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そして舞台は1999年10月10日。当然地上では30年の歳月がたってます。みんな年を取り息子(B)は30数歳。今離婚の危機です。物理学は宇宙の軸が10から11あるのではないか(まあ10次元の世界とかですね)、というストリングス理論が隆盛になってきてます。(実は知りませんでした、最近物理学チェックしていないです)それで第二の時間があるということです。そして30年ぶりにNYの下町(近所の人が子供のときから一緒に遊んで大人になっても交流があり、人のうちのどこに何があるか知っている)でもオーロラが見れるようになります。これで舞台は整いました。量子論で過去現在未来の時間の流れは取れるというのですが、今の量子論ではそうなんでしょうか?笑い。昔の量子論では、まあ哲学に近いわけですが、時間はゆがむ、でなかったでしょうか?

まあこの近所の友人の子供が勝手に無線機を出してしまったのですが、いつの間に無線を傍受します。ここで30年前とのコンタクト、それも父親とのコンタクトが可能になったわけです。初めのうちは気がつかないのですが、無線の向こうに子供が出てきます。その子供と無線の相手のやり取りが自分と父親のやり取りに似ていたのです。自分の声を聞いていたんですよ。ここが映画なんですが、死ぬ前の日に無線が通じたのです。ということは無線で死ぬ原因を教えてあげれば対処できるわけです。実際事故死なんで、違うルートを教えてあげるのです。それで助かってしまう。ということは現在において、父親の命日も変化するということです。助かった瞬間、いろいろな時間軸がクロスしたかのように、また新たに発生した父親との時間が突然、未来でもあり過去でもあるかのように頭をよぎります。ここで時間軸はずれました。みんなの記憶も変わります。今度は肺がんで10年前に死んだということになりました。ということはあのあと20年間生きていたわけです。逆に母親が先に死ぬという記憶が生まれました。今現在生きているのですよ。父親が生きてしまった関係で、他者に影響が及び、ナイチンゲール殺人事件の被害者になってしまったのです(Bの母親は看護婦)。ほかにも被害者が増えます。

そのため、あらかじめ事件が起こった日付がわかっている分には無線で父親に現場にいてもらい犯人を見てもらうことにしたんですが、犯人の気に障ることをしてしまい危なく殺されそうになります。そのとき財布を盗まれそうになるのですがそこに指紋がついているのです。現在にそれを送ると、指紋鑑定からは犯人が特定できました。元警官。

しかし盗まれた免許証から容疑は父親にかかってしまいます。現在では息子が犯人の元警官に詰め寄ります。現在と過去で同時にこの男に迫っているのですけど、もう一歩向こうのほうがやけになっていて、あとには引かないくらいに殺しに来ます。

 

まあ過去の方はとりあえず解決したのですが、そこで殺していれば現在の方で襲われることはないのですが、行方不明という状態にしてしまいました。現在の方の危険はいまだあるというとき、過去の方も襲われます。同時というのは考えもしなかったので、面白い展開ですよ。過去の方が犯人の手を撃ったとき現在では手がなくなりますが、そのとき過去と現在の融合が図られました、なぜならばこの事件は解決できる状態になったからです。そして過去から現在に来た父が犯人を撃って解決。事件も被害者は少なくて、家族そろって今でも生活しているとさ。こんな感じの寓話です。最後はNY郊外の善良な人々のささやかな(ヤフーで儲けた人を除くか)人の生活を映して終わります。本当にいい映画ですね。

5/14

 

「サハラに舞う羽根」シェカール・カブール監督 2002年

「エリザベス」の監督というだけで観てしまいました。1884年の英国ですか。世界の四分の一を支配ということですが、欧州のこのような植民地支配については何もとがめられないのは、結局はいまだに欧州勢力が強いからでしょう。その英国で祖国のために戦わないものを示すものが「白い羽根」とのこと。はじめからラグビー、キルト、ティーと英国を示すものが出てきます。

はじめに若い二人の婚約発表があるんですが(女をA,男をB)そこでの席のダンスの場面ダンスの音楽を止めて映像だけ躍動的に音楽はピアノ一本というのはきれいです。

まあ彼らは軍隊なのですけど、その軍隊の練習風景を見ていると強そうもないです。英国の支配は産業革命を背景に他国にない武器で、技術優位性のもと実現しているので兵士の力は人口のままでしょう。人は石垣なんですがその人口がないのがやはり衰退の原因ともいえます。というよりもともと面積が小さいですからねえ。

案の定、アフリカで氾濫があり鎮定に向かいます。Bは結婚を前にしているし、怖さもあり除隊願いを出します。当然受け入れられません。そのくらい丁重な教育を彼らは受けているのです。上でも行ったように弱いだろうと観ていて思えるくらいの英才教育です。砂漠ではそういうのは通用しません。当然「臆病者」のレッテルは貼られます。Bの友人のCはBを信じているのですが、Bはもともと帝国主義に反対なのでしょう。Aも軍隊に戻れといいます。結局破局してBは失意のうちに民間人として単身スーダンに向かいます。そこで砂漠を越えて英国軍の基地に向こうとするのですが、ガイドに裏切られ砂漠で置いてけぼりを食います。砂漠で一人はつらいでしょう。そんな中Cは英雄として本国に帰ってきます。Bはまるっきりシェルタリングスカイです。倒れたところ現地人に拾われた。

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