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Cも勝負をします。Aに対してCとFどちらを選ぶのか問います。これはこういう聞き方をするとAが答えられないのでAの精神的破綻の予備線でしょう。私ならこの状況なら久我美子を選んで原節子を心の中に永遠に忘れないでしょう。でも永遠に忘れないなら今これが最後のチャンスなんですよね。判断は?選ばない暴力もあったんですね。CFともに傷つきます。Fとの婚約は破談になり、Cの様子を見に行きます。Bと一緒に歩くシーンは冒頭にありましたが、希望も若さもなくなった感じがします。映画自体は、堂々としたリズムで刻々と時を刻んでいきます。緩やかなテンポで、降り積もり雪がおもりのような感じさえするようなテンポで堂々と描ききってます、本当に見事です。まったくリズムが狂わない。そしてBがCを殺していることを知るのです。それは思いやりからなのですが、Bはその罪の重さと愛する理想の人を手にかけた苦しみで発狂します。冷静に見ると最後まで自分のペースを崩さなかったのはAだけです。そのまま「白痴」のままです。度が進みましたけど、そしてFは気づきます、「人を愛し続けるだけで憎むことをしなければよかった、はくちだったのは私のほうだ」と。誰も幸せにならないのです。すごい袋小路に投げ出されたまま終わってしまいました。しかしすごく充実したときでした。面白かった。

 

すごいことに気がつきました、この映画は「羅生門」と「生きる」の間の映画なのですね。悪いわけないですよ。また蒸し返しますが、ABCは誰かを常に愛し続けたのです。

 

「白痴(はくち)」手塚眞監督 1998年

最近、黒澤監督の同じタイトル見たばかりなのでどうでしょうか?原作が違います。黒澤監督のほうがドストエフスキーですから、日本の坂口安吾とは違いますよね。

あらまあ、また原爆からスタート。廃墟のイメージであとは下町、それも汚い下町の下宿です。道がコンクリートならちょっと前までの東京に会った景色なんですが、数年前にみた大阪の岸和田のほうの景色に似ております。そして町の中の人間模様は、確かにあるだろう、しかし役者の物腰が違う、という感想です。あと極端ですね。

テレビ局の内容は、手塚監督らしいものでやはりこの路線のほうがいいんじゃないか、と思います。「銀河」というアイドルを売っているテレビ局です。彼女のステージに出ていた連中は俳優なんでしょうか。それとクレジットはないですがかなり有名な人(俳優と限らない)が出てきます。私もすべて追いきれませんでした。テレビ局の中のシーンは「鎌田行進曲」のパロディですよね。きっと。

そこで「銀河」にからかわれて、落ち込んでいるときにみる夢のシーンは音がいいですね。この男をA,隣の夫婦の気がおかしいほうの奥さんをB、旦那のほうをCとします。BCが良い味出てます。BCのことが映画を作るAからするとテレビ局の仕事よりもリアリティあるんですよ。もともとテレビ局のシーンは現実性ないんですよ。長屋というか汚い下町に超現実があるという感じの設定なんです。

しかし銀河がAに体調が悪いときにオフにして話しかけるモノローグはかなり哲学しているんです。そして、母性の象徴のような内容を両性具有的な体つきの銀河が話し続けるのです、まさにパラドックス。しかし銀河は結局は欲望の象徴でしょう。この辺でこの映画はいいと思いました。こうなると残りみるときは安心してみることが出来ます。

そして自分の部屋に戻ってみると、BCが近いんですよ。良い味出るんですよ。環境からね。笑い。へこんで帰ってきた自宅の押入れに隣の奥さんがいると普通でもあせりますが、この奥さん普通でないから、尋常じゃない状態になります。この辺おかしくて、笑い転げてます。このBは四国のお遍路さんで途中Cに見初められて連れてこられたと思ったのですが、やはり、何か悩みがあったはずで、この時代の精神状態を表現しているのだと思います。テレビ局は実は参謀本部を揶揄する意味あるのかもしれない。この戦争を顧みるとどうみても、参謀本部がハイになっているとしか思えないんですよ。

Bのこの家での悩みは愛情がないことですけど、Aも常識人で愛情を表現できないし、Bが「嫌われているのですか、私、来なければ良かった」といって迫って初めて意味がわかる人です。ここで判りました。Cがかなり頭の中で飛んでしまっていると、常識的な愛情表現が出来ないのです。Aも映画ということで言葉先にありき、な性分だったのです。ここから同棲が始まるのですが、Aは浅野(「殺し屋一」など)で若いイメージなんですが、Bは甲田(dip In The pool,でキャリア長いので中年のイメージがあるので)役者としてBのほうが遠慮している感じの距離感が二人かわいいです。これ私の感想ですけど。

外に出るとテレビ局と戦争ですが「戦争というものが健忘症にさせてくれる」というせりふがあったと思うけど、これ現代のことも言っているんですよ。現代の戦争は武器を使わないだけに変な戦争ですよね。株価、為替などが影響する資本市場と資金の調達かつ、情報社会というなかで利益を上げていくということはまあ戦争です。

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