本当に横浜港を中心の俯瞰がタイトルバックに流れるんですがさすがにどこがどこだかわからない感じがいたします。靴メーカーが出てくるんですが、しっかり丈夫な靴ばかりで売れずに業績低迷している状況です。しかし「おやじ」と呼ばれる社長が出てこないんですよ。高度経済成長に入っているので、大量生産の時代ですね。デザイン性で差別化が図られているんですよ。そこでポイントですが、なぜ、この重役たちは社長を追い出そうとするのか?業績を伸ばすということと目先の流行にとらわれるということは違うことだと思います。主役Aは別に理想の靴を作ろうと考えておりました。「歩きやすく、丈夫で、デザインのよい靴」を自分が作ろうとしてます。ここでこのメーカーは三派に分かれているんですね。持分比率の計算がなされますが、駆け引きがあります。Aもたたき上げですので性格は攻撃的で「やるか、やられるか」という性格です。勝負というのはばくちですので、家も抵当に入れて、株主総会を乗り切れば自分が代表権のある取締役に選任されて会社の方針を決定できると読んでいるんです。まあほかの重役連中がなっても先行き暗いのなら勝負し甲斐があるというものです。
そんなときに誘拐の電話が鳴ります。ここでポイントのことがあり、お金は交換可能性という性質を持っているんですね。作ればいいのです。子供は個性を持ってしまっているんです。生まれたときに見えない運命で子供と親は結ばれているんですね。また子供も作ればいいというものと最近では考えがちですが、次に生まれてくるのは兄弟であって違う個性を持っているんです。さらにひと間違え(誘拐する子供を間違える)がありますね。ここで犯人はAの良心を計るんです。「子供を見殺しにする度胸はあるのか」ここに犯罪の要求が変わります。運転手の子という身近なAにとっても個性のある子供です。ここで思うのですが、この映画で描写されている子供への愛情や運転手が「土下座」して頼む土下座の意味、妻の言葉、使用人への思いなど、現代日本ではちょっと通用しないかもしれないというところがあるのは寂しい感じがいたします。(さらに子供に正直なことを語らせる演出、「子供が大事と」、この辺のうまいですね)さらに警察ですが、優秀というか「デパートのトラックで来るし、事情も聞かずにてきぱきと対応する点、犯人からの電話にいちいち説明的な言葉を言うような点」さすがに出来すぎです。しかし画面いっぱいに家の中のシーンにもかかわらず、人が交差するようなシーンもカメラと役者が同時に動くのでこちらは全体が見えていないんですが全体をうまく捉えているようでうまいです。さらに目線がいいんです。この室内の風景は本当にいいですね。特にAがかばんに細工しているときに「見習い工のときの腕が役に立つとは思わなかった、また一から出直しだ」というときに刑事一同立ち上がる、真ん中にかばんを修理しているAという構図最高です。まあ結局、築いたものはまた作れるということでしょう。部下は裏切りますが、築いていないですから今の地位保全に動くんですね。ギャンブルもできいないやつです。客観的に子供の命を助けたほうがあとの人生で悔いが残らないだろうというのは簡単ですが、実際はできないことだと思います。警察もAに「生活を守る権利はある」そして「われわれはそれを守る義務がある」というようにこの後の動きもAの動きが関係してきます。
この映画のすごいのは次に事件が動きますが、やっと外に動いたと思ったら今度は列車の中という室内なんですよ、また。この列車の中で証拠写真をとるんですがあとで役に立つというのが映像ではなく、写真なんです。ここは監督は何かいいたかったのでしょうか?
映像は情報が多すぎるんですよ。(あとで、録音でさえ何回も聞いているうちにやっとパンタグラフの音が録音されていることに気づくシーンもあります)がそこで映画についても情報が多いことを知った上で作っているということだと思います。子供が助かり、刑事たちが捜査スタートという場面4人の刑事が平行で後姿で歩き出すところで切れるんですが、動きがあっていいですね。このあとやっと外の操作風景や、犯人の行動が映し出されるんですがすごいいいアクセントです。ところがまた室内に。Aの屋敷です。背景が横浜の街で当然市民は生活しているんでバックに動きがあるんですよ。この辺の感覚もいいですね。そして、かなり本題に近いテーマである、債権債務関係の債務不履行の問題が起こります。この映画は根底に、人間の社会的契約の一部の社員契約と業務執行機関としての取締役会とその決議、会社の最高決定機関の株主総会について折に触れて話のポイントで出てきますが、そのときに比較にされるのが子供の命なんですね。どちらが大切なのか?という問いがなされているんです。子供の命のほうが重いのではないのか?そういう命をもてあそぶ、「誘拐」という犯罪を憎むという視点です。
次もまた室内で、捜査本部です。捜査過程が映し出され、その映像が広範囲に周りの景色を表現して必然的に広範囲のイメージが映画を見ていると出来上がるんですね。これは編集と進行のうまさです。構図もたくさんの人が画面に入るときはそのときの主役を中心に扇形に人が膨らむように配置されています。うまい配置ですね。あとは鎌倉の捜査のときに切通しを車が通るのですが、「西部劇」みたいに劇的な効果がありますね。この構図ということに関しては、Aの室内の様子が、玄関のドアから居間まで直線で見渡せるんですよ。これは撮影効果からそうしたのだと思います。