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Aはリプリーの様子を見に来たのでした。リプリーはまたエイリアンの存在を体の中に感じるとまで言ってしまうのです。そして何かを感じるとき、エイリアンは仲間を犠牲にして凶暴的なときの体液を使って(多分より酸性が強い)床に穴を開け逃亡します。育てていただけに数が多くなります。12匹。なおかつ、待ち伏せまでして追い込み、そこで人間に寄生するということも行います。またエイリアンの泳ぐシーンも出てきて、なんか漫画っぽくなっちゃいました。やはりSFだったのは「エイリアン」だけであとはアクションやコメディの要素が増えますね。リプリーなんかまたエイリアンに寄生されそう。Aはロボットだったし、展開が少し意図的で面白いといえば面白いのですが、飽きてきた感じはします。エイリアンも人間みたいになるし、ゴジラがつまらなくなったあの末期症状が出てます。まあこれはこれで楽しめるのでしょう。人間みたいに子供を生むようになるのです。リプリーがエイリアンみたいな人間で、エイリアンクィーンは人間みたいなエイリアンになったのです。そしてここまで行かなければおわらないというところまで行きます。つまり生まれてきた新種のエイリアンはリプリーを母と思っているのです。エイリアンクイーンはすぐに子供に殺されます。なぜならば新種は少し人間的なのだからでしょう。母リプリート仲良くする姿はもうこの映画シリーズの終わりを意味しております。

最後に宇宙船の外に追い出されるときの母への想いがエイリアン新種にでてくるのはちょっとねえ。そしてこのシリーズ初めての地球のシーンは猿の惑星と同じでした。

6/9

 

「ドールズ DOLLS」北野武監督 2002年

実は始めてこの監督の映画を観ます。漫才は観にいきたいのですが、映画は避けておりました。

冒頭の文楽はよく観にいっているので懐かしい感じがします。吉田蓑太郎師ですね。昨年かな、襲名公演には出かけました。しかし映像で観ると文楽は迫力がないですね。太夫の声の音量を調整しているせいかもしれません。この話とダブるように、こじきになってもいつまでも一緒にというカップルが居たのです(男をA,女をB)。Aは逆たまに乗ってほしいという両親の説得で結婚しようとしますがBは捨てられた悲しさで自殺します。その知らせを結婚式場で聞いてBの元に駆けつけて、そのまま駆け落ちします。こういうの見ていると頭にきます。なぜはじめから出来ないのか?Aの勝手な行動で、純愛になるかもしれないけれど、犠牲になった迷惑はどうなるのか、こういう感覚が大嫌いです。何でこんな展開にするのだろうか?

まあ映画的なずるさ、こうして彷徨しているうちにはじめのこじきのような二人になって行ったのです。そしてやくざの親分と出会う。この親分とABは何の関係もないのです。あるとしたら、貧乏で幸せになれなかった二人。Aの場合は貧乏というより親の薦める逆玉に乗れなかったことです。普通親は金持ちなら越したことはないとは思いますが、薦めたりはしないと思うのだけど。この親たちはAの行動で貧乏になって行きます。

親分の逸話は、昔の恋人とのこと、友人の裏切りなどで、結局は愛に帰っていくということ。今のABを間接的に表現しております。

あと、どうでもいいようですが、あるアイドルの追っかけ(男の子)とあの親分の昔の恋人(いまだに公園で男が来ると信じて待っている)おばさんがあるアパートで隣同士なんです。かなえられない想いを持つもの同士が貧乏な暮らしをしているなかで汚いアパートの同じ屋根の下ということです。

アイドルの場合も親分の場合も男と女が待っているということで話が対になっているのです。大きな伏線ですよね。そしてこの男、究極まで突っ走ります。「ベティブルー」のパターン。自分の目を刺して見えなくして、事故で引退したアイドルに会いに行くのです。当然、仲介の人は会わせてくれますし、アイドルのほうも古くからの追っかけですので顔と名前は覚えております。アイドルもその心意気に打たれます。何かを感じたでしょう。

さらに同時におばさんも親分が毎週行くようになるとどうでもいいと言うようになります。実は彼が来ているんですよね。男と女の想いと言うのが真剣なだけに通じたのです。その瞬間でさえもABは一緒に彷徨ってます。まあしかしアイドルの追っかけも、親分も死んでいきます。やはり一緒になれない運命なのです。そして、たまたま死ぬことが念願かなった時に起こっただけです。親分も追っかけもこの後生きていてもいいことないでしょうし、幸せな死に方だと思う。二人とも相手と別れてすぐの死ですから、余韻の中に死んでいったのです。そしてABもまた意識を取り戻したかに見えた瞬間、そう愛がまた通じ合えた瞬間、図らずも心中のような形で死んでいくのです。そしてそれが最後。愛というのは追っても成就しないものなのです。それが運命さ。幸せそうでも実は、、なんて夫婦のほうが多い世の中です。ここに出てきた人たちはその意味では幸せの中に死んでいったのです。「冥土の飛脚」が来たのですよん。

6/10

「事件(じけん)」野村芳太郎監督 1978年

法廷劇なんでしょうが、はじめからすべて事件が解決する方向でスムーズに進みます。

事件は彼女の姉を殺害。何とならば、姉に妹との間に出来た子供をおろせといわれていたからです。主人公は19歳の青年Aです。未成年だから裁判官も早く片をつけなければならないと言うのです。未成年の保護を考えた判断です。最近ではこういうことも通用しない事件が増えてますけど。そして裁判検事も弁護士もみんな冒頭陳述がどうもおかしいと思っているのです。映像ではフラッシュバック的にどうも姉をかばっているのではないか、という映像が挿入されます。

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