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「トーク・トゥー・ハー」ペトロ・アルモドバル監督 2002年

懐かしいです。ビナ・バウシュの舞踊「カフェ・ミューラー」から始まります。「ホワイトナイツ」みたいですね。

この舞踊の主題が映画に関係していると思います。

この舞台を見ていた隣り合わせたふたりの男A40代B30代を軸に二つの物語が進行していきます。Aは女闘牛士に興味を持ちインタビューしようとします。なぜならばこの闘牛士(C)は孤独の恐怖が顔に出ているからです。ビナバウシュの舞台も同じように風に飛ばされる女ふたりが迷っているところに男が現れて道を開いていくというものです。

そしてBは看護士で4年間眠り続けた女(D)の世話が特に好きな男です。かなり一方通行的な恋愛感情を持っているのでしょう。しかし「奇跡」は信じている男です。

きっかけの提示はひょんなことですがAとCは行動を共にするようになります。信頼関係は出来上がっているのです。しかし闘牛で牛に全身を突かれて意識不明の重態の陥ります。

CDともに同じような状況でABという優しい男がそばにいるという状況が生まれます。

同じ病院なのですれ違いの出会いがあり、お互いに接近していくのです。その前にAは夢の中で思い出として、Cと一緒にいたときを思い出すのですがそのときコンサートに行っていて歌手はカエターノ・ベローゾです。ギターにバブルベース、チェロというロマンティックな構成であのささやくような歌い方です。彼のコンサートの「フェリーニ」にささげるジュリェッタのコンサートはいいですよ。

「死から生が誕生する」その生、精霊を女のダンサーにやってほしい。新しい舞踊の構想。

こうのとおりに映画もなるでしょう。きっとね。

バレエ教室で踊っているDを窓越しに思い続けたストーカーであるBという存在が浮かび上がってきます。ストーカーくらいでないと結ばれないのか?「はつ恋」の平田もストーカーだったですよね。そしてDの親の経営する精神科の患者になり、家に侵入します。

しかし交通事故で植物人間に。病院でたまたまBを介護士に推薦されて今までずっと続きます。BがDのことを好きだと、父親は知らないのです。しかしかなりスキンシップ、「女には自分が重要な存在だと思わせることが回復の第一歩」と信じて介護してます。

縮みいく人間という映画が出てきますが、彼氏が薬を飲んで解毒の薬が出来ないままどんどん小さくなって、途方にくれて母親のところに帰りますがその家をつきとめて迎えに行き、また一緒に生活をするうちに小さくなって体の上にのり、女の体内に陰部から入っていく、というシーンがあるのですが、胎内回帰願望と女を所有する願望を一致させる方法です。Bは女もそれを望んでいるというのです。

AはCが倒れる日に前の彼女の結婚式を見てました。その彼女とは年が離れすぎていて、自ら身を引いたのです。愛情は消えていなかったのです。それはつらいですよ。そのつらさをCも見て知っているのです。そしてCは逆にその日に昔の彼氏とよりを戻したのです。まったく逆。なんというめぐり合わせか。Bはそのことをうすうす感じていたという。関係が何か希薄というのが傍目に判るらしい。そして自分はDとうまくやっていく、結婚したいという。その前に映画の話を聞かせていたときに、なにか強姦したみたいなのです。妊娠したらしい。そして投獄され、Cが死んだニュースを聞いたAが病院に電話してその事実を知ります。面会に向かうのですが、Bの部屋を借りることになります。Bの部屋からバレエ教室を見てみるとDがおなか大きいままいるのです。かなりの衝撃ですよね。友人としてAはなにをしてやれるのか?Aは実際に友人なのか?たまたま劇場でそして病院で出会っただけの男ではないのか。いろいろなことが頭をよぎります。

しかしBはAを友人だと思ってすべてを話してくれたと思います。そして黙ってすべてを残して自殺。はじめてみたとき、Dが生き返っていたということと共に大ショックな展開です。完成したバレエの公演でAとDは出会いますがなんというかもう終わってしまったんですよ。意思は疎通してます。たぶん一緒になるんでしょう。

「時をかける少女」大林宣彦監督 1983年

「人が現実よりも理想の愛を知ったとき、それは人にとって幸せなことなのだろうか、不幸なことなのか」とかいう出だしですね。今回見て初めてこの一文に気づきました。

尾道の風景が出てきますが(あたりまえですね)こんなに出てくるのか、と思うほどきれいに映ってます。一度も行った事ないのです。広島のついでに行ってみようかと思います。

そしてはじめのスキーのシーンの音楽良いですね。スキーで深町(Bとする)がなんか原田知世(Aとする)の意識に上るんですね。そしてラベンダーの香りをかいで気絶。意外と覚えているようで覚えてません。このラベンダーは初恋なのかと思うのですが、確かもう一ひねりあるという記憶だけで、はっきりしませんでした。

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