「十三人の刺客」 工藤栄一監督 昭和38年
老中の屋敷前にて播州の明石藩江戸家老が切腹をして自害します。明石藩の松平家はこのときの将軍の弟だったので重大問題に発展します。冷静に見ると播州は西の要衝でもあるので弟に任せていたのです。また次期の老中も決定しているのです。それなのに、播州国の中で百姓一揆やら参勤交代の際中仙道木曾の上松での婦女暴行事件やらで評判がよくないのです。現老中がこんな人間を老中にできないと判断暗黙に処理したく作戦を練ります。しかし相手は将軍の弟。
しかしお咎めなし。お殿様は当然というくらいのぼんぼん、ですが家老はおかしすぎると思うのです。その通り、裏で動き始めました。狙いはこの馬鹿殿暗殺。
しかし家老もスパイを送ると、大物が動いていることがわかります。スパイも殺されます。これで家老もどんな動きをしているのかわかります、よって準備万端整えます。
しかしこの老中方の追っ手の中の助太刀を買って出る、西村「黄門」晃さんかっこいいですよ。この人は役者ですねえ。以前「髑髏船」で見たときのあの狂ったような演技もできるんですから。
さあ、殿様は参勤交代から国許に帰るときがきました。帰るまでに奇襲が成功しなければ、相手の懐に入り込むのは容易ではありません。
その前に暗殺者の中心人物は(片岡千恵蔵さま)は三味線で仲間を増やします。この三味線の乱弾き良いですよう。
さてと次の日、馬鹿殿は出発。しかし家老がしっかりしております(ここで家老と書いたのですが今まで家老と書いていた人はもしかしてもう少し身分が低いかもしれません、ご勘弁を)、この家老は隙をまったく作りません。追っ手も手を焼きます。
最終的に博打で木曾の上松の近く落合宿です。2つの街道しか選択肢がないので来ると踏んだのです。待つといっても12人。大丈夫なんでしょうか?とにかく前に上松でもめたときにわりを食った尾張藩の協力を仰ぎ通行止めにさせて、尾張藩を通らないルートを探させるというのです。もう博打の世界。そして落合宿の家をとりあえず買い取ります。幕府が裏でやることなのでお金はあるのです。馬鹿殿退治も大変です。この馬鹿殿も「挨拶」の礼儀は欠かないのです。そこに博打があったのです。挨拶の礼儀を欠いて笑いものになるか、それを避けるかで博打を張ったのです。そして殿は博打のほうすなわち待ち構える方向に進み始めます。しかし敵も然るもの、伊那で姿が消えます。そこでどうするのか?動かないのです。初志貫徹。素晴らしい戦術哲学です。
やってきました、そして宿場ごとネズミ捕りのように作ってあるので狭い路地行ったり来たりしているうちに仲間が離散して馬鹿殿も一人になってしまいます。そこを討ち果たす。
名目は発病で御領内に戻りてすぐに死んだとされているとのこと。
最後は意外と敵も味方もわからない乱戦で本当に何が起こるかわからないような感じでした。それを追い込んだ策士の勝利です。評判ほどいい映画ではないですよ。
もっと痛快無比な映画だと思っておりました。
「死んでもいい」石井隆監督 1992年
これは観ておりません。評判は聞いていたんですが、やはり映画から遠ざかっていたときですね。
大月駅の改札出て商店街に出るところで男と女が出会います。男をA女をBとしましょう。出会いは夏ではない時期。夏だと肉体的に余裕ないので、また大月のあたりは暑いのでこんな感じにはなりません。Bは不動産屋の人妻。Aはこの女に一目ぼれ。そして不動産屋で働きたいというのです。まあ積極的ですね。
Aはどうにか仕事をはじめ、順調に不動産屋に入り込みます。そしてあるとき空き物件の中でBを待っていて来たら、そのまま体を奪ってしまうのです。何か、あまりに安易なんですがどうなるのでしょうか?題名からすると見当がつきますが。
そしてABは体がお互いちょうど合うのです。フィット感というかドンぴしゃり会う関係ってありますよね、そのような関係です。Bの役が大竹しのぶさんというところに無理があるのですがまあいいんじゃないでしょうか?田舎娘のイメージありますよね。
そして社員旅行があって旦那が酔っ払って朝までおきないと思い二人でお風呂に入ります。そこを見つかる。というより、普通はそこまではしないでしょう、と思うのですがねえ。
奥さん立場ないですよ、裸で一緒に風呂はいっているの見つかるんですから。私だったらなんて言いますかねえ?
まあ夫は無視するようになってしまいますわ。それとは関係なく「赤い糸」的な出会いはBをして履歴書から元の職場を訪ねさせます。ABの再会。それも女のほうから。やばそう。
Bのせりふはいい言葉が続きますよ。「何で後ろめたいのかなあ」「出会うのが遅いだけでなで一緒になれないのかなあ」とかほとんど良いせりふです。