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スタートは「バーディ」のように病院の独房に裸で鳥のごとく止まって引きこもっている男が映し出されます。そこに「鷹」の映像がダブります。まさに鳥のマネは鷹のマネだったのですね。(映画の始めに「鷹」が写るのは昨日見た「アマチュア」もそうです。力と権力の象徴でスモンね、たぶん何かそのようなことがでてくるのでしょう)そしてメヒコ(メキシコシティ、好きな街なので、どこだとは映画の中では出てきませんが、わかります)の俯瞰。ここで流れるマンボ最高に良いんです。さらにはミクロ(ズームイン)に迫ってサーカスの広場に場面が変わります。そのなかでこびとと紳士的なマジシャンの格好をした子供が象に乗って通過するシーンに。この二人は実は親友なんです。(こびと、といえば、またまた「アマチュア」で工場作業員を撮影したその対象人物もこびと、でした。何でこんなに見たばかりの映画とダブるんでしょうか、縁ですねえ)二人して新しく入った女の子が綱渡りの練習をしているところを見に行くのですが、ここで子供同士一目惚れをするんです。教えているのが全身刺青の女で子供の父親と出来ているんです。この刺青クモの巣女がガウンをぱっと取ったところなんか良いですねえ。そして父親がこの女を的にナイフ投げをするんです。これがもう最高で、本当に見世物になってます。(ルコントの「橋の上の娘」なんて目じゃないというところ、本当に気持ち良いです。)女はナイフが近くに飛んで来るたびに快感にしびれる様子、何もいえません。エクスタシーとはこういうことを言うのでしょう。その近くでは子供と少女が手話で話をしてます。そして励ますと少女は綱渡りができるようになるのです(愛情が伝わったのでしょうか)。綱渡りをしている最中に少年が音楽のエールを送るのですが、この情感もいいし贈る音楽もいいです。確かに今まで述べた役者は見た目がそんなによくはないので好き嫌いはあると思いますが、映画の流れは本当に最高です。こういうのがいいねえ、という感じです。最後まで良いんですよ、この映画。

そして次のシーンでこの子供の母親が新興宗教の教祖で。その宗教は、男に乱暴されて両手を切られた少女を祭っているのです。その少女の聖なる血が教壇の前にあってそこで体を清めると救われるというものです。通常ならこんなの壊される訳で、実際にそのように映画も進行しますが、ここでも新興宗教の歌とか、教会内でのシーンで流れるギターの音色最高にいいんですよ。

そんな時でもいつでもといったほうがいいかな、旦那の方はクモの巣女(クモは女性性あります)とじゃれているんです。こういう不倫の現場を見ても妻のほうは頭にきますが夫との性交渉でそんなことも忘れるのです。すごく父系家族ですね。しかしこの父系が崩れるんですよ。それは象(男根的)が死んでいくシーンが次に流れるんですが、ここにも象徴されるし、死んだ象はすぐに食用になるんですね。食べられて消えていくというシーンに父系が消えることが示されてます。しかしすぐにえさとなるというのも、人間社会の中に自然の摂理が入り込んでます。この象の葬列を仕切る父のバックに流れる音楽もいいし、葬列のマンボのような曲もいいです。このような危うい父が、子供に最後にしてやれたのは結果的に胸に鷹の刺青を彫ってやることです。この刺青は彫ったあとすぐに外で待っていた少女の手でどこかに魂が飛んでいってしまいます。

さて本業のサーカス。子供や妻ががんばっているのに、影で父はクモ女といちゃついてますね。サーカスの演技の途中見かけてしまった母はさあ大変とばかりに修羅場に向かっていきます。その修羅場になる前のクモ女と父の愛撫はまるで動物でも見ているように壮絶です。そこに割り込み、妻(たる母)は仕返しに硫酸を夫の男根にかけます。夫は妻に逆上してナイフで両腕を切ります。まるで教団で祭られている聖少女のようになってしまうのです。そのあとすぐに夫も首を切り自殺します。この死体や切れた両腕はすぐに犬や鳥のえさになるのですね。それを閉じ込められたまますべて見た少年は感情を表に出さない「バーディ」のような冒頭の生活に入るのです。かなり時が過ぎているはずですね。ちなみに少女はクモ女が連れ去り逃げてしまったのでこの子供の元には誰もいません。

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