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問屋は付き合いがある以上新しいところへはより高い卸値しか出せないといわれます。そして盗品を卸すところから仕入れることにします。

スーパーの社長はこの新たな敵を歓迎しているんですよ。流通経路が闇に包まれるか、逆に一緒に突破口が開けるか見極めたいというのです。前向きな男です。そしてばかげた値下げには静観して様子見を決めます。というより私はこの主人公に肩入れして観てしまってます。前回、23年前ですか、そのときもそうでした。たまたま見たんですけどね。

また、例のお好み焼屋もビルにしてきれいにした分だけ、客足が遠のいてしまいました。どうするべきか?聞かれて社長は「撤退だね」戦争で負けたなら退く。おっしゃるとおりです。私の商売の話は置いておいて、ずっと見てきた戦争映画で失敗しても攻撃して行った日本軍、あの戦艦大和などの悲惨さ、とアメリカ軍がフィリピンから撤退して軍を立て直してミッドウェイで勝利して流れをつかんだ様子身にしみて感じているのでしょう。

そして新しいスーパーは、実は計画倒産だったのです。何の利益があるのか?手形切って仕入れする時点でおかしいと思わなければいけないのですが、そこは任してしまい鵜呑みにして、現業ということでスカウトの連中をすべて役員にして代表権や利益相反取引に引っかからない立場に自分たちを置いておいて、逃げたのです。残った連中はたまりません。

強力なライバル出現とよりがんばった社長も悲しんでます。結局は元の状況に戻って孤軍奮闘しなければならないわけですから。

つぶれたスーパーの親子も法人ですから、役員としての義務しかないと父が言い聞かせます。そして「すみません」と経営責任だけを謝れというのですが、日本はそうは行かないんですよ。結局はお金がなくなるまで追われます。

そして昔いたスーパーに本店と支店の売却(債務込み)での打診をします。ここで女は終わり。しかし本店だけを買い取ることにして、電気製品を始める方針です。この電気製品もダイエーなどの大型スーパーの不振の原因であったはず。先が危ないですね。日常のものを買うところで、数年に一回のものをついでに買わないのです。消費習俗の違いはスーパーの消費提案でも変えることはできないですし、新製品のサイクルが早すぎるのです。食品はその価値、味のよしあしは普遍的なものですけどね。

しかし最後にかけて、今まで締め付けていた連中がすべてスーパーの社長を頼りにしてきます。男一本で戦場から這い上がった男に負けたわけです。所詮サラリーマンなんですよ。

結局、薬局の娘は平凡な男と結婚して普通の生活に戻ってしまいました。そして主人公はまだ戦い続けるのです。というところで終わり。

本当にいい映画です。絶対のお勧めです。音楽は今とはまったく曲調が違う加古隆さん。

5/10

 

「まあだだよ」黒澤明監督 1993年

この映画は良いですよ。晩年の黒澤監督の映画は良いです。「八月の狂詩曲」も良かったですけどこの最後の映画も良いです。

この作家は売れる前に30数年も教師をしていたんですね。内田百閨Bおかしいことにこの映画も戦争と関係します。ちょうど陸奥が爆発した年からスタート。学徒出陣もすぐでしょう。

しかし良い先生には良い生徒ができるというのは良く聞きますがまさにこの映画はそんなことばかりです。そこらじゅうに笑いや楽しさは充満している映画です。またせりふや構図が本当に良いんだ。監督のセンスはすばらしいです。こういう楽しい映画が最後の映画というのも良いですね。いい監督というのは最後に良い映画作りますね。今村監督とか新藤監督とかどうでしょうね。深作監督はやはり良い映画で締めておりますね。

「方丈記」(鴨長明)の心境でどんなところでも落ち着いて、心平穏に過ごす毎日、その四季の移り変わりがきれいに描かれてますし、どんなぼろやでも出かけるときは正装して出るというのは良いです。いまは勝ち組サラリーマンも意外とラフなかっこうするでしょう、あれは好きではないんです。おしゃれって重要だと思います。

「摩阿陀会」の様子は見ていても参加しているかのように楽しいです。参加者の動きが生き生きしているんです。本当に楽しい宴会とはこんなものでしょう。そして男子校なので男しかいないし、生徒のほうも家庭があるはずなのに、何でこんなに無邪気に楽しめるのでしょうか。

次は「ノラや」です。愛猫のノラが失踪してしまうエピソードなのですが、子供と同等だったのでその落ち込み方は深く苦しいものでした。しかし大黒様はまわり心配してくれたみんなの優しい気持ちと理解してから元気になります。迷った因幡の白兎は自分であり、大黒様は自分を見守ってくれた人々ということでしょう。そしてすばらしい「摩阿陀会」はずっと続いているのでした。そして最後のシーンで見た「夢」。本当に善意のある良い人ばかりの映画でした。

5/11

 

「永遠のマリア・カラス」フランコ・ゼフィレッリ監督 2002年

まったく知らなかったのですが、マリア・カラスは日本公演を恥じていたんですね。引退のきっかけになったみたいです。その前にオナシスと泥沼になっていたんでしょうか。精神的ダメージは晩年大きかったみたいです。

そしてこの映画は過大な期待をしなければ、人生の再生、みたいなヒーリング効果はあるでしょう。それ以上でも以下でもない映画だと思います。では嫌いかというと嫌いではなく好きな映画なんです。

ちょっと良いとこ取りの感じがするのですが演じてみたい役を「カルメン」というのがいいです。一度はみてみたいですよ。一度も現実の舞台を見たことがありません。そんなの上演の機会も多くないですし。メッゾ・ソプラノで良い人が少ないせいもあるのでしょう。今はバルトリで観てみたいですけど、チケットとか買えなそうですね。

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