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ひとつ、面白いきっかけがあり、ある匿名の子が自殺サークルのサイトを見つけるのです。単に死んだ人の数が記載されるだけなのですが、逆に言うと、記載されたら、近いうちに自殺者が出るということです。漫画では学校の先生が見つけるんですが、ちょっと映画は社会問題として扱っているところがあります。そして犯罪なのです。この主犯者たちといわれる連中が出てくると急にこの映画の質が落ちます。漫画のようにしたほうがよかったのに。そしてあまりに自殺が多すぎます。見ていても自殺者ばかりじゃないか、というあきれた気持ちにもなるくらいに多いのです。そしてついに主人公の刑事の子供まで自殺して、その後かかってきた電話に刑事が出たら、実存についての問いかけがあり、自分自身に実存を認知できないから死んでも良いという論旨のことを子供に言われます。そこにヒントがあるのですが、簡単に実存を他者との関係性において電話の主も説明するのです。これで人間は社会的動物として十分だということに気がつかないのです。そして拳銃で頭ぶち抜き。ここもそうなんですが、他人の脳が割れる瞬間を見たものは一生覚えているんでしょうね。私は親戚以外では葬式のほかに死体は一度も見たことはありません。そこに死体があると知っていてカバーかぶせてある状況はシカゴで一度あります。

とにかく主謀者たちは捕まります。喜んで捕まっていったのです。現代の日本のチャールズマンソンだと言って。

しかしそれで終わりません。アイドルがこの自殺クラブに関係しているみたいなのです。そして自殺はとまりません。そんな時このアイドルグループのコンサートに集合となるのです。場所は「リリィシュシュ」と同じ代々木。ここ撮影しやすいんでしょうかね?

ここの楽屋で本質が見えます。肌を切り裂きそれをつなげることで肌、すなわち自分のものを他者と共有して別の次元でひとつになるのです。肉体を離れるということですね。ですから、肉体はどうでも良くなるという安心感が生まれます。それが安易に自殺できる理由となるのです。

そして刑事の娘の肌もひとつの皮膚のつながりに見つけ、刑事の部下が娘を探してプラットホームで引き止めます。しかしいってしまいますけど。そしてコンサートのほうは「勝手に生きようよ」という言葉で解散ということになります。このアイドル「デザート」というのですが本当にあるんでしょうか?ですから終わり方は永遠に暗い。

音楽はスカーフェイスみたいでいい音楽でした。この映画、私は好きですね。世間の評判は悪いだろうね。若い監督です。今ネット見ましたが評判悪いですね。実存とかの定義があいまいとのこと。あと結末があいまいという指摘が多い。まあそうですね。しかし評価できるレベルだと思いますけど。

「シェルタリングスカイを書いた男ポール・ボウルズの告白」ジェニファー・バイチウォル監督 1998年 カナダ

意外とカナダ映画が多いですね。「月の瞳」もそうですし「翼をください」とかも確かそうだと思います。うん、みんなレズの映画ですね。この映画は冒頭から小説の中の性器切断の場面の引用から入って「私の小説はサディスティックな描写が多い」と告白。そのあと肉屋の調理場、床全面に血が流れてます。そしてヤギの頭、それをきれいに切りそぎます。あの嫌な映画「カルネ」(ギャスパー・ノエ監督)を思い出しますね。「アレックス」の時に一緒に観てしまいました。これは私も暴力だと思いましたよ、「カルネ」「カノン」「アレックス」3本ですから。同じく脳みそは出てくるは、で大変気持ち悪いですね。

「なぜ人は運命に従うのか」といわれてもねえ。でもはじめから良い問題提起です。さてどうなることやら。作曲家だったときの曲については誰が書いたのか、なんてとぼけているけど作曲では補えない何かが作家に転向した理由なんでしょう。さらに詩について奥さんにいさめられるところの記述があり「うそからは感動的なものは作れない」「またそんなことまでして作る意味はあるのか」というようなことを(ちょっとニュアンス違うかもしれません)言われました、とのこと、自分の意識というのは嘘なんでしょうか?笑い

まあ作曲家としてパリにいたときからこの人は何か重大な意思決定から逃げる癖がついていたみたいです。いつも逃げ続けているようにしか聞こえません。しかし妻との恋愛はかなり強いものだったらしいです。気持ちが強いけど態度は紳士という感じですね。見つめあう恋は本物です。話し方はいつも初対面みたいというのも笑えますが、お互い尊重しているのでしょう。でもレズとホモなんですよね。

あとはなぜ、砂漠にいたったかです。「アメリカでの価値基準である、成功が第一という考え方についていけなかった」ことや順調にことが運ぶことを書けないこと、さらにはタンジールに恋人がいる画家が彼らをスパイさせるためにタンジール行きを勧めたということらしい。ともあれ、砂漠との出会いですね。そこで距離を保ち冷静に自分の生活を守るスタンスが見えています。日本にいる外人もそうですよね。「いちげんさん」では逆にそれが壁のように映ったのでしょう。「郷に入れば郷に従う」という考え方はしないと明言してます。しかしところどころで出てくる仮装パーティーの様子はかなり遊び人だったことを示しますね。私ももっと遊ばなくてはと思うのですが、最近はまじめです。

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