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CTスキャンの開発は英国のEMIと出てくるんですがあのレコード会社みたいです。最近もEMIのCD、DVDいまだに買っていますからそこで儲かったお金をこういう風に再投資していたんですね。賢い。

そこで出てくる言葉「ヒポクラテスシンドローム」通称医学生落ち込み症候群。恋愛については「自分にないものを相手に求めて惹かれあうのではないく、自分にないものが相手にもないということで安心しあう関係」だそうです。白衣の下に若葉マークつけたい、これから先何人の死を見ていくのだろうか?参ったな、どれだけ助けられるかがんばりたいでしょう。と思ってみてました。

きっかけができます。それは彼女が中絶手術をした医者が無免許医だったのです。そして多分、産めない体になってしまったのです。そこへ連れて行ったのは主人公でした。そして彼女の実家に電話して「結婚することにした」と勝手に言うのです。これは主人公の感受性が優先していて現実を見ていない、そして主人公が倒れると、周りの学生たちは「医者を呼びましょうか」と反射的にいうのです。この反射的にいうこと自体が医者にはまだ早いということです。すこし狂ったようになるのですが、医者にはなれないと言うことだけでしょう。医者というのは、もっと大胆に患者を診るのです。患者を助けるのは基本的に本人の意思と家族です。そこから一線を引いて患者と接するのです。しかし事務的にではないところが難しいのでしょう。

伊藤蘭ふんする女学生、入学のときの家族との写真への責任を果たさずに、自殺とは甘い。そして主人公はこの監督自身みたいですね。この監督は「風の歌を聞け」とともにこの映画のように青春ものを扱うことができる年齢のときに燃え尽きている感じがします。

同じことは長谷川監督にも言えそうですが、それでもこのように良い作品が作れるのはすごい。若いころにしかできない映画と言うのは本当にあると思います。この作品は名作だと思いますけど。

「ファンドとリス」 アレハンドロ・ホドロフスキー監督 1968年 メキシコ

リスが花をむさぼり食べていたときに戦争が起こっているんです。いくつかの都市が存在していたが最終戦争で「タール」という都市以外は滅亡する。そこからスタート。なんか「風の谷のナウシカ」みたいですね。「水を飲む鳥を見て永遠を知る」「向こうへ行けば人生とは何かわかる」しかし「タール」という都市がこの戦争に積極的に参加しているのなら、勝者なのです。「タール」の存在証明は「タール」都市以外でなされなければならないのですが、「タール」はほかの都市の存在の証明に都市の集合の変数として用いることは可能ですよね。はじめの語りで「タールに踏み入れば、ワインと水を差し出されるだろう」などと流れるので資源は豊富で、ほかにも平等などの言葉が用いられるので、勝者の理想の統治がなされているものと考えられます。こんなこといいながら私は「タール」は抽象的存在だと思っているんですがねえ。その「タール」を目指す男と女の遍歴です。「未来に近づけば近づくほど増幅されるエクスタシー」があるらしいので出発ですね。蓄音機を持って出かけるのは、音楽が荒野(「タール」以外は荒地、すなわち最終戦争の残骸がある)では調達できないからでしょう。リス(女の方)は歩けずに引き車でファンド(男)の方に引っ張って行ってもらっております。

第一幕「葉っぱに逃げ込んだ木」タールを探せ、僕の世界を見せよう、誘惑、お葬式の歌

途中、バンドの連中がアナーキーな生活をしているところにぶつかるのですが、そこで、淫らな生活や統制の取れない楽曲などに翻弄されながらも(いつもファンドはリスをないがしろにして遊びに行き、または喧嘩して飛び出してそこでもてあそばれて傷ついてリスのもとに帰ってくるのです)ふたり仲を戻します。この街の芝居小屋は幼児をもてあそぶところです。荒廃した感じのところ。荒野の楽団の演奏する音楽はジャズみたいな感じの曲で、この映画がメキシコ映画なので仕方ないでしょう。楽団は燃え上がるピアノの最中に最後の演奏が始まり、燃え尽きて楽団も踊りも終わります。そこで二人を引き止める音楽の魅力も消えていき、また放浪となるのです。

次は「タールの街はファンドの頭の中に」というシーンです。自分を信じて、花は見えたか、女たち、リス

女神像が捨てられ、その捨てた沼からはぞくぞくと人間の男女が起き上がって(生き返って)くるのです。そこから逃げて、二人は花のことで喧嘩します。そして女陰の形をした砂漠の穴にリスを捨ててファンドは立ち去ります。そして、女の支配するアマゾネスに着きますが、私も常々思うのですが、女の性欲は年取ってから男と逆転するみたいです。トランプで男取り合うゲームや、ボウリングで男を倒すゲームのシーンが出てきますね。ですから男たちは人形で遊んでいるんです。女の恐怖と男のだらしなさを見てファンドは自分にはリスがいると思い出して戻る。情けないなあ。

第三章「孤独な男には常に伴侶がいる」男たち、ファンドとリス、お恵みを、母

今度は砂漠で大量のおかまちゃんたちに出会います。ファンドにおかまの格好をさせますが似合いますねえ。性格が女っぽいからなあ。リスは男の格好。逆です。そして女たちに父の棺おけのところに案内されて、父は生き返りそのまま女と消えます。逆に母にも会うのですが殺してくれといい、殺します。そして棺おけの中に入れたら鳥が出てきて魂が飛び立つように空に飛んでいきます。この父と母はファンドの独立を示唆してます。

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