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映像は情報が多すぎるんですよ。(あとで、録音でさえ何回も聞いているうちにやっとパンタグラフの音が録音されていることに気づくシーンもあります)がそこで映画についても情報が多いことを知った上で作っているということだと思います。子供が助かり、刑事たちが捜査スタートという場面4人の刑事が平行で後姿で歩き出すところで切れるんですが、動きがあっていいですね。このあとやっと外の操作風景や、犯人の行動が映し出されるんですがすごいいいアクセントです。ところがまた室内に。Aの屋敷です。背景が横浜の街で当然市民は生活しているんでバックに動きがあるんですよ。この辺の感覚もいいですね。そして、かなり本題に近いテーマである、債権債務関係の債務不履行の問題が起こります。この映画は根底に、人間の社会的契約の一部の社員契約と業務執行機関としての取締役会とその決議、会社の最高決定機関の株主総会について折に触れて話のポイントで出てきますが、そのときに比較にされるのが子供の命なんですね。どちらが大切なのか?という問いがなされているんです。子供の命のほうが重いのではないのか?そういう命をもてあそぶ、「誘拐」という犯罪を憎むという視点です。

次もまた室内で、捜査本部です。捜査過程が映し出され、その映像が広範囲に周りの景色を表現して必然的に広範囲のイメージが映画を見ていると出来上がるんですね。これは編集と進行のうまさです。構図もたくさんの人が画面に入るときはそのときの主役を中心に扇形に人が膨らむように配置されています。うまい配置ですね。あとは鎌倉の捜査のときに切通しを車が通るのですが、「西部劇」みたいに劇的な効果がありますね。この構図ということに関しては、Aの室内の様子が、玄関のドアから居間まで直線で見渡せるんですよ。これは撮影効果からそうしたのだと思います。

さて、捜査側は記者会見をして、(警察はストーリーの交通整理の役目みたいですね、ここでも説明的)マスコミに理由を話して協力してもらい、メーカーを(Aの反対側の役員で構成される)たたこうとするのです。ここでマスコミの本来の目的、機能を提示するわけです。監督の意思ですね。この効果で犯人はあせって、かばんを始末して有名なパートカラーのシーンになるのです。ここから、大体犯人を特定できてから面白くなるんですね。捜査陣が犯人を泳がせて、罪を重ねさせて「極刑に値するときに」捕まえるのです。この極刑、すなわと誘拐は極刑ということ、この罪を監督自身が憎んでいることは映画全体で主張されております。

この犯人が泳いで街に出るところがこの映画の動的部分で、いままでが室内で静的に抑えに抑えていただけにすごく鮮明な印象を観るものに与えてくれます。このシーンも山下公園から伊勢崎町にかけてが土台で、ダンスホールが本体の二重構造で盛り上げてくれます。本当にサングラスがかっこよく光りますよ。この光は後につながる光で、有名な私の最も好きな、犯人が検証に犯行現場に来たときのシーン、すなわち、画面の下から犯人の顔が上がってきて光る光と対なんです。このシーンは陰影の美しさの極致とも言える、次の格子戸から隙間をもれた光が縦じまになって犯人の顔に当たる、そしてそこでタバコをすうという本当にかっこいいシーンの前触れです。どこかでこの構図を絶対に使いたかったともいえるすばらしいシーンですよ。

動的に最高のダンスホールのシーンに続いて黄金町の旧青線地帯のシーンは、わざとらしいくらいにおどろおどろしいものです、まさに犯罪そのものの暗さです。この犯罪ということはこのすぐあとに刑事と犯人が接近してしまうときに追うほうと追われるほうの両者が同時に写るシーンで表現され、刑事たちはトンネルの光の中現場に向かうのです。この光を跳ね返すのが犯人のサングラスかのように。

最後ですがどんな教戒師も拒んでいるとのこと。この犯罪は動機がないんですよね。単にこの人がたまたま憎かったというだけなんです。ここに犯人から乞われてAが会いに来るのですが、Aはもう前向きに人生を再構築しているんですよ。それが犯人には悔しくってたまらなかったのでしょう。結局表題の「天国と地獄」は意思の差だけだったんです。未来を思う前向きの気持ちが同じ状況下でも「天国」になる人も「地獄」に思える人もいたのです。そして前向きになれなかったものの叫びが最後にこだまして映画は終わります。

久しぶりに観てさすがに、いい映画だと思いました。良いとか言う判断の上に位置する映画だと思います。タルコフスキーもあるインタビューで最高の映画10本のうちに黒澤監督も入れているのがわかる気がいたします。あとは溝口監督、ベルイマン、チャップリン、ベルッソンなどですね。すごいメンバーです。

12/15

 

「カドリーユ」 ヴァレリー・ルメルシュ監督 1997年 フランス

本当に面白い比較ができると思いますが、「天国と地獄」のAの室内と同様に、ここでの舞台となるホテルの部屋も一目でセットとわかるものですね。置いてある家具備品も安っぽい作りで、色が派手なんです。そういう意味で、この映画はフランス的な映画なんでしょう。「シェルブールの雨傘」もそうですが壁紙とか色がぶっ飛んでいますね。そして出てくる人物の衣装もいいですよ。さらに監督以外は意外と美人、美男子が多く目の保養になる映画ですごく気楽ですよ。

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