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昭和17年、戦争中。子供も大きくなって工場で働いてます。一番初めの子供は女の子でしたがその子が地主のところに嫁(実質奉公)に行くことが急に決まりました(女の子をA)。

ここの家は「出雲系の神」を信じているみたいです。地主の三男坊ですので家の中でも地位は低いです。そして奉公のみということで嫁いできたのですがそんなわけにはいきません。実際このAは嫁ぐ前の日まで父と寝てました。近親相姦かどうかは定かではないのですが、多分父はあまり性に興味がなく山と子供を育てることに興味があるタイプだったのでしょう。しかし奉公のみのAが子供ができたので実家に帰されます。実家では地主に食い込むためのAが返されて予定が狂ったというし、子供は増えるしでめちゃくちゃな人間関係です。生まれた女の子を生かすか殺すかというところでAは生かしてほしいといいます。今の少子化とはまったく違う世界です。昭和18年生まれ。子供をBとします。この子がお乳を飲まないので乳が張って痛くなるので父親が代わりに乳を飲みます。すごいですね。まったく羞恥心がないというか自然なんですよ。

そして昭和20年8月。アメリカの主導の「農地改革」地主の没落。Aは工場で知り合った上司とできてしまいます。

しかし労働組合運動を激しくまじめにこの上司とやっている姿を見て上司は引いてしまいます。Aはまじめに尽くしているんです8が、その情熱が強すぎるのです。そして別れ話。昭和24年のことです。

その後も男と転々として幸せになりきれません。Aは男好きのする顔なので、かつ情熱的ですので男がいつもできるのですが、その激しさで離れてもしまうのです。その挙句、新興宗教の門をたたきます。なんか仏教系。昭和26年のことです。赤線で働いているんです。そんなこんなで昭和30年になってしまいました。新興宗教にはまだ入ってます。そして旦那を見つけたら売春宿の女将を警察に売ります。そして顧客名簿を持って独立しようとします。この時点で最後にAは殺されそうな予感。前に見たんですが内容は忘れてました。

そして現天皇の結婚式パレード。観てみたいですね。そして裏切った売春宿は売りに出てます。旦那は買おうというのですがAが少し躊躇します。「賭けに勝った、お前の勝ち」といわれたのが気になったのでしょうか?とにかくAの人生はいろいろな勝ち負けの人間を見てきた人生です。しかし大事な取引に体を提供する女の役をAに押し付けられ、賄賂も立て替えさせられます。実際にここに愛情があるのか、疑問に思い始めます。

そして整形までさせてかわいい顔にして商売させます。でもね、因果応報。自分がしたことは自分もやられます。若い子に裏切られて裏で商売をされます。それがわかったとき、顔を壊してやるというときの迫力はすごい。確かに整形手術をする金をだしたのはAです。

そこに田舎にいた娘が尋ねてきます。開拓農場を始めたいので金を貸してくれと、そして今までなにをして暮らしてきたのかと聞かれます。そんな中父親が倒れたという知らせが入ります。昭和35年、60年安保の年。

東京に帰ると、みんなに裏切られてます。そして警察に。自分のやったことそのままに、逆にやられました。そして娘にまで手を出されます。娘が上京してきたときAは刑務所でいないので旦那のところに行くと週何回かで20万円になるというのです。ようは愛人になれと。Aの怒りはかなり頂点になり(Aは旦那にかなりお金を用立ててあげている)怒鳴り込みますが、逆に縁の切れ目に。旦那は今度は娘のほうに交換条件を出します。このまま東京に残れば店を出させてやる。しかし愛人関係はそのままと。娘はOKします。そしてお金をもらって渡してくるといってそのままアパートの敷金も抜いてもって帰ってしまいます。旦那も娘にやられました。娘はAがひっぱたいたことが効いているのでしょう。

娘は自分たちの生活を。そしてAはそこに向かうところで終わり。なんというか、たくましい映画です。難しいというかいやな一面を見ますけど、人間ですからね。左幸子一世一代の演技でしょう。なんというか実生活でも妹に持っていかれたんですよね、あまり触れないでおきましょう。

5/26

 

「昭和残侠伝血染めの唐獅子」マキノ雅弘監督 昭和42年

昭和初期の浅草、とりあえずお決まりの満州事変の数年前です。みんなこういう発想がないんですよ。東京博覧会らしい。ここでひとつ大きな視野を持ちたいのですが、この映画に出てくる人たちが真に戦争を望んでいたか、というとこの映画の人たちでさえ望んでいなかったと思います。

鳶職人の頭は大喜びしますが、そこに博打畑の組の頭が建設業に(笑い)進出するということでこの大きな仕事を請け負いたいと懇願に来ます。浅草地域はこのとびの頭が江戸時代から任されていると断ります。元締めなんですよ。ここで鳶の話をしたいんですが、うちの店を作るときも優秀な鳶の人たちが入ったんですが、それは周りとか通行人も見物するすばらしい仕事でしたよ。仕事自体が人を惹きつけるんです。

とにかく、この新興は政治と組んで入札制度導入を考えてます。確かに入札制度は自由競争でしょうが、今でこそ、この制度は有用だと思いますけど、この時代は街の仕組みを変えてしまうものではないでしょうか。今残っているゼネコンの母体を見れば地域密着というよりある時期から金の勢いで急成長したという印象はぬぐいきれません。この自由競争という名の元、大事なものを失ったかもしれません。実際食えなければ、負けですし、撤退しかないのです。鳶なんていうのは職業を超えて文化だと思うんですけど。

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