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そして時間は過ぎますが、BとCは結婚をしません。その間、AはBをたずねて、「君とCは結婚をしないほうがよい、それは君にとってもCにとっても破滅だよ」と忠告するのです。AはCを「かわいそうだから好きだ」というのですが、BはCを「好きだけど憎いんだ」というのです。どちらも違うんですよ。恋愛は愛情は好きでたまらなくなるんです。

しかしAを見ているうちにBは前から思っていたことが強く心の中で浮かびます。CはAのことが好きだということ、しかしAと一緒になるとAを堕落させるからBを選んだということ、です。そしてAと話しているうちにやはりBはCをあきらめAに譲ります。しかしAはだからといって行動にでることができるのでしょうか? 最後にAを刺そうとするBがいますがこれは幻でしょうか?

第二部

「恋と憎悪」

Aは権利があるからといって金貸しからお金を借りて生活してました。牧場をAが帰ってくるまで中心に管理していたDの上司Eの妻はしっかり者で借金取りを寄せ付けないのですが、Dの娘Fに気があるのかどうか気にしてます。実際に美人ですが、親たちの狙いは財産でしょう。その親とFがスケートショー(雪祭り)を見物に出かけます。ここでAと出会いますがFのつっけんどんな態度といったらすごい剣幕です。それはなにに起因するのか?それはFの心を読まれていると思っているからです。そしてDと一緒に歩いているとCが突然出てきてDに対してあなたはお金を騙し取ってなにをしようとしたのか忘れてはならないと、仮面をつけたまま言って立ち去ります。かっこいい原節子です。ここでBがでてきてAに言います。「やはりお前を好きなんだ、お前を幸せにしたがっているんだ」ということです。

そして次の日、待ち合わせをしてAとFは会います。そこでまったく態度が違うのです。「時々こっけいなしぐさをするけど、あなたは人間の中で一番大切な知恵を持ってます」とほめるのです。隠していたんですね。恋心を。これに一番早く気がついたのはCでしょう。だから身を引いてます。

実際にこの日にAのCに対する理解は本当に確信をついてますし、CのAの想いはFへの手紙に書いてありました。それは「FがAと結婚するように」というAの幸せを祈る手紙です。Fも馬鹿じゃないので気がつきます。

Fの言葉にもあるのですが場所が北海道というのは吹雪の激しさ、動的動きとAの人生を達観したかのような静的な動きと対に、さらに雪や風の荒々しさがACの精神的な情動の強さにあらわされるといった感じです。またBFも内面は激しいのです。ロシアが違いという位置的な意味も当然あるでしょう。

AがFを毎日尋ねていくシーンが日替わりではいるのですが日々の移り変わりが、リズムをなし、本当によい夫婦みたいなんですね。生活と精神的にリズムが出るというのは波長があっているのです。Aは知らずに「赤いカーネーション」を持っていくのです。大体よく言われるのですが、女性から見て赤く見える男の人、または赤を連想する男の人は愛している人と言われます。これ自分もよく聞いて見たりしてます。しかしAがFに赤いカーネーションの話題につけこんで(両親も願ったり、の振りをAにしますが)結婚を申し込むシーンは白眉でしょう。黒澤監督の映画でこれだけ愛情が前面に出たのも、女が中心に描かれたのも珍しいです。「しーーん」と一同起立。その思いの強さが感じられるシーンです。

AFともにふたりの間にCがいるのを知っていて知らない振りをしているのです。とくにAは致命的な感じです。どこかでこの精神的破綻は大きく出るでしょう。

吹雪の中FはCに会いに向かいます。ここはすごくポイント高いですよ。最大の見せ場。その前にCはAがFと幸せになることを確認して去っているのです。それを待っているCとB,そこにイワノビッチの「ドナウの小波」がオルゴールで奏でられ、Cの独白が「Aは私の夢の塊です。見るのが怖い(幸せになっている姿は見たくない、しかし幸せになってもらいたい)」この構図、音楽が良いでしょう、中央にステンドグラスをバックにマントの原節子、手前に画面を横切る形で三船敏郎が寝てます。顔を上げているので右下に男の顔、中央に女の顔とバランスがすごくいいのです。「あの人私にとって理想なの」。

AFはFが行く気になっていてAは止めてます。BCはBは知らない不利、Cは恐ろしい思いで待ってます。そして時間が静かに流れていきます。会ってからの原節子と久我美子のにらみ合いでCもAに対する愛情が残っていることがわかります。なんだかんだ言っていても忘れられないのでしょう。久我美子が「あなたもちろんご存知でしょうね、私があなたに会いたいわけを」というのですがCは知らないと、実は私もわからなかったのです。何で会いたいのか、それは「相手の女に勝つためでしょう」としか思えなかったのです。

違いましたね。「何故傷つけたのか、何故捨てたのか」と問うのです。それでまだAを判っていないというのです。犠牲の押し売りはたくさん、とCを批判します。

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