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戯曲の内容は兄弟が昔、愛し合っていたことです。Cは姉への思いを断ち切るようにほかの人を愛したのですが、出来ないでおかしくなりそうなところでした。姉の結婚がおかしさに追い討ちをかけます。

このような状況の下、ABCDEが一緒に会食をします。提案は当然Bです。終始、Aの表情はすごいですよ。しかしBもEから話を聞いてAとCの近親相姦を知っているんですよ。それでこの会食でどうにか整理しようとしているんです。弟のCを殴る夫B,CはBをいままではアメリカ人と馬鹿にしていたんですがもう反論できません。殴られ逃げるだけです。多分姉に会えない怖さがあるんでしょう。またAもCを擁護します。このシーンは迫力満点。いいシーンです。AはBを捨てかねないんですから。かと言ってCと一緒に離れないしねえ。

結局Cと別れられないAを捨ててBはアメリカに帰ります。AはCへの愛を父親への愛情とか、不幸の娘という仮面の下に隠していただけで自分を偽っていたんです、いまだにCを愛しているし、Cもすごく愛しているんです。この感情はどうしようもないものです。もう愛情の深淵に入り込んでいきますよ。使う言葉が素晴らしい。そういえば「熊座の淡き星影」のヒントとなったレオパルディの詩は次のようなものです。「熊座の美しい星 ふたたびここに戻ろうとは

家の庭を照らす光 ふたたび夜空を見上げる 子供の頃のように 幸せを失った頃のように」なんです。まさにこの再び照らす光が戻ってきたんですよ。しかしAは夫の下に帰っていきます。それを察知するかのごとくCは死んで終わるのです。近親相姦の気持ちはあるのですが社会の規範が許さないのです。それで社会で生きようとするにはこうするしかないし、弟のほうは愛情が強すぎたのです。

この映画、全編にわたって本当にセザール・フランクのピアノの曲が時には盛り上げ、静かに愛の形を導いていくのです。それが近親相姦であっても深い愛は愛で、崇高なものだと思います。じっくりとした本当にいい映画です。姉のほうは弟をそれほど思っていないかというと、そんなことはないと思います。ではなぜ、夫の下に戻るのか?それはこれからは兄弟とも年を取っていくからです。そして情熱だけではどうしようもないお互いの理解が必要となるのです。それを冷静なBに求めたのです。

12/25

 

「獄門島(ごくもんとう)」 市川昆監督 1977年

 

この映画もまったく原作の記憶が消えてます。獄門島のいわれが「藤原純友の一族が北の固めにした島、すなわち北門島、ごくもんとう、となまった」というひとつの説が冒頭に出てきますが、確かに瀬戸内海ははるか昔から利権の争いは絶えなかったでしょう。それはこの映画でも何回も島が重なる景色がでてきますがあれだけの島が数あれば隣の島に行くことも来ることも簡単ですし、支配権の範囲の限定は難しかったことと思います。平家の落ち方も、一の谷のあと屋島、壇ノ浦と瀬戸内海沿いです。

横溝氏ですが、岡山を舞台にした小説が多いですね。「八つ墓村」もそうですね。まあ、今回は出発点が岡山だというだけで、獄門島がどこの県に属するかはわかりません。また簡単に線引きできない慣習もあることでしょう。

この映画は、この瀬戸内海の美しさに尽きると思います。はじめ、獄門島に着いたときの船着場から見える瓦屋根の家々、その折なす風景が本当に美しいし、海もきれいです。

あとは、いつものように、これは映画なのか、テレビドラマとどこが違うのか、なんて思いながらリラックスしてみていれば終わるという安易な映画で本当に気が楽です。下手に感動しないし、怖くないし、驚きもなければ笑いもない。ではなぜ見るのでしょう、何か人間のつながり、関係などとともに失われた習慣などが出てきて、これらすべてが新鮮に映るからでしょう。しかし今見ると、笑えないほど、同じ役者が同じような演技をシリーズとはいえよくやるもんだと感心します。ではなんで一時期この作者とこの監督のシリーズが製作され人気を博したか、ということを考えざるを得ません。古い日本の慣習に、深く人間のおくに潜むはっきりと割り切れない人間関係が、ちょうどぴったりとマッチしたことが郷愁もこめて人間関係の民族の日本人に受け入れられたのではないでしょうか。

あとは別に感想らしきことは何も感じないで、のんびりと、考えもせずに最初から最後まで見ているだけでした。そういう気軽さが本当にありますね。まあ金田一がいつも事件が終わってから推理を披露するのでそれを見ていれば良いだけですし、犯人の予想をするほど複雑な内容ではありません。しかし今回も犯人の予想は外れました。それは途中で挿入されるカットで見当をつけるのですが、その一連の映画の中でのカットが犯人を示唆しないので考えても無駄なんですね。それよりも監督の術中にはまって楽しく見たほうが良いですね。

 

最後に今回も女優人はきれいでした。特に司葉子さん、大原麗子さんこの時期でもまだこんなに美しいとは思いませんでした。DVDは残り一作になりました。また気が楽になりたいときに見ることにしましょう。日本映画でシリーズ化される作品は気が楽になる内容の映画が多いですね。映画くらいのんびり見たいですよね。

12/26

 

「怒りの日」 カール・テオドール・ドライヤー監督 デンマーク 1943年

 

1623年のころ、魔女狩りのときですね。私はよく知らないのですが魔女狩りはプロテスタントの台頭と関係するのでしょうか?ちょうどこの頃はプロテスタントの台頭の時期ですね。

とにかく魔女狩りの処刑の時の歌で始まります。

「怒りの日がこの世の終末を呼び太陽は暗闇に沈む

怒りの日硫黄と炎が降り注ぎこの世の美景が滅ぶ

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