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ラビールの「ナイチンゲール」の衣装もよければ、表情もいいんです。本当に美人ですよ。

「バラのアダージョ」「トンボ」シベリウスの「悲しきワルツ」次から次にバレエシーンが出てきます。最後はいつも「瀕死の白鳥」サンサーンス。10年続けることになるツアーです。ソビエトには帰れないんでしょうね。

その頃ロンドンの庭師は8100本のチューリップを植えていたんです。さらに久しぶりにフォーキンとニューヨークで出会いますが、フォーキンはバレエスクールの校長、しかし昔の友達としてすぐに仲良くなります。離れていても結婚しなくても忘れられない人というのはいるんですよね。パブロワは一緒にツアーに行かないかと誘います。もう第二の人生のステージが始まっていると断り、しかしとてつもなくいい言葉を言います。「パブロワは劇場の中だけに真実の姿がある」(写真や映画ではうそ)「伝統を滅ぼしてはいけない」「その伝統を守るのは私たち」ディアギレフは終わった、ニジンスキーは狂う。

今度はロンドンの自宅でディアギレフに久しぶりに会ってパリに来ないかと誘われたときに彼も良い言葉を言います。「パリは晩餐に天才を食べる」「食べられた天才はどうなるのか。のみこまれて下水でおぼれている」。

リファールがパブロワを訪ねてきたときも良いシーンがあります「大衆にはバレエがわからない」「それなのにあなたはどこにでも踊りに行く」「もっと自分自身を大切にしなさい」「もっと個性的でいてほしい」。しかし、パブロワは違う答えを持ってますね。テクニックではない、ハートだという。たまたまマリインスキーから手紙が来ていて戻ってほしいと。

しかしその年、風邪をこじらせ結局このまま踊ることなく終わるのです。手術を拒否したのです。病の最後の床で叫んだのはフォーキンの名前です。まさに「ワンダフルライフ」と同じですね。一緒に生活する人と一生忘れない人は違うんですね。死ぬ間際に「瀕死の白鳥」がダブって終わります。良い映画かどうかはわかりませんが私は大好きな映画です。最終カットが川を流れる筏をこぐ少女というのも、「フリークスも人間も」と同じで何か不思議な気がします。

12/28

「ガキ帝国」 井筒和幸監督 1981年

まず面白いのがキタとミナミに勢力が別れていることです。

キタは梅田地下街が映るのですが、私もどこまでがキタなのかは知りません。ミナミは道頓堀が出てきます。同じくどこまでかはわかりません。キタの北神同盟とミナミの半端3人組プラスホープ会という構図みたい。

共通して感じることが、教師にまだある程度権威があった時代です。そして授業をボイコットするのも学校に行ったから出来ることで、とりあえず、みんな学校へ行っていた時代です。こんなこと書くのも本当に時代が変わったのだと思います。あと、思ったことは半端3人組がサッカー部です。部活動やっているんですね。ですから今の基準ではかなりまじめだともいえます(サッカーとかJリーグが出来てからの人気、かつワールドカップが日本で開催されるなんてこの時代にサッカーやっていた人は誰も考えなかったと思います)。そして私たちの時代もサッカー、ラグビー部は不良というか成績が悪いやつの溜まり場でした。意外と野球部の連中は成績が優秀な奴が多かったです。そのため、この映画はかなり笑ってみてました。年末にふさわしい、ふんわかした感じで良かったですよ。昨日の「アンナプブロワ」とまったく違いますが、私も似たような環境でしたので、よく内容がわかります。

主人公Aは少年院から帰ったばかりで、何をしたらわからない存在で、かといって人生このままではいけないと心の中で思っているんです。そういえば、バイトで喫茶店のボーイやるんですが、やたら喫茶店が出てきます。たしかに昔はかなり喫茶店に行ったんですが、最近は高校生の溜まり場はマックになったみたいです。あのデフレ価格で昔の喫茶店の役割を果たしているので、かなり大変みたいです。掃除とか。今マクドナルドが閉店している店舗は意外とこのように高校生に占領される空間を持つ店舗が多いみたいです(何の根拠もないですが、さらにマックの批判ではないです)。

そして三人組にからむ女の子に紗貴めぐみが扮するのですがこの俳優、「道頓堀川」(深作監督)でも良い味出てました。Aは島田紳助です。役者にない不良の雰囲気が出てますよ。中途半端な感じが出ていて良いです。

キタの北神同盟(以下、同盟とする)はやくざと関係していて、やくざの下働きみたいなこともします。そして新しく入った「あしたのじょー」が曽根崎支部の代表になりますが一番初めのダンスパーティーで3人組とニアミスがあり、決着つけるために3人組は南港に来いというのです。

個人的な環境ですが、Aの父は小さな町の工場を経営しているのです。その父は半分不良の息子にも殴ることが出来ます。父の威厳があるんです。この工場の近くで朝鮮系のアパッチ族にチャボ(Aの友達、松本竜介)がナンパの最中にやられるのですが、逆に仕返しに父も賛成して応援するくらいの関係です。何かが今と違うのは、まずこのような工場は平成不況でなくなりつつあるのと、このような喧嘩に対しても威厳を持つような父親は精神的余裕がなくなっているのでしょう。さらに喧嘩は基本的に素手です。このなにかわからない変わった雰囲気は20数年前の映画ということでこの年月の間に若者も変わったということでしょうか。半端者は将来、やくざ、事業家、芸能人しか道がないと考えているんです。しかし関係ない話ですが岡本喜八監督の「青葉茂れる」という映画があるんですが、ここでも(仙台が舞台なのですが)威厳のある先生が出てくるんです。すごい良い先生なんですよ。いつごろから学校は崩壊してきたんでしょう。家庭の崩壊が影響しているんでしょうか。そのどちらも(父の威厳、先生の注意を守ること)この映画でさえあるのです。たかだか、22年前の映画ですが、逆に考えるとこの映画に出てきた人たちが22歳のときに生んだ子供が今は大学生から社会人ということなんですね。こう考えると悪循環してます。親が悪いから子供が悪くなる。しかしその悪い子も子供を作る、さらに悪くなる。すべてがそうだとはいえませんが、(逆にスポーツや音楽では才能が開くケースも増えていますので良い循環もあるのでしょうが)、悪くなるケースはこのようなパターンが多いのではないでしょうか。

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