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さてフランス料理屋ですがシェフも見習いも若いから直情的でかつ、作っているものが料理なので脂ぎっていて、かつ若さという油(エネルギー)もあるので(中年の脂と違うんですよ)性交渉も直球勝負です。しかしこの女の見習とバーの見習のオカマが街で出会うんですよ。(出会いの場が街角というのが悔しい)当然、バーに連れてこられてオー・ド・ヴイを味わう。(いつもはシェフの存在のような安ワインを飲んでいるらしい、そのくらいシェフは軽い存在なんですね)バーというのは酒だけの世界、しかしオー・ド・ヴイはいろいろなものから出来ている(蒸留する対象は何でもできるくらいらしい)のだ。フレンチは調理をするのである。調理と蒸留の違いが何かあるのだ。酔いつぶれて見習いコックは裸で海に寝そべる、その周りを女の性器を描く、バーテンダー。いつも中年の女に抱かれていたバーテンダーは若い女の体(きれいなライン)に魅力を感じてくる。この二人はいつもやられる生活に飽きていた。コック見習はシェフにやられるばかりの生活で、バーテンダーも中年のひもみたいでいつもやられるばかりの生活だったので、もしかしてうまくいっちゃうのか、と期待する。

閑話休題。人間の裸というのは、上の海辺でのバーテンダーとシェフ見習のからみとか、また、そのあとの朝日まじかの青の光線の世界の中また裸で寝ている女の死体を発見するのだが、若いシェフといいこの女といい裸は自然の中で何故こんなにも浮いた存在になるのだろうか?たぶん体毛がないせいもあるのだろう。そこに着ること、隠すことすなわちファッションの必要性があり、オシャレの遊び心が存在しているのだろう。そのオシャレ感覚が中年=オー・ド・ヴイなのかもしれない。

フレンチの厨房では上の考えに呼応するごとく、ウサギの料理をさばくシーンが出てくる。こちらは体毛がついた皮ごとをはぎ裸にして、内臓をえぐる。いわゆる直接攻めるんですよ。原型から調理するので出来た料理は原材料が変形するだけです(ここでコンソメを何で出さないのかはこの対比の問題だと思う)。対してオー・ド・ヴイは原型からエキスを抽出して水の形に変形させるんですよ。この対比は人間で言えば年を重ねることのよさ(蒸留酒)と絶対的な若さのよさ(フレンチ)の両立の願望なんでしょう。実際にバーテンダーとシェフは「焼きハマグリ」を食べる。これは自然そのもので単に焼いているだけなんですよ。いわゆる自然を食べるんです。対してフレンチは文化であり、人間の創造的なものなんです。

オー・ド・ヴイは実はピュアな若いものが感じられるものなんですね。味がわかるのは中年なんでしょうが。

この二人が束縛から逃れるためにバーテンダーは中年女(母だとやっとわかる、ということは近親相姦だったのかよ、となるんです)から離れようとする。しかし母からはすべてを与えられていて離れることが出来ない。酒屋の親父は父親ではないみたいですね。もしかして母が再婚したのかも。そして見習いシェフの方は妊娠がわかった後束縛を解くためにシェフを焼き殺そうとする。ここでずるいのですが、中年女が笑顔を持って裸で死んでしまうんですよ。たぶん、自立のときだと見たのでしょう。ですからバーテンダーの方はいっそう束縛にあい、もう若い見習シェフの方を見ることが出来ない。見ることができるのは中年女だけなんですよ。

さて最後の謎解きですが、見習のバーテンのオカマが「考えすぎると死んでしまうよ」といって酒を置いていってくれそれを飲むと、少年時代の自分がいるんですよ。もう束縛だらけの自分です。夢の中で(市電に乗っているという形)で冒頭一緒にダンスした女も出てくるんですがやはり消えていき、母が現れるんです。そして、その母を蒸留したオー・ド・ヴイを飲むと安心した眠りにつく。そして母が旅立っていくのですが追いかけるとそこは海(女性の象徴ですね)で、彼方に消えていくと、そこに覆い被さるようにイカ(男根ポイ)ものをくわえたシェフの見習の女がでてくるんです。ここで母からの旅立ちを余儀なくされるんですが、起きてみると裸で海岸に横たわっている自分がいます。現実に引き戻されるとそこには何気なくシェフ見習の女がいるのです。朝ご飯食べに市場に行くとイカを食べるんですよ。「このイカの耳のところおいしいのよね」と性的イメージを発するのです。二人は別れ別れになるのですがシェフ見習は全身やけどのシェフと同居して、完全に従属させているんですね。子供のが出来たためと完全に男を束縛することに成功したからです。バーテンダーの方はバーに戻り、父と見習と酒を飲んで、楽しそうにしている二人を見て一人隠れて酒を飲むのですが、酔えない自分がいるのです。いままでは酔った風にしか現実を見なかったのですから母からの束縛が切れたあとは急には酔えません。まあ、すぐにこの人にぴったりの女性が入ってくることを示唆して終るのですが。この映画はちょっと「サンタ・サングレ」に似ているところがあったのでした。しかし、途中からオー・ド・ヴイの見方が変わったのは私が未熟だったせいでしょう。自立の物語だったとはねえ。フランス料理と蒸留酒の関係はもしかしたらぜんぜん違うのかもしれません。なにか続けて「サンタ・サングレ」を観ようと思います。そこで比較してみたいですね

 

12/1   「サンタ・サングレ」 アレハンドロ・ホドロフスキー監督 1989年 たぶんメキシコ映画 上で比較といってみたのですが、勘違いでした。テーマは同じですが、その作りと独創性規模がまったく違います。こちらの方が数段上です。しかし何回見てもすごい映像です。この作品は音楽もすごくいいのでたまらない映像を見る、独自の世界観を感じる快感があります。また、笑えるくらいに今まで見た映画の比較のシーンが出てきます。

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