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移住当初は外国人はモロッコでは特権階級だったんですね。逆に地元の人は貧困で仕方なく売春をやっていたり、男同士が寝ていたりするのです。男同士が寝ることも今では、はやらないとしてやらないみたいです。そしていろいろな作家が遊びに来て交流していることも描かれてます。まずは自分が自活を出来れば、ほかの人と交流も出来ますよね。その友人の作家たちとの距離がいいのです。近すぎず、遠くすぎず。ほかの作家(バロウズたち「ビート」系の作家)たちと違って文法を変えることなく表現した。すべての小説は探偵小説だと至極当たり前のことを言いのけます。もちろん探偵は読者であって、どう作者の都合で物事が進行するかを解き明かすだけですもの。そして映画「シェルタリングスカイ」についてめちゃくちゃ、だと言ってます。最後が特にひどい、これはバロウズが最後はどうやって表現した?という質問にたいする答えです。「はやくローマに帰りたかったんだろう」とまで言われてますね。これは原作、原文で読んでみようと思います。確かに途中に中だるみあるんですが、私は名作(映画「シェルタリングスカイ」)だと思っているのです。

人は「やったことで判断」ただの「分類」は無意味。なにがいいたいかというとホモというレッテルを貼られるのは嫌だ。このホモというレッテルが「分類」なんです。この分類の評価は「劣っている、むかつく、変わっている」です。なにか一時は文化人は興味がなくても一度は味わっておかなければならないものと考えていた節があるんですが、まあボウルズは本当らしい。妻の方はそれをみてレズに走ったとか、会う前からレスだったとか言われてますが、まさに昨日の映画(リービング・ラスベガス)のように酒におぼれていきます。「酒をやめろ」とボウルズが言っても(これを昨日の映画では言うな、と約束して一緒になったのですよね)「言うは易し」「やめたくないからやめられない」と。さらにすごいこといいます。「人は誰かを愛せるか、そうは思わない、誰かを愛するということは異常なことだ」わかる気がします。ですから普通の人は愛する人と結婚しないんでしょう。逆説的に正論。そして「人間というのは球体で、触れ合うとしてもほんの一点のみ、あとは漂っているだけ」とまで言います。あと、「死んでいる」ということと「死」は対極にあるといいます。ここはわからないです。多分、死は生の判断の基準点で死んでいる状態は死のあとの状態ということ。死の前の状態は「生きている」ということを言っていると思います。しかし若い元気で才気ある姿と今の年とってよぼよぼのボウルズとバロウズを見ているとなんとなく判る気がします。「生とは死ぬまでの間」、これはいいのですが、次に人の存在証明を表現するときその人の環境を言いあらわすと良い、というようなことを言うのですが、いい言葉です。環境は少なからず、その人が選択してきた道です。そして環境への反応度を見ろというのですがまさにそのとおり。

映画の裏側を(シェルタリングスカイ)見た感じです。映画の評価は変わりました。こういう映画はあまりないのですがドキュメンタリーはやはり迫力あります。

 

「ショーシャンクの空に」 フランク・ダラボン監督 1994年

この映画良いらしいですね。ちょうどまったく映画を見なかったときに、(お店オープンする準備で忙しかった頃です)、公開されて観ないままでした。まったく内容を知りません。刑務所の話だとは知っているのですが、「カッコーの巣の上で」みたいなものですかね。

ある男の冤罪の話です。罪状は妻と浮気の相手殺し。無期懲役なんていわれたら、どんな気持ちでしょうか(Aとします)。1947年の設定です。とにかく入所からホモの連中に目をつけられておかま掘られる寸前の毎日です。このことを黒人の男(B)のナレーションで淡々と語られます。Aは元銀行マンで税知識にも詳しく、看守の遺産相続の面倒も見ます。

そして趣味の鉱石について没頭しようとする毎日です。しかし聖書が身分証明にはなってます。聖書の一節を暗記していて意味が言えること、これは日常的に聖書に親しんでいるということです。Aにはこれがありました。最高の身分証明になってます。さらに金融の専門的知識で、図書係という名目で図書室に隔離して看守たちの相談相手になってます。信託財産の作り方とか相続とか。おかしい。税金の申告時期にわざとこの刑務所で野球大会が開かれることがあるとのこと、こういうエピソードや、50年入所していた人が仮釈放といわれどうしていいのかわからない寂しさを覚えたこと、など楽しく、つらい話が少しずつ起こります。多分時間はかなりゆっくり経過しているので、少しずつ起こっているのでしょう。映画では次のシーンとなりますがねえ。

「心の豊かさを失ってはだめだ」というせりふにすべてがあるんでしょうが、心の豊かさを失わせるような状況が起こっているんですよね。そして図書館を作る過程は面白かったですね。しかし刑務所の人員を使って民間と入札を競って取ってしまうことで民間業者が「俺には養う家族がいる」というせりふは実感します。公共でいろいろとやることはいいのでしょうが、数字を追わない人と生活がかかった人は違います。私は近くに洋館とかあるのですが、あの設備にはかなうわけないですし、そこでコンサートやられると確かに安いです。私のところでコンサートやると手取り赤字になりますから、やりたくないですし洋館のコンサートと同じ気分では決して出来ないことですよ。このせりふはすごく実感しました。

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