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 しかし、ゲイは男も女もともに言えると思うのですが、ヘテロに恋したり、または片思いのケースが多いのではないでしょうか?恋に疲れた話がいくらでもゲイの映画では出てきます。この映画でもそうです。最終的には趣味が変わっているというだけで、素直ですからうまくいくケースが多いです。よって、私の考えでは「根性のひねくれたゲイほど扱いにくいものはない」です。しかし私は当然、誰も知人でいるわけでもないですよ。

まあ砂漠の中を走るのと同じ速度でゆっくりと移動します。しかし砂漠ですから、好きなこともしながら、街に寄るたび傷つきながら進みます。しかしここでも、うちに敵あり、ゲイ同士がうまく行っていないのです。またまた、車も故障します。砂漠の中でショーの練習をしていたときにヒッピーに出会います。(しかしショーはアバの曲なんですね、意味があるんでしょうか)さらに修理屋にあって、車は治るのですがメンテナンスということで同乗します。

砂漠を走っているときは、若いゲイは屋根で「椿姫」のアリアを楽しそうに聴いているのですが、やけに砂漠がこのゲイたちを成長させるというか変化させてもいるのです。そして「都会」という孤独の中でしか生きられないということを知るのです。「孤独」でないと、周りは無視してくれないのです。これがわかっただけで十分なんですが、映画はここからひどくなります。同乗した男とゲイの一人が仲良くなるんですが、この口説き方はさすがに気持ち悪い。これ多分、テレンス・スタンプでしょう。

そして、目的地についてショーをやる前に、ゲイの一人の子供に会います。一同ショック。この辺、私も映画を見ていて意味わかりませんでしたもん。当然でしょう。ゲイに子供がいるのはおかしいんですね。

それはさらにラスト、途中で乗せた修理屋とゲイが出てきてしまい、最後にシドニーに戻らないで残って一緒に暮らすというときに、仲間のゲイが「本当か」というようなこと聞くんです。この意味がわからないことと同じです。男とうまく行くのがいけないことなんでしょうか?というよりうまく続かないと思っているんでしょう。ゲイの仲間がそう思うくらいなら私みたいなのが、この映画見ていて気持ち悪いと思うのも仕方ないかもしれません。とにかくこういう、この映画のつぼの場面でまったく登場人物の心理が理解できないので、少しかったるい映画でしたけど。

「ベン・ハー」ウィリアム・ワイラー監督 1959年

この映画は「十戒」と違い、ユダヤとローマが出てきます。エルサレムに逃げてソロモンの神殿の元、信仰は捨てていないところから始まります。ナザレ(A)がベツレヘムに行くところ。当然ローマの統治下。ひとつの流れ星が救世主の誕生を祝うかのようです。今から思うとこの映画は「ローマの休日」より新しいんですね。クリスマスに見ればよかった感じがします。「処女受胎」のシーン。確かに馬小屋です。そしていきなりタイトルのあと紀元26年になるのです。ここではカルトの一神教がはやってます。メサイアが起こると、そし預言者の元、反ローマ運動が起こると信者は信じてます。大工の息子は神は心の中にいるというのです。また大多数のユダヤ人は心の中に信仰を持ち、ローマの兵隊は皇帝に誓いを立てているのです。ずいぶんと異なるわけです。「道を作って兵の移動」でローマは中心として流通でも栄えるのです。そして栄えるところに文化あり。花の都になっていきますね。

ジュダ・ベン・ハー(B)の旧友メッサラはローマの司令官(C)としてエルサレムに戻ってきます。しかしローマに反抗するものを密告せよ、ということでBCの友情は壊れます。そのときちょうどBの部下に当たるものが娘(E)の結婚の許しを受けに、まあお披露目です、Bのところに来ます。Bは愛される人柄、それを心のどこかで妬んでいるんでしょうCは圧力政治に出ます。アクシデントのBを捕まえて裁判をしないまま「ガレー船」漕ぎにします。高貴な人が落ちぶれていくさまは見るものをある種の覗き趣味にします。理由がある程度納得できるものなら、意外と起こりうる嫉妬だと思います。普通に力や知識でかなわないときに起こりがちなケースですよね。

ガレー船までの途中、ナザレの町で休憩のときにローマの兵士にいじめに遭っていたのをキリストが助けます。そしてガレー船の漕ぎ手を3年経過。ソルジャーに推薦されます。まあその前にローマ軍はマケドニア軍と戦うのですが。とりあえずこの海戦も見所のひとつです。そして指揮官を助けてローマの帝国内でどうにかソルジャー(騎士)の生活を得ることが出来ます。何故助けたのか?確かに疑問ですし、その後の人生を見ると取り入った感があるのですが、運命とはこんなものでしょう。

勝利の行進にも参加できますし、皇帝の判断も仰げるのでメリットは大きかったです。実際にトップはそんなにひどくなく、末端がひどいのです。元老院と長老の(ローマはこういうことでは機能している限り理想に近い政治体系でしたね)判断で長官(助けた指揮官、D)の自由の判断に任されました。そして騎士(ソルジャーという喧嘩武道みたいなもの)として優勝も5回しました。この騎士のシーンも見所のひとつです。

そしてローまでの素晴らしい生活をあとに母と妹のためにナザレに向かう途中にバルタザールというものに出会います。ご存知でしょうが、ブレッソンの映画の題名みたいです。何か意味があるのでしょう。「妻は神ではないんだ、ひとりではよくない」という族長の言葉は面白いし、ここで「生命の存在が奇跡なのだ、あとは神の天罰に任せなさい」バルタザールの言葉、本当にその通りです。「星の導きでベツレヘムに行った」そしてキリストの誕生を見たというあたり話が盛り上がってきますね。生家に戻るとEがいるのです。

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