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密輸団が逃げているとき、監視員がいて隠れているがここはホセの実家の近くである。母のことを思い出しているのだ。それをみてカルメンはうまくいかない運命を悟る。実際にミカエラはホセを追ってここまで来ているし、エスカミーユョもカルメンを追ってきている。たまたま出会ったホセとエスカミーユョは決闘しようとするがとめられる。このころから気持ちがエスカミーユョに少しずつ向かっている。さらにホセは母が危篤と聞いて母のところに行ってしまう。

闘牛場の場面、もうカルメンはエスカミーユョと一緒になっている。ホセは影から見てどうしてもカルメンとよりを戻したい。もうこのときのホセはプライドもないし、カルメンも気持ちが変わっていた。しかしホセは自分の気持ちが癒されないとしてカルメンを刺して終わる。

こんな話ですが愛は具体的にはアリアとしてはカルメンとホセの二人にしかないのです。

話とするとホセの優柔不断さがすごく気になるのです。もっと受け止めろよ、と思うのですが、よく考えると、ホセには愛とともに母やいいなずけがいるのですね。それを壊したのはカルメンなんです。カルメンは根無し草なので気楽なんでしょう、しかしどこかに寂しさがありその裏腹に強い愛情を相手にもとめるのです。後から出てくる闘牛士はまさにうってつけです。しかし運命はいたずらをしますね。その男と女の縁の皮肉さが歯がゆいんですが、だから面白いのでしょう。

この舞台についてはバルツァは好きなメゾでこの役は適役だと思います。もう少し若い方がよかったと思います。ホセはまさに適役。ほかの二人はちょっとイメージが崩れるくらい。しかし、よくこの舞台見ればわかることですが、上演できるオペラハウスは少ないでしょう(「アイ―ダ」なみに大掛かりです)。まずトスカみたいに絶対的にメゾに魅力とテクニックがなければ成り立ちませんし、かなり踊れなければ務まりません。またダンサーや子役もたくさん出てくるので大きなオペラハウスしかできないでしょう。その点METは問題なくこなしてます。しかし、衣装も含めて何かが違うんです。私自身このオペラは実際に見たことがないですし見る機会も多くないです。そのため、あまり大きなことは言えないのですがもっと踊りを多くして、舞台全体に躍動感がほしいです。しかし一度は見てみたいオペラですね。今だったらどこのオペラハウスができるかな。カルメン役はバルトリがよさそうですね。

12/11

「月の瞳」パトリシア・ロゼマ監督 1995年 カナダ

 

光の筋にチェロとバイオリン、パーカッション、ハープ、エレキギターがかぶさる。そこは氷に閉ざされた水の中。いわゆる、無意識の中の自我を表現。

すぐに学校での授業の様子。内容がいいですね。「近代文化は道徳律を基本としている、、、」(女に振られる男教師の言葉)「変身は神話のモチーフ」(あとで変身する女教師の言葉)このような授業の様子にバイオリンとチェロが不協和音で重なる。まあ結果としては使われる楽器とシーンに関連性はないのですが。

幻想サーカスの女とコインランドリーで知り合う。しかし女教師がコインランドリーに行くのだろうか?不思議でならない。そこで幻想サーカスの女は女教師に惹かれてわざと洋服を間違える。確かに女教師は魅力的ではある。多分、何かこの教師の本質を見抜いたんでしょう。この映画独特の同性愛的な感性がある人はその記号を読み取ることができると思う。私には今ひとつわからないのです。その間違えて入っていた派手な洋服を着てみると発言も大胆になってくる。彼氏の男教師には「今は個人主義の時代でしょう」他人の意見なんか気にしないで、と言うし、神父との面談では「ロック独特のリズム自体が性交渉と同じ」オーガズムの波動に一致という意見も堂々と引用してしまう。無意識的に変身が始まってますよ。

そして、サーカスを見に行く。サーカスのシーンはまあまあまとまってます。ちょっと雰囲気先行な感じはします。今までにもホドロフスキー、寺山修二と立て続けに見てしまってはそんなに驚くほどすごくいいというわけではない。多分このサーカスの雰囲気でこの映画にはまる人はいるんだろうなあと思えます。そのサーカスの女は影絵のマジックを担当していた。ここでパーカッションが派手にシンセとチェロにかぶってきます。なんで電気楽器を使うのだろうか?しかしここではホモ(女性同士はレズというのは狭義)関係に歯止めが利いて会わないように逃げ帰るが、翌日サーカスの女はキューピッドの格好で矢に手紙をつけて投げ込む。このキューピッドはあとからこの話が聖書から引用されているんです。ここのあたりでは珍しく電気ピアノ中心。お互いの感情が一致したのかキスをする。(聖書や神学から解き放たれたい欲求は少なからず持っていたはず。しかし解き放つ欲求はもう少し違う形でしたが)完全なる伏線となります。このあとの新しい学校付の神父になるための面接で、同性愛についてこの女教師は「神の人類創生では異端もOKでは?」などと無意識的に言ってしまう。そして彼氏と一緒のときもキューピッドは見ているし気になるのでサーカスに出かける。そこで「友達にならないか」と性的関係はなしでと声をかける。まだ神学とのバランスは取れているんですよ。サーカスの女はパラグライダーに誘い「恐れていては何もできない」と本能を開放するような意味が深い言葉で空を飛ぶことを経験させてしまう。この空のシーンもバイオリンとチェロですね。なにか女同士のシーンにこの2つの楽器は多用されてます。着地失敗して足をもんでもらっているときに「何か話して」といわれ、もんでもらっているお返しに「キューピッド」の話を聖書からする。そこはご存知のようにある快楽へと導くシーンがあるのですが、実際に揉んでもらっているうちにやけに肌がフィットする感覚を覚えてしまう。そんな間に彼氏との性交渉も激しさを増してくる。彼氏はびっくりします。ほかに考えることは女と一緒のことばかりになってきます。そしてとうとう教師のほうからサーカスの女に迫っていきます。サーカスのはちゃめちゃな雰囲気にも慣れてきて逆に「愛する人と抱き合って踊ることは尊厳」と教えられます。まあ愛を中心に尊厳を考えているんですね。ここでも映画特有のこの人はどんな収入源で生活をしているのだろう?なんていう現実的な話は除外して考えたほうがいいですね。

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