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Bのほうは実家で座敷牢です。岡山って岡山出身のやつによく聞くんですが田舎なんですよね。私のイメージでは神戸、姫路に近いと思うんですがやはり遠いみたいですね。

まあ倉敷のほうに戻ってAはいとこと称する昔の男(Aがバージンをささげたみたい)に会いますがこの男、ストリップ劇場を中心にメッセージを発信したがって劇団みたいなものを作っているんです。次の発信メッセージは「自動販売機でものを買わないでください」、私には大うけしました。「お金を入れると物が出てくる、これは人間を堕落させる」という論理みたい。こういう人今でもいますかね?そこにCがAの「バージンを守る」といって仲を割って入るのですが、実は、Aは、という感じでCだけが浮いてしまいます。

Cは結構まじめなんです。ここでAもCとともにまた出てしまうのですが、下津井城あとなんていいですねえ。このへんで金子が切れてきます。旅も終わりかな。Bは捕まります。その晩ACは激しく抱き合います。何かいているのかわからないかもしれませんが、先がない二人が刹那的なたびをして、その場限りを楽しく、危うく生きているとこんな感じになるのかというのはわかります。長門裕之さん 秋吉久美子さん二人はお似合いの役でした。この二人だから面白い映画になったと思います。こんなに面白いと思わなかった。すごく得した気分です。

 

「ひかりのまち」マイケル・ウィンターボトム監督 2000年

この映画は大好きな映画です。ロンドンの今(2000年)が封印されているような映画です。ロケが多用されているので画面が揺れますがいい映画ですよ。

次女(A)は出会い系でいい彼氏と出会いがないかといつもチャレンジしてます。しかしこれっ、というのがいない毎日。カフェでバイトしてます。

長女(B)は亭主と別居して男の子を一人で育ててます。美容院で働いてます。

三女(C)は今新婚でまさに子供が生まれようとしております。

音楽担当のマイケル・ナウマンはこれらの登場人物に主題の旋律を割り振ってます。Aのテーマはいいですよ。

長男(D)は彼女と逃避行。本当に面白い兄弟です。父と母もやることがなく楽しみもない夫婦です。たまに子供たちのところに行って気晴らしをしているだけ。子供たちは別の生活を持っているのでそんなに真剣に相手してもらえないですけど。母は近所の犬が気になるし、父親は何をしていいのかわからない。隣のうちが騒がしく、楽しんでいるのを、癪に障る母親。自分が楽しくないからねたみもあるんです。ここで大事なことは自活できるような人はみんな何かしらの孤独を抱えていて、自活もできないようなDは楽しんでます。

電気店に勤める黒人の青年(E)もまた人にはわからない価値観を持って殻に閉じこもってしまってます。しかし収入があるだけまし。

しかしCの夫が黙って会社を辞めてしまいました。Cの両親みたいになるより自分のしたいことをやったほうがいいだろう、とタワーブリッジが対面に見える橋の上で一人言い聞かせます。国立劇場があるところの橋だと思います。近くに観覧車もありますよね。

Bは子供のお守りをAにやらせておいて美容院で不倫をするような崩れてしまった女です。女の人って微妙で一度崩れると意外とあるところまで行ってしまうんです。まあ女だって楽しみたいですから。これは亭主がだらしないと、離婚がらみでなりやすい。しかしこの性格が大事です。Cは妊娠まじかでノイローゼ気味。夫が仕事やめたと聞いて逆上します。生活の基盤がなくなるのですから。ここで主婦として生活の不安、相談なしに起こした行動を認めようとしないのです。そうなると旦那は出て行くしかなかった。起こったことは認めなければならないのです、一緒に生活するからには。

そんな中でも、映画は家庭の主婦が暇つぶしにしているロッタリーを映し出します。みんな暇と平凡さに女らしさがなくなってしまっています。

この妻が出かけている間に夫が帰ってきますが不在なので中に入れず、近くの黒人の奥さんのところにちょっとの間置いてもらうことにします。そうするとそこでは酒は飲むしダンスは踊るしで生活をエンジョイしているんですよ。そのペースで久しぶりに楽しい思いをしたでしょう。生きるということは楽しくなければやっていられない。

そんな時、たまたま偶然ですがBの夫が遊びでかけた電話でAとデートの約束をして実際に会ってしまいます。お互いに気まずくなるのは当然ですがこの旦那は姉の旦那と割り切っているからAも何でも言えるし、あの姉と一緒になったくらいだからこの男も楽しいのです。こんな感じでいいと思いますが、姉の旦那なのですぐに別れてバーを後にします。このフランクな感じを誰にでも出せればいいのです。しかしその後、同い年くらいの写真家の家に遊びに行ってしまうのですがここで彼でいいと思ったのです。しかし今度は相手が体だけが目的でした。そして彼の家からの帰り、彼は送ろうともせず、Aは一人バスで帰ります。そのバスの中はみんな友人や恋人と乗っていて、より一層Aの寂しさが強調されます。それはまさにバスが雨の中を走るがごとく、Aの心の中も雨模様なんですね。寂しさを紛らわすのはあせってはだめです。本物を見つけなければ。Aの母親も昼間ロッタリーで面白くなかったので隣の家のうるささにとうとう爆発して隣に家の犬に毒を飲ませます。このように孤独ということは普段考えもしないことを行ってしまう力があるのです。

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