結局、周りの人すべてが丸く治めようと努力するのにもかかわらず、「好きな人がいる、出て行く」と言ってしまいます。そのとき、夫はモーツァルトのピアノコンチェルトのピアノのさびの部分を弾いているところが良いですね。優しい人なんですよ。そして不倫の相手を知ると、驚きます。妻が気が狂ったのかという態度。お金と地位がかなり人をわけている時代ですね。そして「離婚はしない」と。たぶん名誉のため、離婚しない家系というのを守りたいためでしょう。ここで笑っているのは侍従の女。かなり支配に口を出せるようになってます。ここでも思うんですが、英国の例のロイヤルファミリーにどうしても似ている感じがするのです。これは監督の意図でしょう。しかしこの恋愛が小説に映画になったのは身分を捨てて、お金を捨ててというところがあるからでしょうか。身分のある家系はそれを守りたい、ないものは平等だと考えるのが自然です。
最後の二人の顔はそれほど魅力的ではなかったのは残念です。
途中この監督の作品のチャイコフスキーを扱った映画タイトルは「恋人たちの曲.・悲愴」でした。あとこの映画の奥様の姉に扮する俳優とかなり年齢違うと思うんですが、この映画の後結婚したそうです。監督自体もハッピーだったんですね。やけに良い映画ですもん。
「月の瞳」パトリシア・ロゼマ監督 1995年 カナダ
光の筋にチェロとバイオリン、パーカッション、ハープ、エレキギターがかぶさる。そこは氷に閉ざされた水の中。いわゆる、無意識の中の自我を表現。
すぐに学校での授業の様子。内容がいいですね。「近代文化は道徳律を基本としている、、、」(女に振られる男教師の言葉)「変身は神話のモチーフ」(あとで変身する女教師の言葉)このような授業の様子にバイオリンとチェロが不協和音で重なる。まあ結果としては使われる楽器とシーンに関連性はないのですが。
幻想サーカスの女とコインランドリーで知り合う。しかし女教師がコインランドリーに行くのだろうか?不思議でならない。そこで幻想サーカスの女は女教師に惹かれてわざと洋服を間違える。確かに女教師は魅力的ではある。多分、何かこの教師の本質を見抜いたんでしょう。この映画独特の同性愛的な感性がある人はその記号を読み取ることができると思う。私には今ひとつわからないのです。その間違えて入っていた派手な洋服を着てみると発言も大胆になってくる。彼氏の男教師には「今は個人主義の時代でしょう」他人の意見なんか気にしないで、と言うし、神父との面談では「ロック独特のリズム自体が性交渉と同じ」オーガズムの波動に一致という意見も堂々と引用してしまう。無意識的に変身が始まってますよ。
そして、サーカスを見に行く。サーカスのシーンはまあまあまとまってます。ちょっと雰囲気先行な感じはします。今までにもホドロフスキー、寺山修二と立て続けに見てしまってはそんなに驚くほどすごくいいというわけではない。多分このサーカスの雰囲気でこの映画にはまる人はいるんだろうなあと思えます。そのサーカスの女は影絵のマジックを担当していた。ここでパーカッションが派手にシンセとチェロにかぶってきます。なんで電気楽器を使うのだろうか?しかしここではホモ(女性同士はレズというのは狭義)関係に歯止めが利いて会わないように逃げ帰るが、翌日サーカスの女はキューピッドの格好で矢に手紙をつけて投げ込む。このキューピッドはあとからこの話が聖書から引用されているんです。ここのあたりでは珍しく電気ピアノ中心。お互いの感情が一致したのかキスをする。(聖書や神学から解き放たれたい欲求は少なからず持っていたはず。しかし解き放つ欲求はもう少し違う形でしたが)完全なる伏線となります。このあとの新しい学校付の神父になるための面接で、同性愛についてこの女教師は「神の人類創生では異端もOKでは?」などと無意識的に言ってしまう。そして彼氏と一緒のときもキューピッドは見ているし気になるのでサーカスに出かける。そこで「友達にならないか」と性的関係はなしでと声をかける。まだ神学とのバランスは取れているんですよ。サーカスの女はパラグライダーに誘い「恐れていては何もできない」と本能を開放するような意味が深い言葉で空を飛ぶことを経験させてしまう。この空のシーンもバイオリンとチェロですね。なにか女同士のシーンにこの2つの楽器は多用されてます。着地失敗して足をもんでもらっているときに「何か話して」といわれ、もんでもらっているお返しに「キューピッド」の話を聖書からする。そこはご存知のようにある快楽へと導くシーンがあるのですが、実際に揉んでもらっているうちにやけに肌がフィットする感覚を覚えてしまう。そんな間に彼氏との性交渉も激しさを増してくる。彼氏はびっくりします。ほかに考えることは女と一緒のことばかりになってきます。そしてとうとう教師のほうからサーカスの女に迫っていきます。サーカスのはちゃめちゃな雰囲気にも慣れてきて逆に「愛する人と抱き合って踊ることは尊厳」と教えられます。まあ愛を中心に尊厳を考えているんですね。ここでも映画特有のこの人はどんな収入源で生活をしているのだろう?なんていう現実的な話は除外して考えたほうがいいですね。