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結婚式のパーティのシーンのフランクのピアノ曲を使ったメリハリ、そのあとの疲れた様子でのメリハリのつけ方、本当にうまいです。さらには車での移動のショットが続いてピアノ曲がフォルテを迎えたときにハイウェイも通りすぎ、ちょうど田園地帯のなか、乗っている車が映し出されますが2シーターのスポーツカー(BMW)、カッコいいし背景が大空と田園風景でばっちり決まってます。程なく故郷のボルチェリに着いて、聖フランチェスコ門など自分の故郷について説明します。家に着いたときの門の大きさと車がマッチして違和感なしに、絵になってます。さらに、自分の家のドアを無造作にたたくしぐさが一瞬出るのですがこの先の運命を予見したかのようにきれいです。そのときの顔は獣のように鋭い顔ですよ。家に入って電気のスイッチをつけた瞬間に広がる、豪華な居間、すばらしい、奥行きのある映像です。これは本当の奥行きですね。本物を使った豪華さです。これと対になるシーンが母親の部屋にAがBとCを外に意図的に追い出して、入るときにあるのですが、まったく同じです。入ってその瞬間の顔の凄み(獲物を追うような)そしてスイッチをひねったときに出てくる部屋の豪華さ、一段と上の部屋です。ですから豪華さの重ね塗りです。

自分の部屋で簡単に下着になるときの軽いしぐさ(自分の家ですから当然です)と体の線のアンバランスな魅力。かなりウェストが締まって魅力的です。そしてくつろぐ様子。さらにははじめの食事のシーンでの、「英語の歌を(ラジオから)」バックに「これからここにずっと住むの」というときの顔と目、やはり迫力があります。どこにこの魅力があるのか、これからわかってくると思います。英語の歌でアメリカのメロドラマぽく、バルコニーに出ると、お手伝いが窓から様子を伺っており、その先に人影があるのです。もうまるで「ロメオとジュリエット」の1シーンみたいです。その影を追っていくと、(これぞ構図の勝利)長まわしの中、銅像に抱きつくとCが始めて登場します。あの影はCだったのです。追加ですが食事中、鼻の下に手を置いて笑うAはまたこれからを示唆するかのような魅力があります。素晴らしい写真ですよ。

Cが小遣いのために家財を売ったことが判明し、Aは独りになりたいといい、CをBと一緒に出て行ってくれと頼みます。BはCをボルチェリの街を案内するのですが、大自然の中にいる小さな人間のようです。そのあとのサンジェスト教会の階段でのシーンもきれいな構図です。そこでBすなわち夫はAの過去の話を聞きたがります。Bは逆にAがアウシュビッツの話をしたときに急に人が変わったかのように溶け込んできたというのです。何かのきっかけです。そしてBとCはバーに着きます。このバーでイタリアのカンツォーネとはまた違う歌謡曲が流れてます。そしてそこにいたAの初恋の相手を紹介します(だましているんですよ)。この時点でB、C,と初恋の相手Dの3人で一番かっこ悪いのBなんですが、意味あるんでしょうか?笑い。この日、BとCが家に帰ってきてもAは部屋に鍵をかけて入れません。このときAのゴージャスな下着を堪能できます。そしてバックに流れているのは「好きにならずにいられない」のイタリア語バージョン。Aの目はここでもきれいです。抱かれるのを待っている目ではないんです。そして母親(義理の母)に会いに行くのですが母親はピアノを狂ったかのように弾いて、Aを相手にせず、夫すなわちAの父親の秘密をAに語ります。それは父親がユダヤ人であったこと。そのユダヤの血(ここでは臆病、卑怯、悪党といわれます、明らかに義理の母は偏見を持ってますね、さらに実の夫に対して言っているんですよ、どういう夫婦関係だったんでしょうね)がAにも流れていることです。先ほどのCが語った知り合ったときのきっかけがここで生きてきます。しかし母親には何で帰ってきたとののしられたままです。

次の日のAとBの夫婦の会話、Aのバストを隠したバスタオル姿を堪能できます。しかしその姿とは裏腹に話す内容とその声は下品なものです(このバスタオルシーンはどきどきします。わざと入れたな、という感じですね)。監督はこのギャップ狙ってますよ。

この前に、町の役場でCが勝手に町に提案した庭を一般に開放するという契約書に無理やり、事前に知らされることなしにAはサインさせられます。このサインのときのAの目は鋭く光ったままです。そしてAはBに母親が、父親が死んだあと、ジラルディニという恋人と別れたこと。これは夫の死を新しい恋人を作り忘れようとしていたこと。しかし結局結婚してAが嫌うジラルディニ(以下Eとします)が家長になり、兄弟別々の学校に文句言わせないように入れてしまったこと。これに反抗してCが自殺してみたこと。このジラルディニが弟Cの狂言自殺に対してしつこく言い寄るのでAとCは手紙でやり取りをするようになった経過などを話して、実際に手紙に秘密の隠し場所などをBに教えて行きます。すると実際に手紙があったのです。Aは昔のものと思いますがどうなんでしょうか。

父親をユダヤと告発したものが関係していそうですね。Aは母(義理の母ですから)をあまり好意的に思っていないんですよ。ですから財産権は兄弟にあるのです。それでAの実家(育った家=父親)に対する思いは強いんですよ。すべてのシーンが物語ってます。

 メモにあった待ち合わせ場所に行くと(従朴なる下僕、夫にはDと言うのですが)Cがいます。DはAとCがEの目を盗んで通信しあったときの連絡係やっていたと言うんですよ。そのままCの部屋に行き、この映画のタイトルの戯曲を読まされます。夫BはEの話を聞いていて、どうにかAとEの間を取り持つようにしようとしているんです。

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