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Bが暇にまかせてCにちょっかいを出すんです。はじめ、このCは私もあまり美人ではないような気がしましたが、だんだん演技がうまく、少しずつ魅力が出てくるんですよ。俳優の名前は中川三穂子です。この人いいですよ。江波杏子とともにこの映画にいいあくせんとをつけてます。Cは生まれつき眼が見えないのですが当然普通の人と同じ情感、愛情は持っています。多分かなり早い時期からBのことに好意を見せているんです。伏線としてめくらは「いたこ」にさせようという家の方針があるんですね。しかしせめて「ごぜ」になりたいというのです。女のめくらの芸人で村から村へ芸事をしてまわって生活を立てていた人たちですね。ここで三味線の音とお地蔵様が映し出され少なくても30数年前の日本の風景を映し出します。こういう映像は本当にいいですよ。日本は変わってしまってますから、少しでも昔の風景は残しておきたいものです。たしかに映画の中でも、現代化の象徴として東北新幹線の話が出てきます。現実にはまだ本州の北のはてまでも届いていないんですが、便利になるという会話に象徴されます。この会話のシーンのある居酒屋でAは働いているのですが、Aの気持ちを動揺させる出来事が立て続けに起こります。まずBとCの関係のうわさを耳にします。次に父と兄が遭難したと思ったら、偽装で逃げていたらしいという証言も耳にします(それで保険がおりません)。つぎに蓄えとして貯めていたお金を知人に預けたら持ち逃げされます。結局、まわりはすべてAを裏切っているのです。家族、知人、恋人、そうしたらどうなるでしょうか?ひとり、寂しく人間不信になるのでしょうね。

BはBでCに売春させようとするのです。Cは実は近親相姦の末に生まれた子供で、Cが眼が見えないと知ったときに父親は自分の目を刺して死んでいったそうです。まあ狂った家系です。それで眼が見えないというときに、このときもばあ様がCに憑き物がついているとたたいて追い出そうとするのです。こういう風景もBは慣れていないし、気持ちも移っているので助けようとします。この憑き物とかのことですが、Cは当然信じているのです。こういう状況のシーンを見るにつけて、フランス革命は本当に大きいなあと思います。

昔、知識は一部の人の特権でした。本を買える人=貴族が知識人だったのです。しかし、自由平等の精神は教育の自由を導き、万人に望む限り教育を受ける権利を与えたのです。すなわち貴族の特権が消滅しました。しかし、偏狭な地域やKKKのケースのように故意的に閉ざされた教育も脈々と続いておりました。その一例がこのCの家庭です。はじめからCがいらないものとして扱っているのでCもそれが当然と思っているのです。このような状況は今では、特に都市部では考えられないことです。そして、さらに時代の変化が描かれます。それは鉄道の開通です。すなわち空間の超克です。便利になると都会に行くことが簡単になり、出稼ぎが増え、お金を稼ぐということの反面、お金を使うことも覚えるのです。しかし昔と様変わりしたこの地方でも昔かたぎの人がいてBはその人の手伝いをしているうちに自分に合っていることに気づきます。どこにきっかけがあるかわかりませんね。そして好意を持つCと生活を始め、この地方に溶け込みます。A居場所がなくなりBに無言のうちに「故郷が出来てよかったね」と言い残して去っていきます。そしてBは文字通り幸せな日々を送りますが、ここに追っ手が来てしまいます。そしてBは殺されます。残されたCは感情を抑えきれないことでしょう。Bが希望の星のような存在でしたから。

では冒頭のシーン。「ごぜ」に対してCがいろいろと話します。Bとの出来事や、いまだに好きなこと。「ごぜ」は仕方ないことだから忘れなさいと。

このまま、Cも「ごぜ」になっていくことでしょう。しかしめくら、としては深い愛情を経験しているのでその芸事は深いものになり、一流の「ごぜ」になることでしょう。

Aはまた東京にでも戻るのでしょう。キネ旬報第一位らしいのですが当時にはマッチしたのでしょうが今の時代ではちょっとテーマがうまくまとまらない内容だと思います。

 

 

m_i08.gif (1119 バイト)昔に書いたこと(2003,11/21より)

 

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