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さて、捜査側は記者会見をして、(警察はストーリーの交通整理の役目みたいですね、ここでも説明的)マスコミに理由を話して協力してもらい、メーカーを(Aの反対側の役員で構成される)たたこうとするのです。ここでマスコミの本来の目的、機能を提示するわけです。監督の意思ですね。この効果で犯人はあせって、かばんを始末して有名なパートカラーのシーンになるのです。ここから、大体犯人を特定できてから面白くなるんですね。捜査陣が犯人を泳がせて、罪を重ねさせて「極刑に値するときに」捕まえるのです。この極刑、すなわと誘拐は極刑ということ、この罪を監督自身が憎んでいることは映画全体で主張されております。

この犯人が泳いで街に出るところがこの映画の動的部分で、いままでが室内で静的に抑えに抑えていただけにすごく鮮明な印象を観るものに与えてくれます。このシーンも山下公園から伊勢崎町にかけてが土台で、ダンスホールが本体の二重構造で盛り上げてくれます。本当にサングラスがかっこよく光りますよ。この光は後につながる光で、有名な私の最も好きな、犯人が検証に犯行現場に来たときのシーン、すなわち、画面の下から犯人の顔が上がってきて光る光と対なんです。このシーンは陰影の美しさの極致とも言える、次の格子戸から隙間をもれた光が縦じまになって犯人の顔に当たる、そしてそこでタバコをすうという本当にかっこいいシーンの前触れです。どこかでこの構図を絶対に使いたかったともいえるすばらしいシーンですよ。

動的に最高のダンスホールのシーンに続いて黄金町の旧青線地帯のシーンは、わざとらしいくらいにおどろおどろしいものです、まさに犯罪そのものの暗さです。この犯罪ということはこのすぐあとに刑事と犯人が接近してしまうときに追うほうと追われるほうの両者が同時に写るシーンで表現され、刑事たちはトンネルの光の中現場に向かうのです。この光を跳ね返すのが犯人のサングラスかのように。

最後ですがどんな教戒師も拒んでいるとのこと。この犯罪は動機がないんですよね。単にこの人がたまたま憎かったというだけなんです。ここに犯人から乞われてAが会いに来るのですが、Aはもう前向きに人生を再構築しているんですよ。それが犯人には悔しくってたまらなかったのでしょう。結局表題の「天国と地獄」は意思の差だけだったんです。未来を思う前向きの気持ちが同じ状況下でも「天国」になる人も「地獄」に思える人もいたのです。そして前向きになれなかったものの叫びが最後にこだまして映画は終わります。

久しぶりに観てさすがに、いい映画だと思いました。良いとか言う判断の上に位置する映画だと思います。タルコフスキーもあるインタビューで最高の映画10本のうちに黒澤監督も入れているのがわかる気がいたします。あとは溝口監督、ベルイマン、チャップリン、ベルッソンなどですね。すごいメンバーです。

 

「天国に一番近い島」大林宣彦監督 1984年

この年でこの映画をまた観るとは思いませんでした。しかし昔と違って素直な気持ちで見ることが出来ました。大林監督、原田知世路線は続いて見てますね。

父が言い残した「天国に一番近い島=ニューカレドニア」に旅行した少女の話。確かに日本人も南洋の海洋民族とも交流、結合しているのですが、父にお別れを言いに行った旅行で、父もなんとなく日本人のルーツから天国というイメージを持っていたのかもしれません。南の国で風景がきれいなところはいくらでもあるのです。しかしツアーのほかの観光客が意外と沖縄でも問題ないような旅行をしているのに対して、この主人公は父の御霊を探しているのです。有意義な旅行になりそうですよ。「自分の風景を自分で見つけること」が旅行と言う人も出てきますしね。この人は夕日を見せて「緑の光線(エリック・ロメールではないですよ)」の話をします。このガイドは少女の影響で純粋だった頃の恋愛を思い出します。ロマンティックにする影響が少女にはあるんですね。このガイドがカジノのディーラーに手を回してラッキーナンバーが当たるように事前に買収しているんです。そのためカジノのお金でほかの島に行くことがきるようになり、「信じていればね、夢は必ずかなうんだよ」なんてかっこいい言葉を言います。ニューカレドニアの風景もきれいですし、楽しい映画ですね。

 

次にめがねを壊した男の子を捜しに現地に市場に行って話をすると、ウベア島とのこと、一番早く夜が明ける島、らしい。夜が明けるといってもねえ、日付変更線の位置によって一番かどうかは変わるのですがねえ。その前に日本軍の慰霊碑にお参りしていることからもなにか父の魂が呼んでいるような気がしてきました、私までも。そしてこのとおり男の子とも出会えたし、条件は揃ってきましたね。しかしひとりになりがちです。そこで怪我をして寝込んでしまうのですがこれで地元の人々に溶け込んできました。しかし日本との関係は移民という関係もあったらしい。この移民が父とのつながりみたいです。そして現地で出会った男の子とのつながりも出来ます。この男の子は母に日本という国に小さいときから話しを刷り込まれていた、少女と対になる関係です。日本からニューカレドニアを父から聞かされていた少女、ニューカレドニアで母から日本のことを聞かされていた男の子。この移民と潜水艦の乗組員が少女の天国と関係あるのでしょうか。少なくても潜水艦に乗っていた兵隊の家族が慰問に来たときは場所は勘で(霊が呼んで)場所がわかりました。忘れない夫への愛について「愛って結局は自分のための物語」というのです。少女もだんだんわかってきました。そして、あのガイドのキューピッド役もこなしてしまい、あの男の子の紙芝居というか日本への思いは父のニューカレドニアへの思いと同じでした。結局は天国に一番近いので、自分のいるところとはちょっと違うところを例にしますが祖国だったのです。眼で見てわかるところは具体的にはつまらないですよね。最後に男の子はこの少女から日本というのを学んだというし、少女は眼にした紙芝居の島が天国に一番近い島だったのです。愛にはまだちょっと早いのかな。しかし深い友情がこの島で生まれました。この映画に感動してしまっていいのだろうか、とも思うのですが、きれいな島でした。きれいな映画でした。

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