが、現実のときの流れでは少年は犯された後、風呂から上がって母からあの魔性に近づくなといわれる。この女は二十歳のときから男を待ち続けているという。「女が二十歳になると、丑年の丑の月の丑の日に、髪を洗い、身を清めて、紅を薄く塗り、戸を締め切って壁に女の魂を掛け丑の童子に一心に念じていると前世から定められたいにしえの人が写るという」これを実行していたのだがこの女は何も写らなかった。だから男を待ち続けているということです。この女には母がついているから大丈夫といわれ、近づくなと言われたのです。しかし少年はまたこの女を覗いてしまうと、母に折檻され、女が近づけないようなおまじないをかけられる。それは手毬歌の歌詞を体中に書くというものです。そうですね、なぜ手毬歌の歌詞にとりつかれて旅をしていたのか?それは母から離れられないからです。少年がかくれんぼしている相手も脱走兵と消えてしまい心中してしまう。そして女は死体として波打ち際に打ち上げられる。少年は女に近づくことができないのです。

では手毬歌の歌詞はなんの役に立つのか?なぜ旅をしているのか?遊郭のやり手婆にいろいろな歌を聞いたり遊技に聞いたりする。一人の遊技は知っていたがわざと間違えた。客として相手したいからだ。教えては女を避けられてしまう。そしていつも遊郭では川の向こうから母が見ている。からくり人形が歌えるのはからくり人形は避けられないからだ。

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