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しかし感じたのは、時代がぜんぜん違うということ。たかだか14年しかこの2本の映画は製作年が違わないのですが、中で出てくる人間は100年くらい違うような印象を受けます。あと、感じたのは角川映画は渡辺典子を主役に持ってくるシステムでしたが、この映画なんて主役のイメージがあってそのイメージに合う女優を探しているんですよ。真野きりな、ですね。演技はしゃべらせないのでばれないのですが、その存在感は断然違います。井筒監督は昔の人ですね、表現がかわいいですもの。塚本監督は今の監督で、ばっさばっさと暴力シーンが出てきます。

まず主人公の付き合っていた女が自殺します。死ぬ前に「このまま、子供作っても、その子供が私たちの絆ねえ」といって子供がいなければどこかに飛んで行きそうというのです。まあ愛していないんです。しかし主人公Aは彼女がどうやって自殺用のけん銃を手に入れたか不思議でなりません。実際にけん銃を買おうとしますがどこにも売っていないんです。やくざや黒人など風俗の立ちんぼなどに聞いても知らないというばかり。誰かわからない人ですし(サラリーマン風なので相手にされない)実際に売るほど銃を持っている人は少ないのでしょう。そしてエンジニアの特性を生かして銃を作る努力を始めます。銃専門のインターネットのフォーラムに顔を出すようになり、部品を街の工場に行って小口で作ってもらいます。仕事が多分大会社のSEなので給料はいいでしょうし、自分自身もやけになっているので、銃を手に入れることに関しては予算制約がないのでしょう。出来たものをもって不良の溜まり場に行きますが、それはその不良たちの中で、決まっている女を抱きたいからです。ですからその女の行動がどうも気になるんですよ。そして女にけん銃を向けて抱こうとしますが、なにかAは話のほうがいいみたいで話していると女の仲間が助けに来てその仲間にAは作った銃を撃つのですが、さすがに球は飛び出ますが威力なくぼこぼこに殴られます。これで2回目のぼこぼこに殴られるシーンです。この女は刹那的でいつ死んでもいいような死に場所を探しているんですよ。そしてこの不良のボスで溜まり場のバーのマスターの女でもあるんです。

この不良グループは最近のしてきたZ不良グループに対抗してZをぶっ潰す計画を立てます。そして決闘のとき、不意打ちをかけて優勢に進めますが、女は追い込まれてもただ立ち尽くすだけで殺してくれ、といわんばかりで、Aも心配で銃を結婚を条件に中国人からもらって駆けつけます。ここでもこの女を助けるのです。この喧嘩はAのけん銃でかなり助かったはずです。Aはこの女(Bとする)が死にたいと前日FAXが来て知るのです。ですから会社も休んで駆けつけるという入れ込み方です。すでにこの辺で話はどうでも良くなるくらいにごちゃごちゃしてきますね。でも簡単なことは、東京という街を表現しているんだと思うとぜんぜん苦にならないしわかりやすいんです。「高速の下の浮浪者、殺して来いよ、くさくてたまらない」というせりふもわかりやすい。けん銃とられているんですよん。彼らに。出入りで最終的に倒れて、しかし味方してくれたし、家まで送ってくれてけん銃だけ取られたんですね。そこにBから電話でけん銃を使う現場をAに教えます。Bも気があるのです。Aはけん銃を取り返しに向かいますが、近くにいたBはAが出かけたときにAの家に入り込みます。しかしけん銃は使われました。それはボクサーに対して撃たれたのです。その撃った奴は以前、そのボクサーをかつあげしようとしてぼこぼこにされて友達になったのでした。そいつを撃ったのです。部屋に帰ってみるとBは消えていて、その香りだけが残っています。本当にこの映画簡単なんですよ、東京という街を知っていればそのカオスそのものなんです。人種が入り乱れ、デザインのちんぷんかんぷんな街の景観、他人のことに興味のない振りをする通行者、時間が足りない人間たち、急ぎすぎて人間関係を忘れた人々、本当にこの映画そのものです。

そこで何者かが逆に、この不良グループのものを殺して行きます。アジトを攻められるのも時間の問題というときに女Bはけん銃をAに返しに来て、「筋違いだけど、助けてくれるか」と頼みます。頼まれて断れないでしょう。とにかく死んでもいいと思っているやつは味方につけるべきですもん。誰かに殺してもらいたいという奴ほど生き残って、街のリズム、東京とは違うリズムを持ってしまいます。ほとんどの人は忙しい振りしているだけで死にたくないのですから当然ですね。

今度の相手はやくざの刺客ですね。どんどん仲間が死んでいきます。ボスも死に、Bともうひとりボクサーを撃った男が残るのですが、ここでもAはわき腹を撃たれても助けに行きます。刺客を撃ち、ともに弾がなくなるまで撃ち合います。そのためBたちは殴られてすんでしまい、また生きてしまいます。ボクサーを撃った男はもう反省しきり泣きつくすだけで前へ進むことが出来ません。しかしAとBはお互いに死ねなかったので、別れてお互いの生活に戻ります。一緒になってもいいのでしょうがお互いに殺してもらうだけの人生ですから別れるのでしょう。しかし街の静かな様子とは裏腹に歩き出すとだんだん元気になってしまいには走り出すのです。死ぬ覚悟が出来ているから生きているときが充実してしまうんですね。死ぬことを恐れて、事件などにかかわりを持ちたくない避けてばかりの人生ですと死と隣り合わせの充実感は味わえないのでしょう。結局これが彼らの麻薬だったのです。Aの妻は先ほどのように先が見えている人生を嘆いていたくらいですので自殺しかなかったのです。もっと燃えた人生を、危険に飛び込み生きている実感を、そうすれば死なないものだ。人間そんなに弱く出来ていない、というメッセージが聞こえてきそうな映画でした。私は好きだな、こういう映画。しかし男女関係はもっと描いてもいいのでは?たとえば性の陶酔感とかね。

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