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ここで一つ触れなければならない問題をこの映画は抱えてます。それは朝鮮の問題です。あしたのじょー(以下C)は在日でした。いわゆる、自分ひとりで誰も信じないというパターンの人間として描かれます。同盟の中でも浮いてしまい、幹部を殴ってしまいます。その場に3人組の一人もデートで来ているのですが、そんなにとんがっちゃ生きていけないよ、と抑えるのですが、言葉を母国語でしゃべってしまうんです。Cの彼女は同じく在日でしたので問題ないのですが、3人組の一人(以下、Dとする)のほうは彼女がDが日本人でないとわかった時点で男から離れていくのです。3人組としてアウトサイダーの学生生活を送っていたにもかかわらず、ここで何かを感じたことでしょう。しかしこのデートの舞台が映画館なんですが、多分、舟木一夫と内藤洋子の出ている映画がかかっていますがタイトルは何なのでしょうね。あとで最後にネットで調べてみます。ということで3人組は実は半端者でありながら、差別のない関係だったのです。それは、アパッチとの関係でもわかるんですよ。殴ったりするけど、差別はないのです。しかしDは「朝鮮という奴らと遊んでいる」「奴らの腹の中はわかるか」「みんな同じだ」と言われます。でも3人はあくまで徒党を組まずに3人だけなんです。

ところが同盟は東京から来たゴキブリという男とともにミナミに殴りこみに来ます。結局Dは自主退学になりミナミをまとめるのがAになってしまいます。ホープ会も中途半端になってしまっているのです。しかし結局最後のほうでチャボは同盟との喧嘩で死んでしまいますし、Dも別の生き方になってしまっているのです。私もこの若者の団体の関係が映画を見ただけではわからないのです。この監督の編集は下手なんじゃないかなあ。しかし言いたいことは伝わるのですがどうも説明が中途半端というか場面の転換のカットが多すぎて前後関係がつながらないのです、さらにいろいろと関係を複雑にしすぎてます。出てこないで切ってしまってもかまわない人物もいると思うのですがねえ。

まあ、仁義を通し切れないで中途半端に終わる連中の話です(この映画のキャッチフレーズは自分の生き方を貫いたとあるのですが、それにしてはAはあれでいいのかな)。またはやくざの世界に入っていく極端な青春でした。もうちょっと朝鮮問題をはっきり描いてほしかったと思います。それと3人組のツッパリを貫いてほしかった。もう一歩で面白くなり損ねた映画です。

たぶん劇中の映画は「君に幸せを(センチメンタルボーイ)」だと思います。

 

 

12/29

「黒い罠」オーソン・ウェルズ監督 1957年

意外と有名な作品ではないですよね。この監督は少し斜に構えたところがあるとおもうのです。この映画も何が正しいのか考えさせられる映画です。ちょっと「第三の男」に似た感じもします。

音楽担当、ヘンリーマンシーニ、俳優、チャールトンヘストン、ジャネットリー、私の好きなマレーネデートリッヒ、これだけで映画史的にお宝映画ですね。

音楽はいいですよ。舞台がメキシコとアメリカの国境付近ですので、ラテン系とロックのビートとともに入る良い音楽です。オーソンウェルズ(A)は良い味出てます。本当にこの警官は悪いのかどうか、考えさせられます。まあ悪いんですが。チャールトンヘストン(B)は少しさわやか過ぎて、面白くないですが、ジャネットリー(C)については「サイコ」でもそうですが襲われる役専門だったのでしょうか?今なら確実に裸になるタイプの女優です。最後にマレーネデートリッヒ(D)、まだ味がある、見た目すごくエキゾチックな良い役です。ちょっとしか出てませんが逆に印象にはすごく残ります。

話は簡単です。BとCは新婚で遊び気分のときに事件が起こります。多分、Bは麻薬捜査官かなにかでメキシコ政府の高官で一応正義感の強い男です。その事件は車が爆破されたのですが、図ったかのように刑事Aの言うとおりに事件は解決の方向に進みます。しかし、麻薬捜査のBは少し厄介なことに確証ある人間が死んでしまったのです。さらに、この事件の間に妻のCが隙を狙われます。このCを狙う麻薬などを扱っている人間と刑事Aは裏では意外とつながっているのです。それで、Cを嵌め込み、麻薬中毒で逮捕させようとします。この時点で、もしかしたらAは死を覚悟したのかもしれません。そう考えると、最後のほうのシーンが辻褄合わない感じもしますが意外とすっきり理解出来るような気がします。Bは事件が事件だけに事件現場を調べなければなりません。新婚旅行気分だったのに仕事です。そのため妻は近くのホテルに泊まるのですが、メキシコでは嫌がらせをされたので、アメリカ側のホテルに泊まります。しかしここはトレイラーが部屋のメキシコと変わらない、誰も来ないような砂漠にある安宿でした。ここでCは襲われて、麻薬中毒の一味のような感じにされてしまいます。捜査のほうはたまたまBが確信を持って自分自身が証言に立てるような犯人の捏造現場に居合わせてしまいます。そしてAに対して疑惑を持ちます。Aはほかの連中と長年、捏造をしてきたので周りの人間もAを擁護します。共犯です。そんな中、Cが麻薬を刺されて倒れている部屋に麻薬を仕切る人間を呼び出し、Aは殺します。しかしこの殺された人間はCに対して麻薬を強要した人間なのです。いわゆる、状況証拠を作らせた人間を殺すのです。そしてCの犯罪のよう見せかけるのです。ここでAは自分の持ち物を落としてしまい最終的に追い込まれるのですが、その前にもう先が見えていたんだと思います。AはBが優秀なのを見抜いていますね。ここですごく重要なことですがAも実は優秀なんです。しかしたたき上げで人生は楽ではないんですね。事件を捏造ばかりで逮捕してきましたが、日本で言う「必殺仕置き人」のような感じで確実にクロと思われる人間のみを捏造逮捕して自供させていたのです。今回の爆破犯人に対しても捏造して逮捕しましたが結局のところ、ほかの事件をこの犯人は自供したんです。それはAの長年の勘なんですね、しかしこういう細かい事実は他人にいちいち説明するタイプではないんです。もしそうしたなら、もっと出世したでしょう。Bは逆で出世している若者ですから、理屈の正義なんです。(まあここまでは言いすぎですね)。結局、Cの事件の真相もBの知るところになり、Aの捏造の仲間に協力を願いAの盗聴を行います。そのときにAは勘がよく盗聴に気づくのですが、あと一歩でBも殺されるところでした。いや実は殺されていたのです。しかしAは撃たなかった。そして仲間だった警官に死ぬ間際に(Aが殺したのですが、虫の息がありその力で仲間も道連れにしよう、今までの償いをしようとする)銃声に撃たれて、そのままどぶ川で死んでいくのです。Aの死に場所にはこんなどぶ川が合います。BはCの容疑も晴れ、めでたしめでたし、ですが、場末のバーのマダムDはAのことを好きなんですね。男の魅力がありますし、Aの本質を見抜いている、苦労しているマダムなんですよ。このDの存在感は映画に良いアクセントを与えてますし「第三の男」と同じで女が一人残されてしまうのです、悲しみを伴ってね。

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