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では、「なぜ探しているのでしょう」。ここで母との思い出が走馬灯のように流れます。少年の思い出として土蔵の女に誘惑されたことがあった。そのまま、関係させられているのですが、この無垢の少年がこの魔性から逃れる道は母の作っている帯に沿って砂丘を逃げることであった。その砂丘は海に通じておりそこに母はいる。これはイメージですが、現実のときの流れでは少年は犯された後、風呂から上がって母からあの魔性に近づくなといわれる。この女は二十歳のときから男を待ち続けているという。「女が二十歳になると、丑年の丑の月の丑の日に、髪を洗い、身を清めて、紅を薄く塗り、戸を締め切って壁に女の魂を掛け丑の童子に一心に念じていると前世から定められたいにしえの人が写るという」これを実行していたのだがこの女は何も写らなかった。だから男を待ち続けているということです。この女には母がついているから大丈夫といわれ、近づくなと言われたのです。しかし少年はまたこの女を覗いてしまうと、母に折檻され、女が近づけないようなおまじないをかけられる。それは手毬歌の歌詞を体中に書くというものです。そうですね、なぜ手毬歌の歌詞にとりつかれて旅をしていたのか?それは母から離れられないからです。少年がかくれんぼしている相手も脱走兵と消えてしまい心中してしまう。そして女は死体として波打ち際に打ち上げられる。少年は女に近づくことができないのです。

では手毬歌の歌詞はなんの役に立つのか?なぜ旅をしているのか?遊郭のやり手婆にいろいろな歌を聞いたり遊技に聞いたりする。一人の遊技は知っていたがわざと間違えた。客として相手したいからだ。教えては女を避けられてしまう。そしていつも遊郭では川の向こうから母が見ている。からくり人形が歌えるのはからくり人形は避けられないからだ。

次の瞬間、その手毬が川を流れてしまう。土蔵の女が拾い土蔵へ誘おうとする。女が土蔵に入ったらそこから先生が出てくる。先生に話を聞くと、近くに子産み石があることを教えられる。石をなぜると子供ができない人にも子供ができるようになる効能があるという。すると夢の中で母と関係している少年が頭の中で浮かぶ、しかしそばで手毬をついた女がいるのだ。夢から覚めても夢の中のように、手毬をついた女はいる、追いかけても近づけない。それを妨げている川の向こうの母にも近づけない。こんな中途半端な様子を夢の中の世間の人は笑うのですが、どんな風に挑発されても(相撲取りのかっこうした姿はさすがに唖然としますが)そのまえで母の首が手毬歌で大丈夫というのです。しかし母の首が持っていかれると、少年は追いかけ、世間と戦う。もうイメージの世界ですよ。その夢の中の夢の中で、母が少年に向かって「お前をもう一度妊娠してやったのだ」と、ほかの兄弟たちを引き連れて言う。そして母との強引な結婚式が行われそうになると、あせってどうしようもなくなると目が覚めて子産み石の部屋で寝ている自分に気がつく。女の入っていった土蔵、そのあとにもう一度訪れた土蔵には子産み石があり、そのなかで母の印象が堂々巡りをして、現実かうつつかわからないまま砂丘(母なる大地)に来ると今度は先ほどの兄弟たちが堂々巡りをして遊んでいるのだ。生まれ変わった自分もまたその次の自分もあのように回り続けるのだ。これは「神曲」の最後にそっくり。母なる大地から生まれた人間は狭い環境の中で回り続けるだけです。そして、そう人生は繰り返す。そして魂は消えないのである。次にどの肉体を選択するかが問題なだけなのである。

面白い映画ですよ。母からの自立という単純ではないと思います。輪廻転生する魂がまた同じことを繰り返すということです。イメージがつかめないとそのまま不思議な映像だと思って終わってしまうタイプの映画ですね。最近ニューマスターが出たらしいのですが劇場ではぼかしなしでしょうか?このテーマはもう飽きましたので次に娯楽映画でも観たいですね。しかし気が楽な映画ではありました。わかりやすいし、イメージが非日常的で映画的だと思いました。

 

12/10

 

「カルメン」 映像監督ブライアン・ラージ、ジェイムズ・レヴァイン指揮 MET アグネス・バルツァ、ホセ・カレーラス  1987年

 

あまりに有名なオペラですね。映画ではないのでかなり詳しくソリスト書きました。まあ一言、映画と違って舞台は観客は自分の好きなところを舞台の上で見ることができるのです。しかしDVDのようなパッケージになると映像監督が編集した部分しか舞台上での出来事は見ることはできません。これははっきりいってよくないことです。舞台上が映画でいうスクリーンなんです。

まあそんなことはおいておいて、簡単なストーリーと感想を。

セビリアのタバコ工場の前。ミカエラという娘がドン・ホセを探しに来る。しかし、ホセが来ない間にカルメンが休憩で出てきて、たまたま目が合ったホセを一目ぼれする。(本当はこれが大事だったんです)ホセもまんざらではない。しかし、ホセはミカエラと結婚するつもりでいる。それを知ってカルメンが騒動を起こす。(カルメンはホセが同じ故郷のナバーラ人と知ってまた好きになる)しかし騒動の始末をカルメンはしなければならない。ホセに逃げられるように頼んで逃げる。逃がしたホセは1ヶ月営倉に謹慎させられる。

その間カルメンは酒場で踊って歌って楽しく過ごす。本当にいい場面ですよ。(「踊りと歌は一体」という場面、このプロダクションはそんなに盛り上がらないが。しかしこのシーンを最高に表現できるプロダクションがあるのだろうか?すべての人材がそろっていなければならない)そんなところに闘牛士のエスカミ―ユョが現われ、カルメンに一目ぼれする。カルメンの気持ちはホセなので、そっけない態度。さてホセが帰ってくるとカルメンは待ち望んでいて愛の最高のシーン。しかしカルメンは「仕事より愛」すべてを捨ててまでも愛を優先、ホセは「仕事は仕事」愛への思いが違うのだ。変な男のプライドがあるのだ。カルメンは好きならどこまでも一緒に逃げようという。ここで食い違い別れようとする。しかし将校が来てしまい、カルメンが好きなのでホセにはもったいないと決闘になりそうになるがカルメンと密輸仲間が止める。そして、ホセも密輸仲間と逃げなくてはならない運命になる。ホセもあきらめてカルメンと一緒に逃げる。ここまでの第二幕はいい曲の連続で最高です。

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